第21話 性癖のエレクトリカルパレード

 放課後、一斉に校内が活気に満ち溢れる瞬間。

 僕の教室には少し毛色の違う騒めきが巻き起こっていた。


「鬱金くん、少し良いかしら?」


 窓際の席の一番後ろ。

 初めての席替えで最も当たりの席を引いた僕へと、来訪者は声を掛けてきた。

 その涼やかな声音の持ち主はただ一人。

 顔を上げると、僕の席のすぐ傍に百合宮潔璃ゆりみやきよりが立っていた。


「ああ、うん。勿論」


 荷物を持って立ち上がった僕は、そのまま彼女に連れられて教室を後にする。

 その様子を見ていたクラスメイト達からは、完全に僕が何かやらかしたのだろうという懐疑かいぎや哀れみに満ちた視線を向けられていた。

 何というかこう、さながら連行される罪人の様な気分だった。





 園芸同好会が使用する教室にて。

 百合宮は部屋の中に入るなりこちらを振り返って頭を下げてきた。


「まずは謝罪からさせてもらうわ。鬱金くん、貴方を疑ってごめんなさい」


 粛々しゅくしゅくと謝罪の言葉を紡ぐ百合宮。


「確かに桜庭さんが自分の方から鬱金くんへと迫って、あんな状態になったという説明を受けたわ。桜庭さんが変態であるかどうかはまだ明らかではないのだけれど、あの時の状況において、鬱金くんに罪が無かった事は確認できたわ」


 どうやら桜庭はある程度の事実を百合宮へと語ってくれたようだ。

 ただまぁ、最も重要な部分はどうにかぼかして伝えたようではあるのだけれど。


「いや、いいよ。あの状況を見たら僕だって僕が悪いと思うから」


 第三者から見れば、学校のマドンナを襲っている僕の図だ。

 むしろこうやって双方からの事情聴取を行ってくれた百合宮はまだ優しい方だろう。


「それで、少し気になる物を見たのだけれど――」


 百合宮がスカートのポケットからスマートフォンを取り出した。

 そして何度か操作をした後に僕の方へと画面を見せてくる。


「これ、校則違反じゃないのか?」


 僕が指摘すると、百合宮は「あ」と小さく声を漏らした。


「で、でも……」


 スマホを両手で持って、しゅんと肩を竦める百合宮。

 そのいじらしさといったら、なんと微笑ましい事か。


「ごめん、ごめん。ちょっと揶揄からかいたくなっただけだ」


 僕は笑いながら言う。

 これは百合宮にとっては好ましい変化だろう。自分を風紀委員という役割に押し込めていた時と比べれば、よっぽど健全だ。

 百合宮は「もう、あまり揶揄わないで」と、頬を軽く膨らませながらスマホで撮った動画を見せてくれた。


 ――場所は人気の無い校舎裏。

 一人の背の低い男子生徒を四人の男子生徒が取り囲んでいる。


『…………おい、今月分持ってきたんだろうな?』


 体格の良い男子が問う。


『も、持ってきたよ……』


 小柄な男子が懐から封筒を取り出すと、体格の良い男子生徒がそれを奪い取った。


『ちっ、これだけかよ。おい、来月はもっと持ってこいよ』

『…………』

『聞いてんのかよ? 返事くらいしろや』

『も、もうこんなの止めてくれないかな……』

『あ? お前は金づる以外の才能がねぇんだからよぉ、黙って金を持ってくりゃ良いんだよ!』


 狂暴な彼が小柄な男子生徒へと殴りかかろうとしたその瞬間。


 ――桜色の風が吹き荒んだ。


『邪魔だからどっか行っときやがって下さい、チビすけさん』


 聞いた事のあるその声。

 髪型はポニーテールとなってはいるけれど、その優美とした横顔には見覚えがある。

 桜庭優雅だ。

 紛れもなく、今画面に映っているのは桜庭優雅だ。

 しかし、その口調と雰囲気は全くの別人。


『誰かと思えば、優等生の一年じゃねぇか。何だよ、お前が代わりに金を払ってくれんのか? ははっ、お前なら体で支払うってのも考えてやるぜ』


 卑しい笑い声が響く。


『黙りやがって下さい、先輩』


 桜庭が体格の良い男子生徒の顔面を殴り飛ばした。

 その体格差をものともせず、軽々しく後方へと吹き飛ぶ男子生徒。

 そして取り巻きの生徒達も次々と彼女の餌食となっていく。その圧倒的な戦いぶりは、かの鮮烈たる薔薇園烈華ばらぞのれっかを想起させた。


『あははっ、ははははっ!』


 満面の笑みで男子生徒を殴り続ける桜庭。

 血に染まった両拳。

 誰だ、これは? 一体、誰なんだこいつは?

 動画が終了し、暗くなった画面に映った自分の顔を見て我に返る。


「何だよ、これ……」

「私にも分からないわ。もしかして、これも開花症候群だったりするのかしら?」


 開花症候群。

 ――咲き誇る異常の花。

 心に咲かせた花によって引き起こされる異常。

 完璧超人である桜庭優雅。彼女の心の中にも、花が咲いているのか――?


「取り敢えず、本人に聞くのが一番早そうだ」


 僕は早々に結論を出す。

 対話こそ正義。それが僕の理念だった。





 僕は一人、帰路に着く。

 百合宮とは家の方向が違うし、薔薇園はおばあちゃんの退院に向けて色々と忙しいらしく一人ぼっちの帰宅だった。

 百合宮から動画を見せてもらった後、僕は校内で桜庭を探したが、既に彼女の姿は無かった。

 なので明日も今朝と同じ様に桜庭が来る事を期待して、僕はこうして帰路に着いていたという訳である。

 少しずつ陽が傾きつつある中で、僕は一本裏の路地へと入った。

 お決まりの帰宅コース。お決まりのショートカット。



「――待ちくたびれさせやがりますねぇ、貴様は」



 路地に侵入した途端、記憶に新しい声が聞こえた。

 桜色のリボンで結われたポニーテールを風に揺らし、腰に手を当てて仁王立ちしている少女。

 その容姿は桜庭優雅本人で間違いない。

 僕の履歴書に書けない特技シリーズから分析するに、割り出した彼女の身長体重は桜庭優雅のものと相違ない。

 けれど、その内側にいるのは別の誰かだ。


「このショートカットは僕しか知らないはずなんだけどな」


 普段通りの態度を崩さず、僕は会話を試みる。


「姉様が聞けば、アホ共はペラペラと個人情報を喋ってくれやがりますからねぇ。貴様のプライバシーなんて無いに等しいと思いやがって下さい」


 あくどい、あおり立てる様な笑顔を浮かべたまま桜庭が言う。

 優等生であり、ド変態であり、メスガキだと? 桜庭優雅は性癖のエレクトリカルパレードか何かなのか。

 僕は警戒のままに質問を繰り出す。


「……で、誰だお前? 桜庭ではないんだろ?」


 こちらの問いに対して、桜庭は小馬鹿にした様に首を傾げた。


「何を分かり切った事を聞いてやがるんです、貴様は。自分は他でもなくですよ。ただ、字が違いますがね」

「字が違う?」

「そうです。聞いた言葉を馬鹿みたいに繰り返しやがりますねぇ。鸚鵡おうむですか貴様は」


 挑発する様な声音で溌溂はつらつと語る桜庭擬き。


桜庭結我さくらばゆうが――結ぶに我と書いて結我ゆうが。自分は崇高なる優雅姉様の従順たる愚妹ぐまいです」


 ――妹。

 それは僕にとっても馴染みの深い存在。

 しかしながらそれは、生物学的に考えれば別の個体として存在するはず。

 同じ肉体を共有する姉妹。

 それは多重人格と呼ぶべき現象だった。


 ――異常。


 人格の異常。

 姉である桜庭優雅と、妹である桜庭結我。

 どちらが表でどちらが裏だ?

 いや、そもそも表裏など無いのか?

 様々な疑問が浮かんでは消える。


「なるほど……。それで、愚妹である結我ちゃんが何の用だ?」


 そんな何の気なしの質問に結我はこう答える。



「自分は貴様をぶっ殺しに来たんです」



 天真爛漫な悪逆非道。

 桜庭結我は清々しいまでに素晴らしい笑顔でそう告げたのだった。

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