第20話 (桜庭)優雅な通学路
朝、美少女と共に学校へと行くなんて事は全男子高校生の夢だろう。
僕だってそんな夢物語を夢想した事がある。
しかし現実は儚く、そして残酷だった。
ただ、そんな夢が叶わないだけであればまだしも、美少女の皮を被ったド変態と登校するなど、高校生になった当初の僕は夢にも思わなかっただろう。
「――薫先輩はどんな体位がお好みですか?」
登校中の通学路。
桜庭はそんな質問を口走る。
「あのな桜庭、常識的に考えて朝からする世間話として、体位なんて話題は
優しく
「私は無難に正常位ですかねぇ」
「今すぐ口を閉じてくれ。爽やかな朝が
「私を黙らせたいなら、薫先輩の口で塞ぐ以外にないですよ」
「よし、ちょっと待ってろ桜庭。今すぐそこのコンビニで瞬間接着剤を買ってくるから」
「接着ってなんか
「無敵かお前」
僕は最早、尊敬に近しい眼差しを向けた。
「いやいや薫先輩、よく考えてみてください。接着という言葉の内、ちゃをすに変えて、並び順を少し弄ればセックスになるんです」
「単語を魔改造するな」
「出会って5秒で接着」
「接着を隠語みたいに使うな」
「出して5秒で接着」
「うん。瞬間接着剤のキャッチコピーとしては中々秀逸だとは思うけれど、これまでの会話のせいで卑猥な意味にしか聞こえなくなった」
「おめでとうございます。これから先輩は一生、接着という言葉に変な感情を持つ事になりました」
「僕の人生にしょうもない爪痕を残すな」
学校まであと少しというところ。
「おい桜庭、そろそろ離れろ。我が花咲高等学校きっての優等生である桜庭優雅さんが、僕みたいな凡夫と一緒に登校している場面なんか見られたら都合悪いだろ」
「どうして先輩は自分の事を卑下するんです? 薫先輩は素敵な人ですよ」
「へぇ、どこら辺が?」
「主に顔がタイプです。それ以外は普通ですね」
「ふざけんなよ。せめてこんな朝からお前の
いつの間にか、学校の正門まで来てしまっていた。
周囲からの視線が痛い。
最悪の場合、全校生徒に対して鬱金香の異常を使わなければならないだろう。
校門を通った時。
僕と桜庭の前に一人の少女が立ちはだかる。
――純白。
――潔白。
――清白。
清らかなる風紀委員、
「おはよう、鬱金くん。今朝は何とも楽しそうな登校だったみたいね」
「お前にはこれがそう見えるのか」
「ええ、鼻の下が伸びきってピノキオみたいよ」
「なら伸びるのは鼻だろ」
「あら、そうだったかしら。些細な事が気になるのね。女々しい男だわ」
「さらっと刺してくるな」
「言葉は刃物よ」
「分かってるなら扱いに気を付けろよ!」
何なんだ今日は。
朝から色々と詰め込まれすぎだろ。
僕が疲弊を隠さずにぐったりと項垂れていると、百合宮がこちらへと近づいてきた。
「おはよう、桜庭さん。貴女に少し聞きたい事があるのだけれど、良いかしら?」
微笑を湛えて百合宮が問う。
「おはようございます潔璃先輩。もちろん、構いませんよ」
桜庭が優等生の皮を被って答えた。
「じゃあ、桜庭さんは借りていくわね」
「ああ、好きなだけ持ってけこんなの」
「酷いです、薫先輩。泣いちゃいます」
わざとらしく顔を覆ってみせる桜庭。
そんな短いやり取りを最後に、僕は二人と別れた。
「ふぅ……」
僕はベッドの上で深く
まだ一限も始まってすらいないというのにこの疲労感。
このままだと授業中に眠ってしまいそうだったので、保健室で少しの間休息を取る事にしたのである。
「ふぅ、じゃありませんよ後輩君。何を勝手に人のベッドを占領しているんですか」
見ると、隣のベッドに座る花車先輩が咎める様な視線をこちらに向けていた。
「先輩のじゃないでしょ。このベッドは学校の物です」
「この学校は私の物です」
「花車先輩のそれは冗談に聞こえませんね……」
事実、彼女は学校を裏から牛耳っている。
校内に潜む「働き蜂」共を統率する女王蜂。それが花車ゆいという少女だ。
「それで、今回は誰の情報が欲しいのですか?」
彼女ならばもう既に分かっているのだろうが、僕は形式上、問いの答えを口にする。
「桜庭優雅です。昨日、告白
「告白紛いですか?」
「あ、そこは気にしないで良いです」
あんな
花車先輩はそこを追及したい様子だったが、僅かな間を置いてその欲を押し込んだ様に小さく頷いた。
そして彼女は膨大な知識の棚から僕が求めた情報を取り出し、口を開く。
「一年五組、桜庭優雅さん。カトリック系のお嬢様学校である
桜架女学院中学校と言えば、国内でも有数のお嬢様学校。キリスト教の教えに基づいた教育方針を行い、高い学力とマナーや身だしなみなどの品格や個性を大切にする教育方針を掲げている事で有名だ。
あの桜庭優雅という少女の優美な表面はそこで培われたという訳か。
「圧倒的な善人で、どんな人にも心優しく接してくれる聖母の様な人格者。一学期の中間テストは全教科満点。体力テストも運動部の人たちを押しのけて全種目トップ。つまり成績優秀、スポーツ万能、文武両道の権化という訳ですね。どこからどう見ても完全無欠な完璧超人。それが桜庭優雅さんという人間です」
花車先輩は淡々と桜庭の詳細について語った。
桜庭優雅……。彼女もまた、薔薇園や百合宮とは異なる意味で人間離れしている。
「まぁ、これらは全て彼女の表面に対する評価に他なりません。その内情は私にも預かり知る事は不可能です」
見透かした様に先輩は言う。
彼女は何処まで見通しているのだろうか。
まさか、桜庭のあの変態性も見抜いてしまっているなんて事が……。
いや、流石に花車先輩といえども、桜庭の本当の姿を見れば平静を保ってはいられないだろう。
「今度は桜庭さんですか。三人目ともなれば手慣れたものだとは思いますけれど、充分に注意して下さいね」
「注意、ですか?」
「はい。桜庭さんからはただならぬ何かを感じます。私の働き蜂たちも何人か彼女に取り込まれてしまいましたから」
伏し目がちに告げる花車先輩。
しかしそんな事が有り得るのか。かの花車ゆいの支配を上書きできるほどの才覚。
それは一体どんな恐ろしい力なのか。
僕が考えていると、花車先輩がおもむろにベッドから立ち上がり――そして倒れ込む様にして此方のベッドへと侵入してきた。
現状を一言で表すならば、先輩に添い寝されているという形。
「圧倒的な人望は、利害関係の首輪を簡単に壊してしまいますからね。仕方のない事です」
先輩の声は何処か切なさを帯びていて。
「それでも、私の愛しき後輩君は最後まで私の味方でいてくれますか?」
耳元で花車先輩が囁く。
それは甘美な花の蜜。
誰しもが一度味わえば逃れられない。
「愚問ですね。僕は一生、花車先輩の奴隷ですよ」
僕は一切の迷いなく告げた。
どれだけの人と出会おうとも、その一点だけは変わらない。
何処まで行っても花車ゆいは僕の主人で、僕は花車ゆいの奴隷なのだ。
「ふふ、後輩君ならそう言ってくれると思っていました」
先輩は小さく微笑む。
そして、不意に僕の頬に柔らかい何かが触れた。それが少女の唇だという事を理解するのに一秒もかからない。
ガタガタと大きな音を鳴らして、僕はベッドから転がり落ちる。
「な、何を……!」
「何って、愛しき後輩君の頬にキスをしただけですが?」
異世界転生物の主人公の如く彼女は言い放つ。
だが発言とは裏腹に、やっている事はただのキス魔だ。
「私からのささやかな贈り物です。桜庭さんの攻略、頑張ってくださいね」
妖艶な笑みを浮かべる花車先輩。
「はい、頑張ります……」
僕は頬を押さえて、ただ茫然と呟く事しかできなかった。
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