第19話 朝、僕は妹の尻を叩く

 後に園芸部となった時に使用する予定の教室で、僕は百合宮による尋問を受けていた。


「それで……鬱金くんは放課後の視聴覚室で、後輩の女子と一体何をしていたのかしら?」


 パイプ椅子に足を組んで座っている百合宮。

 対して僕は硬い床の上で正座させられていた。


「何で僕だけ……!」


 思わず言葉が零れる。

 桜庭は百合宮が現れた瞬間に逃走した。

 彼女の逃げ足の速度は素晴らしく、優秀な身体能力を遺憾いかんなく発揮していた。

 そして一人取り残された僕だけが、こうして百合宮から問い詰められているという訳である。


「桜庭さんには後日話を聞くつもりよ。だから正直に話して。お互いの意見を聞いてから判決は下すつもりだから」


 少しだけ緊張の糸を緩めた様子で百合宮は言う。

 一応、まだ弁解の余地はあるようだ。ならば、まずは百合宮の誤解を解くところから始めなければならない。

 僕は放課後から百合宮に発見されるまでの間で起きた出来事を説明した。


「…………うん、なるほどね。分かったわ」


 百合宮は静かに首肯する。

 そして彼女は口を開いた。


「死刑ね」

「そんな馬鹿な!?」


 僕は全身を大きく使って全力で反駁はんばくする。


「死刑よ」

「そんなサクッと二回も極刑を下すな!」


 圧倒的オーバーキル。死体蹴りもはなはだしい。


「だって私、正直に話してって言ったわよね。今の話を聞く限り、あの優等生として名高い桜庭さんが変態みたいな言い草だったじゃない」

「そうだよ! その桜庭さんが変態だって話をしてたんだ僕は!」


 頭の頂点からつま先まで、そして脳内までピンク色に染まり切った淫乱いんらん少女。

 僕はそれに襲われたという事実を話しただけだというのに。

 変態に当て逃げされただけだというのに。


「到底信じられないわ……。それに、そもそも変態の枠はもう鬱金くんで埋まっているじゃない。一つの作品に変態枠は二人もいらないわよ」

「安心しろ百合宮。仮に僕が変態枠だとしても桜庭はド変態枠だ」

「むしろ一切の予断を許さない状況になったわね」


 百合宮が神妙な顔つきになる。

 それもそのはず。風紀委員として、校内に潜む変態とド変態を見過ごす事は出来ないだろう。


「……取り敢えず、鬱金くんの処遇については一旦保留しておくわ。桜庭さんからの話も聞かないといけないもの」

「ああ、助かるよ」

「ただ……ここで気を抜くのはお勧めしないわ。有罪が確定した時の死刑執行人は薔薇園さんか、ゆい先輩のどちらかに頼むつもりだから」

「それはそれは、我が花咲高校は人材が豊富な事で……」


 処刑担当が完備されている高校とか嫌すぎる。


「でもここは鬱金くんに好きな方を選んでもらうの良いかもしれないわね。さしずめ、ポケットモンスター暴力・脅迫といったところよ」

「天下の任天堂様はそんな血生臭い選択肢用意しねぇよ!?」


 CEROレーティングがZのポケモンとかもっと嫌だ。それこそ18禁じゃないか。


「精々、判決を震えて待っていると良いわ」


 そう告げる百合宮の声音には、氷の女王と呼ばれていた時の冷酷さが顔を覗かせていた。





 翌朝。

 時刻は五時四十五分。

 僕の朝は早い。朝が滅法めっぽう弱い家族を起こさなければならないからだ。

 諸々もろもろの準備を終えて、時刻は六時。

 まずは両親から起こす。


「ほら、ご両親! 今日も今日とて労働ですよ!」

「起こし方最悪~」

「気分が滅入る~」


 愚痴を零しつつも二人はのそのそとベッドから這い出てきた。

 僕はそれを確認した後で次の部屋へと向かう。


「おーい、くらむちゃん。朝だぞー!」


 布団に包まったままの妹へ向けて声を掛ける。

 しかし反応はない。

 仕方ないな。

 僕は布団の端を掴み、そして勢いよく引き剥がす。

 そこにはTシャツ姿で眠るショートボブの少女がいた。


「んー、まぶし」


 大きめな枕を抱きしめた状態で丸まっている眩。

 彼女が着ているのは「プテラノ丼」とかふざけた文言がつづられたオーバーサイズのTシャツだけで。

 水色の下着が丸見えになっている。


「起きろ妹よ。もう朝だぞ」

「あと、五分……」

「駄目だ。起きろ」

「ん-、あと時分じぶん……」

「それだとお前の匙加減になるだろうが!」


 最終的に僕は眩が抱きかかえていた枕を強奪する。


「ぐあああ、めんどーい」

「学校なんて休んだら休んだで面倒なんだ。大人しく起きろ」

「お兄ちゃん、抱っこして?」

「お前は何歳だよ。もう中学三年生だろ」

「やだやだやだ! 抱っこ!」


 中学生の幼児退行とは、朝からカロリーが高い。

 両腕をこちらに伸ばして駄々をこね続ける眩を見て、僕は深いため息を吐いた。

 こうなれば、この妹は梃子てこでも動かない。

 妹のわがままを聞き入れるのも兄の務めか……。

 半ば諦めに近い感覚を覚えつつも、僕は眩へと手を伸ばす。


「よいしょ……。じゃ、行くぞー」

「あの、お兄ちゃん」

「ん?」

「この運び方は、米俵こめだわらか人さらいかの二択だとおもうんだけど」


 眩が戸惑いを含んだ声で告げた。

 僕の今の状況としては、右肩に眩の身体を担いでいる状態。

 つまり、僕の顔のすぐ右側に妹の尻があるという状態だった。


「…………」


 ――ぺちん。


「ちょっと!? 今なんでお尻叩いたの!?」

「いや、そこに尻があったから」

「そんな理由で妹の尻を叩くなぁ!」

「わがまま言った罰だ。大人しく受け入れろ」


 ぺちん、ぺちんと。尻太鼓の如く妹の白い尻を叩く。


「ごめん、ごめん! ごめんなさい! ちゃんと自分で歩くから降ろしてぇ!」

「はははっ。喚け喚け! 兄の偉大さを思い知れ!」


 朝っぱらから中学生の妹の尻を叩く男子高校生の姿がそこにはあった。

 ――というか、僕だった。





 現在時刻は午前七時三十分ごろ。

 我が鬱金家の家を出る順番は、両親が一番早く、その次に僕、最後に眩ちゃんという並びだ。


「じゃあ、先に行くから戸締りは宜しくな」

「ふぁーい」


 パンをかじりながら返事をする眩。

 僕はその声を背に浴びつつ家を出た。

 煌々と光り輝く朝日に目を細めながら、学校へと向かおうとしたその時。



「――おはようございます、薫先輩」



 記憶に新しい声が聞こえた。

 声の主は推測するまでも無い。

 昨日、僕を襲撃したばかりのド変態。そう、桜庭優雅さくらばゆうがが立っていた。

 桜色のリボンで結われたツインテールがひらりと揺れる。


「お前、どうやって僕の家を……!?」

「先生に聞いたら普通に教えてくれましたよ?」


 然も当然であるかの様に告げる桜庭。

 やはり、こいつは花車先輩の「働き蜂」と同等の情報収集能力を持っている。あちらが主従関係によってつくられたネットワークに対して、こちらは単なる人柄によってつくられたえにし

 圧倒的なまでの人誑ひとたらし。

 花車ゆいと似て非なる存在。


「何しに来たんだ?」


 警戒心に満ちた視線を向けて問う。

 しかし彼女はその問いにすぐには答えず、代わりに僕の左腕へするりと抱き着いてきた。


「――一緒に登校しましょ?」


 優美な微笑みを湛え、上目遣いで尋ねてくる桜庭。

 クソっ。こいつが僕を凌ぐレベルの変態じゃなかったら素直に喜べたというのに……!

 僕は奥歯を強く噛み締めた。そしてワンテンポ遅れて左腕に伝わる温かくて柔らかな感触に気付く。


「あの、桜庭後輩? 腕に胸が当たっているんですが……」

「当ててるんですよ」


 にやりと笑う桜庭。


「何なら揉みます?」

「揉まない。今朝方、妹の尻を叩いたばかりだ」

「流石、薫先輩。朝から精が出ますね」

「何かお前が言うと全部卑猥な言葉に聞こえる」

「この場合は卑猥な方でも構わないのでは?」


 爽やかな早朝にちっともそぐわない、何とも下品な会話だった。


「さ、行きましょう! 薫先輩!」


 快活な笑顔を浮かべて、桜庭は僕の腕を引く。

 観念した僕は、半ば彼女に引きずられるようにして学校へと向かったのだった。

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