第17話 純白で潔白で清白なお姫様

『愛しき後輩君へ。愛は全てを熔かすんだにゃん』


 そんなふざけた語尾のアドバイス。

 しかしその意味は凡夫たる僕でも簡単に分かった。

 ――守護。それが百合の花の異常。

 それは彼女が純白で、潔白で、清白で在り続ける為の盾。あらゆる害を跳ね除ける防御壁である。


「薔薇園、お前の熱であの壁を熔かして欲しい」


 薔薇園烈華が有する開花症候群の本質は、全てを熔かし尽くす程の熱だ。

 愛を求めるが故に発された熱。であるならば、それは百合宮にとって害意とはなり得ないはずだ。むしろ、その熱は百合宮の壁と同種の物。二つは愛情の欠乏によって発現した物なのだから。

 なら、干渉出来るはずだ。

 熔かせるはずだ。

 この心の壁を。

 異常には異常で対抗する。

 それが我が花咲高等学校園芸部の活動方針だ。


「出来るか?」

「分かんないけど、やってみる」


 薔薇園は球体に向けて両手をかざした。

 空気が徐々に熱を帯び始めて。

 ――変化はすぐに現れた。

 薔薇園の発する熱は、百合宮の壁を着実に熔かし始めていたのだ。

 けれど直系十五センチ程の穴が開いたところで、薔薇園がふらりと地面によろめいてしまう。


「薔薇園!」


 彼女の身体を抱き留める。

 平熱よりも幾らか高い体温。だが大丈夫だ、暴走していた時程の高熱ではない。


「ご……ごめん。ちょっとだけしか、熔かせなかった……」


 疲弊した様子で彼女は言った。

 薔薇園の開花症候群は、彼女の肉体そのものに影響を及ぼす。まだ花の力を使い慣れていない薔薇園は、すぐに限界を迎えてしまったのだろう。


「いいや、充分過ぎる位だよ。後は僕に任せろ」


 自信に満ちた笑みを浮かべ、僕はそう言ってみせる。


「ん、後はよろしく……」


 ぐったりとした薔薇園をそっと床に寝かせた。

 穴が開いたのであればもう、酸素の心配はいらない。ならばお得意の説得が出来る。

 ――言葉で百合宮を攻め落とす。

 そんなギャルゲーの主人公みたいな覚悟で、僕は百合宮潔璃と対峙した。





「百合宮、聞こえるか?」

「……私はただの欠陥品。愛し方も、愛され方も知らないの……」


 こちらからの問い掛けに彼女はただ小さく呟く。


「愛し方なら、お前はもう知ってるだろう」


 僕の言葉に百合宮が僅かに目をまたたかせる。

 その時、シュレディンガーが勢いよく透明の壁に向かってジャンプした。そして薔薇園が明けた穴からするりと壁の内側へと入り込む。


「少なくとも賢いシュレディンガーにはちゃんと、お前からの愛は伝わっていると思う」


 殻の中に降り立ったシュレディンガーは、飼い主である百合宮の右手に頭を擦りつけている。まるで自分がずっと傍にいる事を伝えようとしているかの様だった。


「……でも、私は愛され方を知らないわ……」

「愛され方なんて分からなくてもいいさ。園芸部は僕が勝手に愛でるだけだ。お前はお姫様の如く、僕や薔薇園に手放しで可愛がられていればいいんだ」

「そんな事、私に許されるの……?」

「勿論。僕が許可する」


 不安そうに尋ねる百合宮へ正面を切ってそう告げると、彼女は固い結び目を解いたみたいに顔をほころばせた。


「全く、どんな権限を持ってるのよ……」

「百合宮みたいな愛らしい美少女を愛でる権利だ」


 僕は殻に開けられた穴へ向かって手を伸ばす。


「良いから、大人しく僕の魔法に掛かっちまえ。僕がお前を誰よりも幸せなお姫様にしてみせるから」


 百合宮はその言葉を受け、僅かな間逡巡する。

 感情が揺れ動いた後に、彼女は静かに頷き――そして僕の手を握った。


 ――その瞬間、彼女を覆っていた殻が音を立てて崩れ去っていく。


「鬱金くん、貴方が私の魔法使いになってくれるの?」


 うさ耳のお姫様が小首を傾げる。


「ええ。ドレスもかぼちゃの馬車も、お望みであればガラスの靴だってご用意して見せますよ、お姫様」


 僕はうやうやしく片膝をついて、百合宮にかしずいてみせた。


「ふふっ、やっぱり鬱金くんは本物の魔法使いだったみたいね」


 ――純白。


 ――潔白。


 ――清白。


 一つも仮面を被っていない、本来の百合宮清璃がそこにはいた。





 ――翌日の朝。


「さて、今回も愛しき後輩君は無事に百合宮さんを攻略する事が出来た様ですね」


 ベッドの上に腰かけている花車先輩。

 僕と百合宮は早朝から保健室を訪れていた。


「まるで僕がギャルゲーの主人公みたいな言い草ですね。僕はしがないラブコメの住人ですよ」

「そこまで大きな差は無いでしょう。媒体が違うだけで」


 メディアミックスが主流な現代。

 その媒体の垣根も薄れつつはあるのだけれど。まぁ、今はどうでもいい話だ。


「では早速、百合宮さんの花の調整を行いましょう」


 花車先輩もまた開花症候群を患っている事、そしてその花の力を用いて、僕や薔薇園の開花症候群を調整してもらった事は既に百合宮へと伝えてある。


「百合宮さん、此方に屈んで頂けますか」


 名前を呼ばれ、百合宮が花車先輩の目の前でひざまずく。

 完全に既視感を覚える構図。

 さて、百合宮はどんな反応を見せるのだろうか。僕は内心でワクワクしていた。


「では、失礼しますね」


 花車先輩が百合宮の艶やかな前髪に触れ、その額に口づけしようとして――。


 ――ガツン。


「いてっ……」


 結果から言うと、先輩の口づけは失敗に終わった。

 花車先輩の桜色の唇が、陶磁器の様に滑らかな百合宮の額に触れる直前、不可視の壁によって阻まれたのである。


「す、すみません……! 勝手に壁が……」

「いえ、大丈夫ですよ。それを調整するのが私の役目ですから」


 慌てる百合宮。

 それに対して花車先輩は落ち着いた口調で答える。平静を装っている様だが、額を抑えている手の隙間からは潤んだ瞳が見て取れた。

 ……結構、痛かったっぽいな。

 込み上げる笑いを何とか抑え込む。


「……後輩君、見えてますからね」

「ハンカチでも貸しましょうか?」

「お気持ちだけで充分です」


 制服の袖で涙を拭う花車先輩。

 そして彼女は再び百合宮へと視線を注ぐ。


「流石に、額へのキスは人を選ぶ様ですね……」

「すみません。風紀委員としての本能が働いてしまったみたいで……」

「不純同性交友までは校則では禁止されていなかったと思いますけれど」

「不純な時点で風紀的にアウトです、ゆい先輩」


 百合宮があの花車先輩に向かって臆する事なくツッコミを入れている。どうやら彼女もまた、僕と同じ役割を担えそうなポテンシャルの持ち主の様だ。


「ならば、こういうのは如何でしょう」


 すっかりいつもの調子に戻った花車先輩が、百合宮の右手を優しく掴み上げる。

 そしてそのまま手の甲へと口づけをした。

 百合宮の顔が真紅に染まる。


「おや、これはこれは。あの鉄壁の風紀委員様が随分と乙女らしくなりましたね」

「か、揶揄わないで下さい……。これ位、何ともありませんから」

「なるほど。百合宮さんはこんな事では動じないと……」

「当然です」

「――はむ」


 花車先輩が不意に百合宮の右親指を噛んだ。


「あぁ、うあああああああまがみいぃぃぃ……」


 薔薇園(幼女)に迫られた時と同じ、出来損ないの悲鳴を上げながら後ろへと倒れていく百合宮。


「何してんだあんた!?」


 花車先輩を思い切りあんた呼ばわりしながら、僕は百合宮の身体を受け止める。

 見れば、先輩は不思議そうに小首を傾げていて。


「百合宮さんの目が見えなくなっても、私の噛む力で私だと分かる位に覚えてもらおうと思ったのですが……」

「どこのデビルハンターだよ!?」


 しかも、それをやるならば相手は僕だろう。

 せっかくの主従関係が台無しである。


「鬱金くん、シュレディンガーの事は頼んだわよ……」

「死ぬな百合宮ぁ!」

「後輩君、此処は保健室ですのでお静かに」

「要救護者を目の前にして言う事がそれですか!? 大体、百合宮がこうなったのは先輩のせいですよ!」


 百合宮を抱きかかえながら訴える僕。

 それに対して花車先輩は「んー」と考える素振りを見せて――。


「許して欲しいにゃん?」


 あざとさマックス。

 いつものお淑やかな花車先輩にしては珍しい快活な笑顔。

 ポーズも完璧。


「ごふっ……」

「百合宮ああああぁぁ!」


 完全に百合宮の体力ゲージがゼロになった瞬間だった。





 ――廊下の突き当り。

 その教室の扉には園芸部(仮)の看板が掛かっている。

 扉を開けると、そこには鮮烈たる少女がいた。


「無事に調整は出来たみたいだな」

「まぁ、一回百合宮が死にかけたけどな」


 僕は薔薇園にそう言葉を返しながら部屋の中へと入る。

 そして、入り口で立ち止まったままの百合宮へと振り返った。


「歓迎するよ、百合宮。此処は花咲高等学校園芸部――」


「僕が愛らしき花々を愛で――」


「――お前が愛される為の場所だ」


 僕は手を差し出す。


「もう、怖がらなくていいぞ。此処にはお前を傷つける物は何も無い」


 百合宮はその小さな手で僕の手を握る。

 彼女は自身の足で、新たな一歩を踏み出した。



「――ありがとう」



 そう告げる百合宮の顔には、屈託のない笑顔が浮かんでいた。

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