第16話 にゃあで始まり、ぴょんを挟んで、にゃんで終わる
リビングに設置されたローテーブル。
それを挟む形で僕たち二人と百合宮は向かい合って座っていた。
「にゃあ」
「……にゃ?」
隣の薔薇園はシュレディンガーと名付けられた黒猫を抱き上げ、そして見つめあっていた。
可愛いと可愛いのコラボレーション。やはり天然物は別格だな。この尊さなら、軽く二リットルは吐血出来そうだ。
僕はテーブルの向こう側に座る百合宮へと視線を移す。
直前まで彼女は着替えさせてくれと絶えず懇願していたが、僕と薔薇園が頑としてそれを認めなかったので、最終的にそのモコモコルームウェアで話し合いの席に着く事となっていた。
「百合宮さん」
「はい……」
「僕はそのルームウェア……か、可愛いと思うぴょん……ふっ……」
「うわああああああ!」
笑いを堪えつつ言い放った言葉を聞き、百合宮は両手で顔を覆い隠して床をごろごろと転がった。
しばらくしてから僕は口火を切る。
「まぁ何だ、三日間も学校を休んでたから心配になってお見舞いに来たんだよ」
「お見舞いにしては随分と強引だったと思うのだけれど」
「心配する気持ちが行き過ぎたみたいだな」
「物は言いようね……」
恥辱から何とか復活した百合宮。
勢いよく起き上がった反動でフードが被さり、うさ耳が垂れている。
――うわ、可愛い以外の言葉が出ない。
僕は自身の語彙の貧弱さを呪う。
今、この広大なリビングは可愛いで飽和し切っていた。
耐えろ、僕の身体と理性……!
今すぐにでも写真を撮りまくりたいという衝動を、舌を噛んで抑え込んだ。
「それで、何で学校を休んでたんだ? また体調を崩したのか?」
僕が問うと、百合宮はその垂れ下がったうさ耳を両手でぎゅっと握り締める。
「出られなかったのよ……」
「出られなかった?」
「そう。この三日間、私は部屋の外に出られなかったの」
百合宮は静かに、彼女が学校を休んだ三日間に起きた出来事を語り始めた。
「貴方たちに助けられた次の日、普段通り学校へ行こうとしたわ。けど、制服に着替えて外に出ようとした瞬間、壁に弾かれた。無色透明な壁に行く手を阻まれたの」
――不可視の壁。
それは百合宮が罹った開花症候群の異常のはず。その力の詳細までは知らないが、彼女は花の力を任意に使用出来ていたはずだ。
「ここからは少しも面白くない過去の話になるけれど、それでも聞く?」
百合宮が問う。
「愚問だな。僕は――」
「鬱金は可愛い女子の話ならお金を払ってでも聞くぞ」
薔薇園が僕の答えを継いだ。
隣を見ると、鮮烈たる少女がしてやったりみたいな顔で笑っていた。
「まぁ、そういう事だ」
「そう……でもお金は必要ないわ。腐る程あるもの……」
シュレディンガーを自身の膝の上に乗せて、百合宮は話し始めた。
「私の両親は仕事に生きている様な人間なの。俗にいうワーカーホリックってやつよ。だから気の迷いで結婚して子供を作ったまでは良かったけれど、そこからはお互いに距離が離れていく一方だった。結局、二人は高校生になった私をこの家に置いて、それぞれ別の国に行ってしまったわ」
優しい手つきで、シュレディンガーを撫でる百合宮。
シュレディンガーは気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。
「……私は欠陥品よ。誰にも愛情を向けられた事の無い人間
――役割。
他者を隔絶し、風紀を正す。
そんな風紀委員の仕事が、彼女にとっての役割。
――氷の魔女。
――絶対女王。
――歩く校則。
――鉄壁の風紀委員。
こうした彼女に付けられた異名たちは全て、百合宮潔璃という少女が自身の欠陥を隠す為に被っていた仮面だったという訳だ。
「でも私がそうやって、自分の役割を果たすだけの生活を繰り返していく内に、他者からは酷く疎まれる様になったわ。今思い返せば当然の事よね。風紀委員なんて、他の生徒にとっては邪魔な存在でしかないんだから。陰口を叩かれるなんてのは当たり前で、靴を隠されたり、教科書をボロボロにされた事もあったわ……。そう……、その時になって初めて親が金持ちで良かったって思ったわね。だって使えなくなったらまた買い替えればいいだけなんだもの」
自嘲気味に笑う百合宮。
「そうやって他人からの悪意が表面化していっても、私は風紀委員としての仕事を辞められなかった。そうする以外に私は生き方を知らなかったから」
シュレディンガーが百合宮の膝上からひょい、と床へ降り立った。
彼の背を撫でていた百合宮の右手が所在なく空を切る。
――皮肉な話だ。仕事にしか生きられない両親のせいで、彼女もまた親と同じ生き方を辿ってしまっているのだから。
「それで、あれは一年生の秋だったかしらね……。私が上級生の男子に注意した時、殴られそうになったの。その時に初めて異常が出現したわ。あの時の彼の化物を見る様な目が、今でも鮮明に思い出せる……」
百合宮の瞳が揺れる。
「……それなのに貴方たちは私みたいな人間
僕はその言葉でようやく理解した。
百合宮の開花症候群の本質は拒絶ではない。
――防衛だ。守護と言い換えてもいい。あくまでも隔絶や拒絶といった属性は付随的な物。
百合宮潔璃という少女はただ、最初から自分自身を守ろうとしていたのだ。
欠陥品である自分をあらゆる害意から守る為に、彼女の開花症候群は花開いた。異常を有した百合の花が心に咲いてしまったのだ。
三日間も外に出られなかったのは、潜在的に自身を守ろうとしていたからだろう。
学校に行けば、また風紀委員を遂行しなければならない。その為には、自身の心を蔑ろにしなければならないのだから。
「私は人間にも、歯車にもなり損ねた中途半端な存在よ。こんなどっちつかずの私を必要とする場所なんて何処にも無いの……」
百合宮が哀し気な声でそう呟いた時――。
――新たな異常が発生した。
ガラスの様な透明な壁によって、百合宮の身体が包まれていく。
一瞬にして、彼女の身体は完全にその透明な球体で覆い隠されてしまった。シュレディンガーがにゃあにゃあと鳴きながら、球体を引っ搔いている。
「薔薇園!」
「分かってる!」
僕が名前を呼ぶと同時に薔薇園は動いていた。
水晶玉の破壊を試みて、彼女の右拳が振り抜かれる。しかし、水晶玉にはひび一つすら入らなかった。
「無理だ、割れない」
「薔薇園で無理なら僕じゃ試す価値も無いな」
我が園芸部(仮)の戦闘担当である薔薇園でも割れないとなれば、物理的な破壊は不可能だ。
どうすればいい?
僕は平凡な思考回路を巡らせる。
だが解決策は中々見えてこない。
「鬱金、悩んでる時間は無いみたいだぞ。この球体、多分だけど完全に密閉されてる」
薔薇園が冷静に報告してくる。
密閉された空間。であれば、酸素が時間経過につれて減少していく事は容易に理解できた。
残された時間は短い。
「取り敢えず、花車先輩に……!」
そう思ってスマホを取り出そうとした瞬間、彼女が通信機器の類を持っていない事を思い出す。
こんな時に限って、あの人に頼れないとは……。
かさり、と。ポケットへ入れていた右手に何かが触れる。
取り出すと、それは百合宮の部屋番号が書かれていたメモ用紙だった。
何の気なしにメモの裏側を見ると――。
『愛しき後輩君へ。愛は全てを熔かすんだにゃん』
たった一言。
それだけが綴られていた。
全く……あの人は何処までを見通しているのか。
末恐ろしい。
僕は薔薇園を見据える。
「薔薇園」
「ん?」
「園芸部(仮)、初めての活動だ。力を貸してくれ」
僕の言葉に鮮烈で、苛烈で、熱烈な少女はただ薄く微笑んで。
「――当たり前だ」
そう気丈に答えたのだった。
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