第14話 世の男子は皆、魔法使いの素質を持っている
「本当に大丈夫か?」
玄関先で、帰る準備を整えた百合宮へと薔薇園が心配そうな声で
「え、ええ。熱は引いたから大丈夫よ……。お世話になったわね」
百合宮は伏し目がちに答えた。
確かに熱は引いたのだろうが、回復しかけていた所を薔薇園(幼女)によってトドメを刺されかけていたので、実際の百合宮の体力ゲージはゼロに近しいだろう。
薔薇園はその猫を彷彿とさせる大きな瞳を僕へと向ける。
「じゃあ、鬱金。
「任せろ。僕が命を賭けて百合宮を送り届ける」
「私の帰宅経路はそんな危険じゃないわよ」
そんなツッコミを受けながら、僕たちは薔薇園家を後にした。
現在時刻は午後九時十一分。
僕と百合宮は微妙な距離感で、白色の街灯が照らす夜道を歩く。
「――鬱金くん」
「はい?」
不意に声を掛けられて、僕は百合宮の横顔を見た。
彼女の顔には不安気な色が滲んでいて。
「あの、今日の事だけど……」
「薔薇園に馬乗りされた事か?」
「ち、違うわよ! それはまぁ、良い思い出だったけれど」
素直でよろしい。
僕も薔薇園に迫られて取り乱す百合宮という面白い絵面を見られたので良かったと思う。
「交差点での事よ。信号機が倒れてきた時の……」
百合宮は躊躇った様に言い淀んだ。
だが反対に、僕は努めて明るい声で言葉を返す。
「ああ、あれか。ありがとうな。僕を助けてくれて」
「え……」
「倒れてくる信号機を止めてくれたの、百合宮だろ? 流石の僕でも信号機を受け止めるのは無理だからな。助かったよ」
「違うわ、助けられたのは私で……。って、鬱金くんは何とも思わないの……?」
「何が?」
「だ、だって……おかしいとか思わない訳? 普通なら、あんなの有り得ないじゃない……!」
――普通。
普遍で通常的。
未だかつて、僕は普通の人間など見た事が無い。
人は皆、大なり小なり異常を抱えているものだ。
「そうか? 物を弾く位よくある事だろ。つい最近、全部熔かし尽くすみたいな女子高生と知り合ったばかりだし」
「貴方、何処のバトル漫画の住人なの……?」
百合宮が本気で不思議そうな顔をしている。
「僕は折れた信号機すら受け止められない様な、しがないラブコメの住人だよ。それに、うちの戦闘担当ならもう既にいるしな」
僕は鮮烈で、苛烈で、熱烈な少女の事を思い出す。
薔薇園ならばそこら辺のバトル漫画に放り込まれても中々良い活躍を見せるだろう。
――赤信号。
今度は危なげなく、二人並んで立ち止まった。
「……そして、そんなラブコメの住人はちょっとした魔法が使えたりする」
僕は百合宮に向けて、冗談めかした声を向けた。
まぁ、
目の前で信号を待っていたサラリーマンの肩を叩く。
「これ、落ちてましたよ」
声を掛けると同時に、僕は男のズボンのポケットからするりとハンカチを盗み取った。これもまた履歴書には書けない特技の一つ。
そして抜き取ったその黒いハンカチを、あたかも拾ったみたいな顔をして彼に手渡す。
「え、ああ……悪いね。ありがとう」
生真面目そうな、角張った眼鏡を掛けたサラリーマンがそのハンカチを受け取った時。
僕は彼の耳元にそっと口を寄せ――。
「……そこの横断歩道をスキップして渡って下さい」
それだけを小声で告げて、すぐに百合宮の隣へと戻った。
「何をしていたの?」
「少し、な」
百合宮からの質問を適当に誤魔化す。
そして問いの答えの代わりに、彼女へこれから起きる事象についての説明を行う。
「今から僕があのサラリーマンに楽しくなる魔法を掛ける。この魔法に掛かれば、あの人は楽しい気持ちになって横断歩道をスキップしながら渡るはずだ」
「スキップって……、あの真面目そうな人が?」
「まぁ見てろ」
――信号が青に変わる。
信号が切り替わった瞬間に
「嘘……」
百合宮が心底驚いた様な声を漏らす。
どうやら精神干渉の異常は、正常に発動してくれたようだ。立派な成人男性がスキップで移動している姿というのは中々奇異な図ではあるけれど、その目撃者は僕と百合宮の二人だけ。
彼の社会性や体面は保たれる様に配慮はしてあるので、そこは心配いらない。
「鬱金くん、貴方……本物の魔法使いなの?」
百合宮の小さな子供の様な、あどけない顔がとても印象的だった。
「ふはっ」
「な、何よ……!? 馬鹿にしているの?」
「違う違う。お前ら、揃いも揃って幼稚園児みたいな顔するなと思って……」
笑いながら横断歩道を渡る。
僕は道すがら、百合宮へ開花症候群について説明した。
彼女は話の節々で驚く素振りを見せてはいたが、概ねの内容は呑み込めた様で「そんな病気があったのね……」と、小さく呟いていた。
「まぁ、世間的に見れば都市伝説じみた噂話でしかないんだけどな。でも開花症候群は実在するんだ。さっきのを見ただろ、あれは僕が鬱金香の異常――精神干渉の異常を発生させて起きた結果だ」
魔法の種を明かす。
精神干渉とは、簡単に言ってしまえば洗脳だ。他人の意思を操作し、自身の思いのままに操る力。
成人男性をスキップさせる程度であれば容易い。
「鬱金くん。貴方、前に園芸部を作ると言っていたわよね。それはこの開花症候群と何か関係があるのかしら?」
「いや? 園芸部はただ僕の私利私欲の為だけに創ろうとしてる部活だ」
「そこは嘘でも何か理由を付けなさいよ」
百合宮からの鋭い指摘が飛んだ。
――園芸部。
それは僕が僕の為に、愛らしい花々を愛でる為に創ろうとしている部活。
美しい花たちが、その美しさを発揮する為だけの場所。
一輪一輪の花が愛される為の場所である。
「百合宮も入るか? まだ僕と薔薇園しかいないからな、絶賛部員募集中だぞ」
あくまでも気軽なテンションで、僕は百合宮に問いかけた。
「私は……」
気が付けば、百合宮が住んでいるというマンションの前までやって来ていて。
彼女の顔を暖色の照明が柔らかく照らす。
その無機質なまでに端正な顔には、明らかな戸惑いの色が浮かんでいた。
しかしその表情の揺らぎも一瞬で。
百合宮は学校でよく見せていたあの突き放す様な視線で僕を見る。
「お誘いは有難いけれど、私は入らないわ」
冷え切った金属の様な、硬質な声音。
そして百合宮はそのまま足早にマンションの方へと歩いていってしまった。
「今回の攻略は一筋縄じゃいかないか……」
人知れず、僕は呟く。
――その日から三日間。百合宮は学校に来なかった。
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