第12話 接しやすい変態をモットーに
我が花咲高等学校から少し離れた場所に位置する閑静な住宅街。
似たり寄ったりの一軒家たちが建ち並ぶその中で、一際異彩を放つ日本家屋が存在を明々に主張していた。
「いらっしゃい」
馴染みのある赤いパーカーに黒色のショートパンツというラフな部屋着姿で登場した薔薇園。
制服とはまた違った、その緩い雰囲気の服装にドギマギする僕。
「あ、あぁ。悪いな、急に連絡して」
「別に構わないよ。今はこの家にあたし以外いないから」
さらりと薔薇園はそんな事を言ってのける。
クソっ、この台詞はラブコメで言う所の確定演出だというのに……!
だが駄目だ。今の僕は百合宮を背負っている。僕の一時の煩悩に流されている場合ではない。こんな特殊な状況下で発展するフラグなど存在しないのだ。
「早く上がりな。熱があるんだろ」
薔薇園が百合宮へと視線を注ぐ。
「そうだな」
僕は薔薇園に促されるまま家へと上がった。
これは人間にとっては小さな一歩だが、僕にとっては初めて女子の家へと上がったという実績を解除した、偉大な一歩だった。
長い廊下を進み、和室へと通された。
薔薇園が敷いてくれた布団に百合宮をそっと寝かせる。彼女は依然として苦しそうな表情をしていて、時折小さく呻いていた。
「取り敢えず、百合宮の意識が戻るまでは此処で寝かせておいてもらえるか?」
「いいよ。熱の辛さはあたしもよく知ってるからな」
薔薇園は目を細める。
彼女は熱の異常を有した少女だ。その過去から、発熱した時の苦しさは良く知る所なのだろう。
「少し待ってろ。確か熱さまシートが棚にあったはずだから取って来る」
そう言って薔薇園は和室を出て行った。
僕は百合宮の横に腰を下ろす。彼女の額に触れようとした瞬間――。
「持ってきた」
「早すぎだろ!?」
薔薇園が和室を出ていってから僅か二秒。彼女は再び和室に戻って来た。
一体どんな経路を辿れば、これまで通ってきた長い廊下を二秒で行き来できるのだろう。
「体調不良で弱った女子がいる部屋に、三秒以上も鬱金を放置できない」
「僕への信頼はゼロなのか薔薇園!?」
「信頼しているからこその判断だけど」
「僕はそんな鬼畜変態野郎じゃないぞ薔薇園ぉ!?」
魂からの叫びだった。
接しやすい爽やかな変態をモットーに生きてきたはずなのだが、何処で道を誤ってしまったのか。
いや、誤っていたのは最初からか。
変態である時点で道は誤っていた。とういうかそもそも、社会に謝るべきだった。
――薔薇園家、居間。
広大な居間にて僕と薔薇園は緑茶をしばいていた。しばき回していた。
壁に掛けられていた時計を見る。
現在時刻は午後六時五十八分。そろそろ夕飯時といった頃だ。
「ご飯、食べていくだろ?」
「良いのか?」
「どうせあたしの分を作るついでだから」
薔薇園はそう言って立ち上がる。
「何か僕に手伝える事は?」
こう見えて、家庭科の成績は良い方だ。
一般的な作業なら問題なく行える。
「じゃあ、野菜の下処理をお願いしていい?」
「任せろ。家庭科の鉄人と呼ばれた僕の腕を見せてやる」
「微妙なスケール感の鉄人だな」
料理の時間はとても和やかで、至福のひと時だった。
薔薇園のおばあちゃん仕込みの手捌きは華麗の一言に尽き、流れる様に料理を完成させていった。
野菜の下処理を仰せつかっていた僕だったが、薔薇園が片手間で行うそれより速度が劣っていたので、途中から人力食洗器へとシフトチェンジした。
僕が一本の人参の皮を剥いている間に、彼女はじゃがいもの皮を剥き、芽を取り、程よい大きさにカットするまでを済ませていたので仕方ない。
だが、髪を結んだエプロン姿の薔薇園がキッチンで料理している所を眺める事によって、新婚夫婦の様な感覚を味わえたので良しとしよう。
「ご飯、これ位で足りる?」
「ああ、うん。ありがとう」
僕は薔薇園がよそってくれたお茶碗を受け取る。
そしてそのまま、薔薇園の貴重なエプロン姿を正面から目に焼き付けた。こんな機会はもう訪れないかもしれない。脳裏に刻み付けておこう。
「じろじろ見過ぎ」
「悪い。新妻感が凄くて」
「言い方がなんかやだ」
「じゃあ人妻?」
「晩御飯、抜きにするか?」
「ごめんなさい」
食卓に並んだのは肉じゃが、ほうれん草のお浸し、ひじきの煮物、そしてなめこの味噌汁とご飯。一汁三菜がきっちりと揃った素晴らしい献立だ。
これを齢十七歳にしていとも簡単に用意出来るとは、割と本気で結婚して欲しいレベルである。
「いただきます」
「いただきます」
二人手を合わせて、食材への感謝を告げた。
食後、片づけをしている最中。
和室で寝ていたはずの百合宮が居間に姿を現した。忙しなく視線をきょろきょろと動かし、状況の把握に努めている。
「お、大丈夫か百合宮? まだ横になってた方が良いんじゃないか?」
僕の声に反応して此方を向いた百合宮だったが、彼女は酷く困惑した表情を浮かべていて。
「鬱金くんと薔薇園さん……? どういう事? 何で二人がキッチンで仲睦まじく食器を洗っているの? 二人は何……、結婚でもしているの……?」
「まぁ、追々」
「馬鹿」
薔薇園が僕の後頭部を小突く。
あれ、これ大丈夫か? 小突くなんて表現をしたけれど、後頭部が削げていたりしないか?
「あんたが下校途中で倒れたのを見て、鬱金が近くのあたしの家まで運んだってだけだ」
後頭部からの出血の有無を確認している僕に代わって、薔薇園が状況の説明を行ってくれた。
「そう……、そうだったのね……。ごめんなさい、迷惑を掛けたわ。すぐに出て行くから……」
何をそんなに急いでいるのか、百合宮はふらふらとした足取りで自分の荷物を探し始めた。
「薔薇園」
「了解」
僕の呼びかけに薔薇園は即座に応答する。
そして彼女は俊敏な動きで百合宮へと近づき、その華奢な体躯を軽々しく抱き上げた。俗に言うお姫様抱っこの状態である。
「ちょっと薔薇園さん、何を……!?」
「此処に来たからにはある程度、元気になって帰ってもらう」
「もう大丈夫よ……! これ以上迷惑を掛けられないわ」
「誰がいつ迷惑なんて言った?」
「え……」
「あたしが好きでやってる事だ。人の親切心は有難く受け取っておいた方が良い」
薔薇園は有無を言わせない様子で百合宮を和室まで運ぼうとしていた。
「よし、じゃあ僕は百合宮用にコンビニでゼリーとか買ってくるよ。薔薇園は何か欲しい物は?」
「アイス」
「いちご味だな?」
「うん」
「おっけー。行ってくる」
一先ず百合宮の面倒を薔薇園に任せて、僕は近所のコンビニへと向かった。
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