第10話 空から美少女は降ってこない
「――あら、貴方まだ生きていたのね」
ぶっきらぼうに少女は言い放った。
ゆっくりと卵焼きを咀嚼する。めちゃくちゃ美味しい。
卵焼きを味わいながらも、その少女から一瞬たりとも目を離さない。
そして、やっとそれを呑み込んだ後で僕は口を開いた。
「残念ながら、僕は死ねって言われて死ぬほど単純じゃない」
「私の胸を見て、絶壁と言い放った貴方が単純ではないと?」
「うぐっ……」
ぐうの音も出ない。が、呻き声だけは漏れた。
そこを突かれてしまうと僕は何も言い返せない。遅刻するかもしれないという緊迫した状況だったとはいえ、あんな浅慮な発言をしてしまった事を悔いる。
「
薔薇園が少女の名を口にした。
「知り合いか?」
「いや、知り合いって程の仲じゃない。あたしが此処で弁当を食べてると注意してくるんだ」
薔薇園は少しだけ不貞腐れた様子で言う。
「不服そうな顔をしているけれど、本来此処は生徒の立ち入りが禁止されているわ。だから毎回、風紀委員である私は貴女を注意しているのよ」
「そんな事言って、あんたも此処でよくご飯を食べてるじゃないか。ほら、今日も弁当箱を持ってきてる」
「え、そうなの?」
僕は驚きの声を上げた。
確かに言われてみれば百合宮は弁当袋を持っている。
――あ、今更だけど後ろに隠した。
風紀委員である彼女が薔薇園を注意するのは理解できるが、彼女も此処で昼食を取っているというのはこれ如何に。
「そ、それは貴女が「あたしに関わるな」の一点張りで私の注意に少しも耳を傾けないからじゃない……! 毎回、昼食の時間を削ってまで注意するのも非効率的だから、此処でご飯を食べながら注意をしていただけよ!」
きゃんきゃんと子犬の様に吼える百合宮。
ははーん、なるほど。さてはこいつもポンコツだな?
「そんな建前を盾に、この女は毎回ぼっち飯を回避してるんだ」
「ぼっち!? 断じて私はぼっちなんかじゃないわ!」
「そう。なら教室に戻ればいいじゃないか。今日はあたしも一緒に食べてやれないからな」
「言われなくてもそうするわよ! もう!」
百合宮はプイっと顔を背け、そして屋上を後にしてしまった。
完全に薔薇園によって丸め込まれていた気がするが、大丈夫だろうか。
再び屋上に二人きりとなる。
そして暫しの静寂――。
「――鬱金」
「はい?」
唐突に呼ばれ、僕は横を向く。
するとそこには頬を少し赤らめた薔薇園がいた。
「卵焼き、どうだった……?」
あぁ……。何故、この薔薇園烈華とかいう少女はこんなにもあざといのか。
天然物のあざとさは純朴な男子高校生には破壊力がありすぎる。
「と、とても美味しかったです」
ダメージを喰らいながらも僕は何とか感想を伝えた。
それを聞いて喜ぶ薔薇園の姿が、とても可愛らしかった。
「百合宮潔璃さん、ですか」
このご時世、分からない事があったらググるか花車先輩に聞くかのどちらかがセオリーだ。
そして我が花咲高等学校に関する情報については、ググるよりも花車先輩に尋ねる方が圧倒的に早い。
「知ってますか? 花Googleま先輩」
「文字媒体で読みづらいボケをしないで下さい」
いつも通り、保健室のベッドで寝そべっている先輩。
彼女は僕のボケに軽めのツッコミを入れた後で目を瞑り、自身の脳内に蓄積された膨大なデータの中から該当する情報を探し始めた。
やがて、彼女は目を開く。
「二年四組、三十二番の百合宮潔璃さんですね。勿論知っていますよ」
「どんな人なんです?」
「氷の魔女、絶対女王、歩く校則、鉄壁風紀委員など、色々な呼ばれ方をしていますね。まぁ一言で言うなら堅物の風紀委員といった所でしょうか。誰も自身には近づけさせず、誰に対しても冷淡な態度を取る。噂では、この校内で彼女が笑った姿を目撃した人間はいないのだとか」
「それはまた、薔薇園とは異なるタイプで人間味の無い噂ですね」
僕は苦笑する。
しかしながら、屋上で薔薇園と話していた時はそこまで冷淡な印象は抱かなかった。
いや、待てよ?
そう言えば普通に、初対面の段階で死ねって言われてたか。
「百合宮さんは校則を重んじ、校則に生きています。不肖この私も注意された事があります。保健室にずっといる割には元気ですね、と」
「めちゃくちゃ皮肉言われてません?」
「果敢にも私に注意をした人間は百合宮さんが初めてです」
「花車先輩って、後輩に初めてを奪われがちですよね」
「誤解しか招かない表現をしないで頂けますか?」
詰るような視線を向けられた。
「僕は先輩の何の初めてになれますかね?」
「後輩君に奪えるような初めては、もう私には残っていませんよ」
「うわああああ! 聞きたくなかったああああ!」
「冗談です。流石に処女は残っています」
「あの、流石にそれを聞かされて喜べる程、僕の頭は楽観的な造りをしていないんですが……」
「おや、私の初めてを奪うチャンスですよ」
「奪って良いんですか?」
「命を引き換えに出来るのであれば」
「ですよね」
流石に、命を擲ってまで欲に塗れるつもりはない。
欲に溺れきるつもりはない。
「今度は百合宮さんの攻略を?」
「そんなギャルゲーの主人公みたいなノリで言われましても」
「薔薇園さんの攻略は順調でしたからね」
「全身に火傷を伴う攻略なんて、それはもうギャルゲーじゃなくてアクションゲームの世界観ですよ」
しかも、誘拐されたのは僕だった訳で。
これではマリオとピーチ姫のポジションが逆だ。確かに薔薇園が愛用しているパーカーはあの配管工よろしく真っ赤なのだけれども。
「頑張ってくださいね、愛しき後輩君。努力すれば夢はきっと叶う、とは言いませんが、努力も出来ない人間に夢を叶えられるはずがありません。愚かしくも賢い後輩君はそれを正しく理解しているのでしょう?」
「それは勿論。美少女が空から降って来るのはジブリの世界だけですから」
僕は保健室を後にした。
ただ天命を待つだけでは駄目だ。
諦めない者の下にしか、奇跡は降りてこないのだから。
僕は僕の為に、僕の力で夢の花園を造る。
ただ、それだけなのだ。
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