第8話 此処は君が愛される為の場所

 ――翌日。

 早朝から僕と薔薇園は保健室を訪れていた。


「ふむふむ。どうやら私が手を出すまでも無く、昨日の誘拐事件は解決したようですね」


 開口一番、花車先輩はそう言った。

 彼女はいつも通り、ベッドに横たわった状態で僕たちを出迎える。


「しらばっくれないでください。あのヤンキーの一団、けしかけたのは花車先輩でしょ」


 僕はじとりとした湿った視線を向けた。

 彼女はスマートフォンを始めとした通信機器の類を持っていない(少なくとも僕はそう聞いている)。だがその代替として、彼女はこの花咲高等学校に通う生徒たちによってネットワークを構築している。

 ――「働き蜂」。

 花車ゆいという密に誘われた愚か者たち。

 見方を変えればきっと僕もその一匹なのだろうが、そうした人々が校内には存在する。

 花車ゆいを女王蜂として、彼女の手足となって働く存在。彼らを使役する事で、花車先輩は保健室にいながらも外界との連絡を可能としているのだ。


「今回は誰を使ったんですか?」

「鴉羽くんと、小鳥遊さんです。お二人はそういった裏事情にも明るいですから」


 花車先輩は普段通りの微笑を崩さぬまま告げた。

 鴉羽と小鳥遊、どちらも僕と同じ二年生。花車先輩のお気に入りらしく、彼らをよくこき使っている。

 黒く、暗い裏事情。

 それに明るいというのは些か滑稽な表現だけれど、どうやら彼女はまた働き蜂を使ったようだ。

 花車ゆいは保健室から動かない。

 全ての仕事をこの働き蜂たちに任せている。

 表向きはただ保健室で寝そべっているだけの少女。それなのに何故、彼女が生徒会の副委員長なんて位置にいるのか。

 それは至って簡単な理由。

 校内に存在する働き蜂を使えば、生徒会役員選挙の票を弄ることなど容易だからだ。

 蜂は教職員の中にもいるのだから当然である。

 つまり花車ゆいがその気になれば、一夜にしてこの学校を牛耳ることも可能なのだ。


「まぁ、でも何とかなったでしょう?」

「ええ、そうですね。おかげで僕は大やけどですよ」


 全身がひりひりと痛む。

 これも唐突に鮮烈な美少女を抱きしめたが故の代償か。


「それはまぁ、名誉の勲章でしょう」


 他人事の様に先輩は言い放った。


「で、あれだけの事をしたんだ。薔薇園の開花症候群はどうにか出来るんですよね?」

「ええ、そこはご心配なく。昨日の事件によって、薔薇園さんの花の最大値は見極める事が出来ましたので」


 花車先輩が起き上がり、ベッドの縁に腰かけた状態となる。

 整然としたその姿で、彼女は薔薇園へと視線を向けた。


「薔薇園さん、此方へ」


 名前を呼ばれた薔薇園が少し不安そうな面持ちで僕の方を見る。


「大丈夫だ、花車先輩は困っている人を必ず助けてくれる。ただ、その手段を選ばないってだけだ」

「微妙に信頼し難いラインだ」

「まぁそれは本当にそうなんだけど。でも、大丈夫。一応、俺を助けてくれた恩人だからな」


 花車ゆいは生徒会副会長でありながら保健室のベッドに寝そべっている奇人ではあるけれど、彼女は人助けの才能に関しては卓越している。それこそ「働き蜂」などという独自のネットワークを築き上げる位には。


「鬱金がそう言うなら」


 薔薇園は小さく頷いて、花車先輩の正面に立つ。


「そこで屈んでいただけますか?」

「はい」


 先輩の指示に対して、素直に従う薔薇園。

 美人の前に美少女がかしずくという奇異な図。ただとても絵になっている事だけは確かだ。


「では少しばかり失礼して……」


 花車先輩が不意に薔薇園の前髪に触れ、額へと口づけする。

 丁度窓から日光が差し込んで、宗教画の様に神秘的な光景が生まれていた。一部の有識者層ならば感涙するレベルかもしれない。


「……っ!? ……!?」


 薔薇園が額を抑えて僕の方へと駆け寄って来た。

 顔を真っ赤にして、左手で僕の袖を摘まむ。


「き、キス……! ゆいさんに、おでこにキスされた……!?」


 混乱のままに報告してくる薔薇園。

 自然と頬が緩んでしまう。やはり、こんなギャップ面白激かわ生物、愛さない以外の選択肢が見つからない。


「良かったな。前に僕もされた事ある」

「鬱金も……!? じゃ、じゃあゆいさんは不埒な人なんだな……」

「おやおや、これは凄まじい勘違いをされているみたいですね」


 花車先輩が口元を手で隠してお淑やかな笑みを浮かべている。


「先輩も開花症候群の罹患者だからな。花車――ガーベラの異常を発生させるんだ」

「ガーベラ?」

「ああ、他の罹患者が持ってる心の花の開花率を調整できるらしい。で、その調整をする時に対象となる人と接触する必要があるんだけど……」


 ん? 今こうして言葉にしてみると、接触というだけなら手を握るとかでもいいはずだ。それなのにおでこにキスという選択を取っている先輩は、薔薇園の言う通り不埒なのでは……?


「後輩君?」

「いえ、何でもありません……!」


 射て貫く様な鋭い視線を向けられ、僕は出掛かった懐疑の言葉を呑み込む。

 触らぬ神に祟りなし。蜂の巣は不用意につつくべきではない。


「薔薇園さん、私の力はただ花の異常性を制御下に留めるだけのものです。開花症候群の根本的な治療ではありません」

「完治は出来ないんですね」

「はい。残念ながら花を完全に切除することは出来ません。ですが制御下にあれば、薔薇園さんはもう誰も傷つけないで済みます」


 酷く穏やかな様子で先輩は告げた。

 その言葉に薔薇園も確かな頷きを返す。


「ありがとうございます」


 お礼を告げる彼女の顔は、何処か晴れ晴れとしていた。





 保健室を出て、薔薇園と共にまだ人気の無い学校の廊下を歩く。

 静けさの中、僕は口火を切った。


「僕はな、園芸部を作るつもりだ」

「園芸部?」

「そう。僕が愛らしい花たちを愛でる為だけの部活だ」

「鬱金、気持ち悪い」

「はは、残念ながら薔薇園はその園芸部の第一号だ」

「え、やだ!」

「え、むり!」


 お互いがお互いに驚いた様な表情を浮かべる。


「何で、鬱金もその顔ができるんだよ」

「だって言っただろ。僕はお前が恥ずかしさで死ねる位に愛でてやるってさ」


 そう言いながら、突き当りにあったとある空き教室の扉を僕は開けた。


 まだ何もない。


 まだ二人しかいない。


 けれどここから始まるのだ。



「――ようこそ。ここは僕が麗しき花々を愛で、そして、お前が愛される為の場所だ」



 扉が閉まる。



 扉の掛札には「花咲高校園芸部(仮)」の文字が刻まれていた。



 これは僕が理想の花園を創り上げる為の物語である。

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