第4話 返事はわん。それ以外の発言は禁じる。

 賑わいを見せる広場から少し離れた場所。

 水道でスカートに付いたアイスを洗い流す薔薇園。

 彼女は今、シャツと体操着の半ズボンだけの姿になっていた。愛用らしい赤パーカーは一時的に僕が預かっている。

 最初、薔薇園がスパッツを履いているからと突然スカートを脱ぎ始めた時は心底驚いた。



「おい何脱いでんだ!?」

「……何って、スカート洗うんだけど」

「この日本にどんだけ変態がいると思ってんだ!」

「まぁ、鬱金でまず一人」

「馬鹿! 僕をそこら辺の変態と一緒にするな!」

「ごめん、ド変態の間違いだった?」

「もう一回言ってくれ!」

「きも」


 以上、回想終了――。



 スパッツだから大丈夫理論は、とても脆弱な理論武装だ。

 美少女の柔肌にぴっちりと密着した肌着。

 下劣な輩共が欲情するには十分な代物だ。

 故に、僕は薔薇園のスパッツ姿をそういった獣たちから守る為、彼女に半ズボンを貸し与えたという訳だ。

 断じて僕がその魅惑の太ももに視線がいってしまうとかではない。

 ……本当だよ?


「アイスはまた買ってきてやるから、そう落ち込むなよ。何なら次は五段でにでもするか?」


 複雑そうな表情でスカートを洗う薔薇園に向けて声を掛ける。

 市販のアイスに比べれば高価だが、そこまで痛い出費という訳でもない。むしろスマホを買い直すのに比べれば安い位だろう。

 薔薇園が洗い終えたスカートをバシャバシャと振って水を切る。

 弾けた水滴が光を反射して煌めいて。

 やがてスカートを可哀想な位に絞り上げた薔薇園がこちらを振り向いた。


「あたしに関わらない方がいいって言った理由、もう分かっただろ? あたしは普通の人間じゃないんだ」


 ――普通の人間。

 果たしてそんな者が世界に何人いるかは知らないけれど、それが何の異常も抱えていない人間の事を指しているのなら、確かに薔薇園烈華という少女は普通の人間ではないのかもしれない。


「感情の昂ぶりに応じて熱を発する異常をあたしは抱えてる」


 薔薇園はすとんと僕の隣に座る。さっきとは違い、少しだけ距離が近い。


「少しも面白くない話だ、それでも聞きたい?」

「愚問だな。僕は可愛い女子の話はお金を払ってでも聞く性分だ」


 そう答えると、薔薇園は少しだけ笑みを浮かべた。

 そして彼女は静かに自身の過去について語り出す。


「うちはシングルファーザーの家庭だったから、基本的にあたしは小さい頃から家で一人ぼっち。あの日、風邪を引いた時もあたしは一人だった。ずっと安静にしてたんだけど、全く熱が引かなくてさ。熱は上がり続ける一方だった。体温計もエラーを吐く程の熱が、あたしから発せられてた」


 ――熱。

 風邪の発熱ではなく、それは異常なまでに高温度の熱。


「溶けた。全部。部屋も何かも溶けたんだ。あの日から父親はあたしの前から居なくなった。そりゃそうさ、こんな不気味な体質の子供とは一緒に居たくないはずだ」


 薔薇園の顔に寂寥の色が差す。


「それでも最後の温情だったのか、あたしはおばあちゃんの家に引き取られた。そこから高校生になるまで育ててくれたのはおばあちゃんだ。その間、一度も異常は起きなかった。けど、一年前におばあちゃんが倒れて病院に運ばれた時からまた、異常が発生する様になったんだ」


 段々と声が暗くなっていく薔薇園。

 今の彼女に初めて会った時の様な鮮烈さは感じられなくて。あの鮮烈さはくすんでしまっている様に思えた。


「当然、病院にも行ったけど原因は不明。そんな状態になるなんて有り得ないって一蹴された。治らないなら、あたしが取れる方法は一つ。誰にも危害が及ばない様に、他人には出来るだけ近づかない。そうやってあたしは今まで生きてきたんだよ」


 それは何とも愚かしく、自己犠牲的な解決方法だった。

 むしろ何の解決にもならない。最早敵前逃亡とも呼べる選択。


「あたしと関われば、鬱金も何時かこの熱に害される日が来る。だからもう関わらないで。……アイスありがとう。殆ど溶かしちゃったけど、美味しかった」


 悲し気な笑みが浮かび――。

 薔薇園は僕の手からパーカーを奪い取り、公園から去ろうとする。


「待って」


 僕はベンチから立ち上がって、彼女の右手を掴む。

 良かった、今度は投げ飛ばされなかった。

 憂いを帯びた横顔が目に入る。


「……これ以上、言葉が必要? あたしの為を思うなら、もう関わらないで」

「待て待て、そう話を急ぐな。取り敢えず……僕のズボン履いたままだぞ」

「あ」


 間抜けな声を漏らす薔薇園。

 さてはこの少女、色々とポンコツだな?


「ジャージは洗って返す。それで鬱金との関係は終わり」

「いや、それは洗わないで良い。それと、関係を終わらせる前に一回見てもらいたい物があるんだ」

「さらっと変な事言わなかった?」

「ううん、言ってないよ」


 薔薇園を振り向かせた僕は、軽快に笑ってみせる。

 しかしそれとは対照的に彼女の表情は怪訝そうに曇ったまま。


「先に言っておくけれど、僕は薔薇園に危害を加えるつもりは一切ない。信じてくれ。もしお前が怪しいと思ったなら、迷わず僕を殺してもらって構わない」

「その前置きが逆に怪しいんだけど……?」


 ――ぐうの音も出ない。

 僕は薔薇園の両肩に優しく手を置く。


「今信じられる最大限、僕を信用してくれたらそれでいい。分かったか?」


 半ば勢いで薔薇園を頷かせる。


「よし、じゃあ僕の目を見て」


 僕はそう言って薔薇園と視線を合わせた。

 うわ、改めて見ても薔薇園めっちゃ可愛い! ……じゃなかった。

 美少女を前にして心臓の鼓動が早まっていく。

 呼吸を落ち着かせ、僕は自分の意思に基づいて異常を発生させる。


「今からお前は僕の犬だ。返事は。それ以外の発言は禁じる。良いな?」


 こちらの言葉を聞き、薔薇園が反駁しようと口を開く。


「――わん!」


 天下無敵の不良少女。

 彼女の明快な声で発せられたのは、そんな可愛らしい鳴き声で。

 薔薇園の目が限界まで見開かれる。

 僕は犬に接するのと同じ様に薔薇園の頭を軽く撫で、そして次の指令を出す。


「よし、良い子だ。じゃあお座り」

「わ、わん……?」


 混乱した様子のまま彼女は屈む。まさしく犬の様に両手も地面に着けて。


「賢いなお前はぁ~! はい次、お手」

「わん」


 差し出した僕の手に、右手を軽く乗せる薔薇園。彼女は忠実にお座りの姿勢を保ったままだった。


「うんうん、賢い子で良かった。よーっし、解除。もう普通にしていい――」


 異常を解除した瞬間、僕は殴られていた。

 苛烈なアッパーカットが顎にクリティカルヒット。芸術的な放物線を描きながら僕は地面に墜落する。

 ……危ない。一瞬、意識が遠のいた。

 三途の川の向こうで手を振るおばあちゃんが見えた。

 いや、まだおばあちゃんは健在だったな。鬱金かヲる。御年八十八歳。米寿である。


「何だ今のっ……!?」


 心底驚いた様子で薔薇園が尋ねた。

 まぁ無理もない。彼女は知らなかったのだ。自身の様な異常を抱えた人間が、他にも存在する事を。


「僕の中に咲いた花は鬱金香。皆が良く知るチューリップって奴だ。僕も同じなんだ薔薇園。お前と同じで、僕も普通の人間じゃない」


 倒れ伏したまま、地面に寝そべったまま、僕は告げる。

 奇しくも保健室に住まう奇人と同じスタイル。


「――心に花が咲く奇病。僕たちは開花症候群を患っているんだ」

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