第5話 Chu!可愛くてごめん

 奇人、花車ゆいは保健室にいる。

 何時いかなる時でも、保健室に行けば会える。

 世界が茜色に染まった頃合い。

 僕と薔薇園は学校へと舞い戻っていた。


「おや、花車さんの愛しき後輩君が女の子を連れてくるとは。これはお赤飯を炊かなければいけませんね」


 保健室に入るなり、花車先輩はそう声を掛けてきた。


「保健室で米を炊かないでください」


 ツッコミを入れつつ僕と薔薇園は部屋の中へと踏み入る。


「ちなみに机の上に置いてあるそれ……皆さん加湿器だと勘違いしていらっしゃいますが、実はマイコン式の炊飯器だったりします」

「え!? でもたまにこれから蒸気出てませんでしたっけ?」

「普通に炊飯時に出る蒸気ですね」

「マジかよ……。あ、じゃあ昼休みに蒸気出てたのって……!」

「はい。花車さんがご飯を炊いていただけです」

「クソっ、道理で音がデカいと思った!」


 出会い頭に僕と花車先輩と軽妙なトークを交わした。


「――それで、そちらにいらっしゃるのは薔薇園烈華さんですね」


 名前を呼ばれた薔薇園が前に出る。


「初めまして、二年の薔薇園です。開花症候群とやらについて、話を聞きに来ました」


 かの有名な花車ゆいを前にしても、彼女は毅然とした態度を保っていた。


「これはご丁寧に。私は花車ゆい、そこの愛しき後輩君の主人にあたる人間です。人からは奇人、寝そべり生き字引などと好き勝手に呼ばれています。薔薇園さんもお好きに呼んで下さって構いませんよ」

「は、はぁ……。じゃあ、ゆいさんで」


 すると花車先輩は虚を突かれた様に停止する。


「あたし、何か変な事言ったか……?」


 薔薇園が顔を寄せて小声で尋ねてきた。

 彼女の良い匂いにドギマギしながらも、僕は首を横に振る。


「変な事なら、あらかた僕が言い尽くしてるはずだ。人は皆、僕の事を戯言ワクチンと呼ぶ」

「不名誉すぎる」


 そんな会話をしているうちに、花車先輩の硬直が解けた。


「いえ、すみません。後輩の子から下の名前で呼んで貰ったのは初めての経験でしたので。嬉しさのあまり、言葉を失っていました」

「花車先輩の初体験を薔薇園が奪ったって事ですか?」

「おい、戯言ワクチン」


 薔薇園に脇腹をどつかれた。

 凹んだ脇腹を摩りながら僕は先輩に視線を向ける。


「言ってくれたら僕も名前で呼んだのに」

「いえ、すみません。後輩君から名前で呼ばれても嬉しくありません。私が名前を呼んで貰って喜ぶのは、可愛い女の子限定です」

「なるほど? じゃあ僕が女の子になればいいんですね」

「さらっと性転換しようとしますね。でも、可愛くなかったら駄目ですよ」

「先輩の為なら僕は可愛くなる努力を惜しみません。Chu! 可愛くてごめんってやつです」

「それの対義語をご存じですか? 「チッ、ブスだから謝れ」です」

「うわぁ!? 美人が真顔でストレートな悪口を!?」

「これはあたしがおかしいのか……? さっきから一体、あんたらは何の話をしてるんだよ……?」


 薔薇園の顔に困惑の色が満ちた辺りで、僕は話題を切り出した。


「――それで、花車先輩ならもう大体の事情は察しているんでしょう?」

「それはもう全て筒抜けですよ。愚かしき後輩君が、薔薇園さんを犬扱いをして楽しんでいたのも知っています」

「ああ、あれは酷い辱めを受けた」


 凍て付いた視線を向ける花車先輩と薔薇園。


「ち、違う……! あれは開花症候群である事を手っ取り早く伝える為に仕方なく……」


 僕が慌てて弁解するも、その冷めた視線は依然として変わらない。


「仕方ない……そうですね。致し方ないですね。同輩の少女を犬扱いした事も後輩君にとっては仕様がない事だったのでしょう。もっとも、もっと他に方法はあったのだけれど、凡夫なる後輩君の頭ではそれしか思いつかなかったのでしょう」

「すみませんでした! 他にも方法はありましたぁ!」


 リノリウムの床に額を擦りつける。

 それはもう惨めな負け犬の如く。僕は全力で土下座した。

 確かに他にも手段は色々とあった。そもそも、力を使う対象は絶対に薔薇園である必要は無かったのだ。適当な人間に命令を出せばそれで十分だった。

 ただ愚かしくも、薔薇園の様な気丈な女の子を従属させたいという不埒な願望を抑えきれなかったのである。お座りとお手だけで済ませたのが、僕の中の最後の良心だった。


「まぁ、良いです。後輩君の処刑…………いえ、処遇は後々考えるとして、今は薔薇園さんの問題について考えましょう」

「処刑って言いました?」

「口が滑りました」

「滑り過ぎてコースアウトですよ」

「ならば、コースを戻しましょう。まずは開花症候群という奇病について簡単に説明をしましょうか」


 普段通りの温和な目つきに戻った花車先輩。


「開花症候群とは、幼気いたいけな少年少女たちが患う特殊な病です。一度発病すれば、罹患者の心の中には特殊な花が根差します。そしてそれが開花すると、異常が発生する――」


 滔々とうとうと開花症候群について説明を行う先輩。

 彼女の脳内には膨大な情報が詰まっている。故に全ての事象を詳らかにすることが出来るのだ。


「発生する異常は様々で、後輩君の場合は精神干渉ですね。そして薔薇園さんの場合は発熱といった所でしょう。そしてこうした異常の発生には理由があります」


 「理由……」と、隣の薔薇園が小さく言葉を溢す。


「それはすべからく本人の人生に関連しています。後輩君の時は人間関係でしたね。破綻してしまった、破損しきった人間関係のせいで彼は精神干という異常を開花させました。力の制御が出来ず、困り果てていた彼を助け出してあげたのがこの私、花車ゆいです」


 ぽん、と自身のささやかな胸を示す花車先輩。


「その節は本当にお世話になりました。そしてここからは、これからの話をしたい。先輩、僕の時みたく薔薇園の悩みを解決させる事は出来ますか?」

「ええ、勿論。この花車さんに掛かれば朝飯前です。前日の夕食前です」


 然も当然と言わんばかりに、花車先輩は言い切った。

 それを聞き、薔薇園がたじろいだ様子を見せる。


「え、本当ですか……?」

「ええ、花車さんは嘘を吐きません」


 自身にありふれた表情で彼女は告げた。

 やはり、花車ゆいという人間は頼りになる。その本質がどうであれ、そこだけは変わらない。


「助けてくれるんですか?」


 薔薇園が問う。



「――助けますよ。私は生徒会副会長、花車ゆいですから。愛しき後輩の為であれば、私はどんな問題でも解決して差し上げます」



 花車先輩は微笑みを湛えてそう言った。

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