第2話 おばあちゃんが言っていた、お礼はちゃんとしろと。

「それは二年七組二十八番、薔薇園烈華さんですね」


 僕が毎度の如く保健室へ向かうと、彼女は昨日出会った少女について説明してくれた。


「天下無敵、常勝無敗の不良少女――花咲の赤鬼。生まれてこの方喧嘩で負けた事がなく、他校の不良たちを襤褸ぼろ雑巾の如く簡単に吹き飛ばすのだとか。また、これも単なる噂話ですが、地域の暴走族を一人で壊滅させただとか、熊に素手で勝ったとか、ダンプカーを粉々にしただとか色々と言われているようですね」


 つらつらと薔薇園烈華の情報を開示していく花車先輩。

 後半は凡そ人間に使うべきでない言葉が並んでいた気がするが、まぁいい。

 先日出会った鮮烈で、苛烈で、熱烈な少女を思い返す。

 確かに美しさの中に、彼女は鋭利な剣呑さも持ち合わせていた。ただ、不必要に暴力を振るう様な人間には見えなかったけれど、その真偽は不明である。


「これらはあくまでも噂話です。話半分、片耳で聞き流してください。それで、そんな荒唐無稽な噂話が出回っているものですから、薔薇園さんは校内で孤立してしまっているようです。ここは愛しき後輩君と同じですね」

「先輩。言葉の通り魔が今、僕の心を颯爽と切りつけていきました」

「おや、大変。良い心療内科をご紹介しましょうか?」

「容疑者に反省の色は無し、っと」


 聞き込み調査(対象は花車先輩一人のみ)を終えて、僕は席を立った。


「薔薇園さんを園芸部へ勧誘するのですか?」

「はい。強気な女の子は大歓迎ですから」

「頑張ってください。花車さんは愛しき後輩君を応援していますよ」


 そう語る花車先輩の声はとても優しくて。


「ありがとうございます。僕なんかを応援してくれるのは花車先輩だけです」

「ふふ、きっと直ぐにそんな事なくなりますよ」


 先輩はそう言って聖母の様に微笑んでみせた。

 僕はその言葉の真意を読み取れず、曖昧に頷くだけだった。





「よっ、薔薇園」


 放課後。

 僕は珍しく保健室ではなく、学校の屋上にいた。

 別に未成年の主張ごっこをしに来た訳じゃない。薔薇園への接触を図る為である。

 声を掛けた瞬間、薔薇園は獣の如き俊敏な動きで僕の首に手を伸ばしてきた。

 彼女の五指が首に触れる。

 前髪から覗く薔薇園の目つきは、酷く険しいものだった。


「何でこの場所が分かった?」

「花車先輩に聞いたんだ。あの人は大抵の事は知ってるから」


 僕の答えに薔薇園は眉が僅かに反応する。


「保健室の主、寝そべり生き字引と名高い花車ゆい……。そんな有名人とあんたが一体どんな関係性な訳?」


 どういう関係、か。

 そんなもの答えは一つだ。


「主人と奴隷。文字通り主従関係だ」


 そう答えると、彼女の凛然とした表情がはっきりと歪む。まぁ、はっきり言ってゴミを見る様な目をしていた。

 ぞくぞくする。生命の危機的な意味で。

 このままだと視線に射殺されそうだったので、僕は話題を変える。


「えっと、昨日は助けてくれてありがとう。また会えてよかった。僕の名前は鬱金薫、よろしくな」

「あんた頭が沸騰してるのか? 今、あたしに首を掴まれてるんだぞ」

「一撃で仕留めなかった。なら、会話する意志はあるんだろ」


 至って冷静に言葉を返す。

 昨日のヤンキーたちとの戦いぶりを見るに、こんな凡夫な僕如き一秒もかからずに意識を刈り取れるはずだ。

 それをしていないのであれば、彼女としても何か話があるのだろう。

 薔薇園はその大きな瞳で僕を睨みつけた。


「案外、度胸があるじゃないか。昨日も本当はあたしが助けなくてもどうにかなったんじゃないの?」

「まさか。僕は平々凡々たる男子高校生だよ。薔薇園が助けてくれなきゃボコボコにされてた」

「はっ、どうだか」


 薔薇園の顔に挑戦的な色が差す。


「それで、僕と会話するか? それともこのまま僕の首を絞めるか?」


 こちらが尋ねると、薔薇園は「チッ」と舌打ちしつつも首から手を放した。

 ふぅ、危ない。

 熊を素手で倒し、ダンプカーを粉々にしたかもしれない女子高生だ。本気を出せば、人間の首を片手でへし折る位は可能なはず。出来る事なら争いたくない。


「何であたしに付きまとう?」


 剣呑な目。昨日見たのもこの目だった。


「言ったはずだ、あたしには関わるなって」


 この複雑な感情に満ちた声も昨日と全く同じ。


「いいや、昨日言われたのは「あたしには関わらない方がいい」だ。関わりを持つか否かは僕に託されていた」

「どっちも似た様な事だ」

「いいや? 日本人である僕にとってそれは大きな違いだよ。それに、何も害意があって薔薇園の事を詮索していた訳じゃない。ただ単にお礼をしたかったからだ」

「お礼参り?」

「勝手に参らせるな」


 一瞬で任侠漫画にシフトチェンジするな。

 緊迫していた空気が僅かに緩む。


「……兎に角、お礼なんて必要ない。あたしは勝手にあんたを助けただけだ」


 気丈な態度を貫く薔薇園。

 しかし僕も此処で引く様な人間ではない。


「まぁそう言うなよ。こっちも本当に感謝してるんだ。僕の家族しか連絡先が登録されていないスマートフォンを取り返してくれたんだから」

「……うっ、なんか一気に罪悪感が……!」


 こちらのリーサルウェポンが直撃し、薔薇園が苦しそうに心臓を抑えている。


「なぁ、良いだろ? おばあちゃんから言われてるんだ、誰かに助けて貰ったらちゃんとお礼はしなさいって。それに、お礼さえさせてくれれば僕はいなくなる。お前の下から走り去るから」

「いや、別に走り去る必要までは無いけど……」


 僕の懇願を聞き、彼女は右手に顎を添えた姿勢で暫し黙りこくる。

 黙っているだけならいっそ何の面白味も無い単なる美少女。強いて言うなれば、鮮烈さを湛えただけの少女だった。

 幾許かの時間が経過して、薔薇園はその艶やかな唇を微かに動かす。


「…………ス」

「え?」

「……アイス。アイスを奢ってくれたらそれでいい」


 小さい声で彼女は言った。

 その発言に僕は面食らってしまって。てっきり、もっと苛烈で過酷な願いを言い渡されるかと思っていたのだが……。


「何、その顔? 殴り飛ばされたいの?」


 訝し気に眉を顰める薔薇園。


「それも別に悪くは無いが……いや、本当に良いのかアイスなんかで。あ、もしかして、ここら一帯にあるアイスを全部買占めろとかそういう話か?」

「あたしを何だと思ってる? そんな無理難題を言うつもりはないよ。せめて二段……いや、三段にしてもらう程度。良いでしょ?」


 上目遣いで薔薇園が尋ねる。

 何だこれ、なんでも買ってあげたくなる位には可愛い。

 天然のあざとさに打ちのめされながらも、僕は躊躇いも無く頷く。

 まぁ、お礼に食べ物を奢れなんてのは健全な願い事だな。男子高校生の財力で賄える程度のお願い。妥当ではある。


「分かった。僕はこれから薔薇園にアイスを奢る。それで貸し借りナシだ」


 こうして、僕と薔薇園はアイスを求めて歩き始めた。

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