9
小高い丘の上で、セルリアは立ちすくんでいた。
「ここは、いったい……」
目の前に広がる光景は、明らかに、見知らぬものだった。。
白い石造りの建物が、所狭しと並んでいる。
視界の中に緑はない。洗濯物だろうか、建物と建物の間にひらひら舞うものだけが、鮮やかに色づいていた。
砂地の中に、ぽつんと存在する白い街。そんな印象だ。
セルリアは、はっと我に返ると、ドレスをたくし上げた。
太ももに括り付けてあった手紙を引き抜くと、風に飛ばされないようにしっかりと握り、覚束ない手つきで開封しようとこころみる。
これは、ジヒトからもらったものだ。国を出たら読むように、と言われていた。
セルリアはジヒトの一連の行動を思い出した。
どうして、あんなことをしたのか。私は、どこにいるのか。この手紙を読めば、わかるかもしれない。
セルリアはジヒトの美しい筆跡に目を落とした。
【 セルリアへ
君には知っておいてほしいことが多くある。故に、どうしても長くなってしまうが、最後まで目を通してほしい。
まず、君の力が発覚してから今日に至るまでの経過を説明する。君の力が発覚した時、我が国は隣国及び海を渡ったかの国と非常に緊迫した状態にあった。2国は秘密裏に連携し、我が国を侵略する計画を立てていた。一足早くそれを察知し、対抗する手段を考えていた時、現れたのが君だった。父と兄は、君を利用することを思いついた。あの時、私達にとって国を守るための最善の手が、君を利用することだった。
君の血液は、たった一滴でも、建物一棟を崩壊させるほどの爆発を起こせる。君の力は、君が思っているよりもはるかに強力だ。その力で我々はあっという間に支配を完遂させた。本来の目的は達成したはずだった。しかし、父や兄は、欲をかいた。魔女の材料を餌にウルシェンを味方につけ、国の拡大を図ろうとしたのだ。
君はこの国が戦場になることを避けようとしたが、父や兄はそうではなかった。この国が戦場になろうとも、最後に勝ちさえすれば良い。自国民が犠牲になろうとも、己が利益となれば良い。
しかし、その野望も、ウルシェンに君の存在を知られた時点で詰んでいる。そして、ウルシェンはこちらの思惑にもすべて気がついていたことだろう。だから1度目の訪問で君を連れ去らなかった。
それからのことは、君の知る限りだ。
私がここで言いたいことは、君の力がいかに強力か、ということだ。君が生きている限り、必ず利用しようとする者が現れる。その時、君が自分を失わずにいられる方法。それが、君の中に眠る妖精の力だ。
君には伝えていなかったが、その方法を調べる中で、気になる情報があった。しかし、ウルシェンの使節団が来るまでには到底間に合わない。故に、君を飛ばすことにした。
君は今、アケットという街の近くにいるはずだ。別名は、白い街。街の周りには何もないから、きっとすぐにわかる。オリオンからアケットまでは、馬で駆けても何十日とかかる。生きた魔女の存在が公になっていない現状で、追っ手が迫ることもないだろう。
アケットには先導の魔女の祠がある。そこに収められている遺品の中に、1冊本もあるはずだ。おそらく、そこに答えがある。
今はこんな不確かな情報に頼るしかない。すまない。
君は記憶力が良い。この手紙も、読んだら燃やすように。少しでも君が魔女だという手がかりを残すべきではない。 】
セルリアはそこまで読み終えて、再度眼前に広がる街を眺める。
あれが、アケットだろう。
……ジヒト様は、ずっと前から私をここに飛ばすつもりだったんだ。あの術式、小さい字がいっぱい書き込まれていた。ものを移動させる魔術は、指定しなければいけない条件が多く、失敗することもザラで、普通人には使われない。きっとジヒト様は、何日もかけて入念に準備していたのだ。
そう思うと、セルリアは息をつまらせた。
どうして、こんなことを。
『振り出しに戻すだけですよ』
ジヒト様はそう言っていた。
オリオンからも、ウルシェンからも私がいなくなれば、私という戦力をめぐる争いはなくなる。それは、わかる。でも、それなら。
――私が死ねばよかったんじゃないか。
オリオンも、ウルシェンも、両方を敵に回したジヒト様はどうなる?
手紙はまるで事務連絡のように淡々と情報が書かれているだけで、彼の心情はわからない。
ジヒト様は、どんなことを考えていたのか。私のことをどう思っていたのか。この3ヶ月間、あんなに近くにいたのに、私は自分のことばかりで、全く気がつけなかった。
手紙を握る手に力を込めた時、セルリアはあることに気づいた。
……もう1枚、ある。
セルリアは縋るような思いで、手紙に目を落とした。
【 追伸
私は良い夫ではなかっただろうが、仮にも君の夫だ。君が考えることはわかる。
合理的に考えれば、確実にこの国に、ひいてはこの世界に平和をもたらす方法
は、君がこの世からいなくなることなのかもしれない。
だが私は、君の犠牲の上に成り立つ平和など、望まない。
無垢で愚か、過酷な運命を、他の誰かのためにひたむきに受け入れようとする。そんな美しい君を、私は愛おしく思う。
もしも後世でまた巡り会えたのなら、
その時は、必ずこの手で君を幸せにすると誓おう 】
大粒の涙が、ぽたりぽたりと手紙の字を滲ませていく。
セルリアは地面に両膝をついた。手紙を両手で大切に抱えて、声を押し殺して泣いた。
……ずっと、ほしかった。ジヒト様の愛が、ほしかった。
でも、どうして今なんだ。
私は一人、この地にいる。
もうなにも変えられない。
オリオンに帰る術を、私は持っていない。それに、そんなことをしたら、ジヒト様の思いを無為にしてしまう――。
◇◇
セルリアは、ジヒトとの今生の別れをまざまざと感じました。
そして、しばらく泣いて泣いて、ふらりと立ち上がり、アケットに向けて歩き出したのです。
セルリアは、愛した人に愛されていたと知って、幸せだったのでしょうか。
いいえ。彼女はもう二度と手に入らないぬくもりを、ずっと気が遠くなるほど長い間、求め続けることになったのです。
なぜなら彼女は
悠久の時を持つ、魔女なのですから――。
嘘? 作り話?
いやいや、そんなことないよ?
お姉さんはね、この話をいろんなところでいっぱーいしてるんだ。だから、なんにも見なくても話せるの。
手紙は燃やしたはず?
……えーと、それはお姉さんにもよくわからないや。あはは……。
ほらほら、つまんないことは考えない!
続きを聞きたいでしょ?
じゃあ、皆静かにね。
――セルリアは、身につけていた宝石やドレスを売って資金を得ると、身分を隠してアネットで暮らし始めました。
そして先導の魔女の祠についての情報を集めると、ある晩、祠に忍び込み、見事、目的の本を手にしたのです。
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