8

 この日から、セルリアは1人じゃなくなりました。

 ジヒトは時折セルリアの部屋を訪れては、セルリアの勉強の進捗具合を確認したり、自分が得た情報について話したりました。


 夫であるジヒトがセルリアの部屋を訪ねることを、疑問に思う者は誰もいません。

 奇しくも、この2人の関係性は、別れの直前になって深まっていったのです。セルリアは、城で過ごす最後の3ヶ月間を、こうしてジヒトと一緒にいられて幸せでした。

 3ヶ月の間に、セルリアはジヒトに渡された本の術式を暗記し、ジヒトは魔女についての情報を多方面から調べました。


 しかし、肝心の、魔女が妖精の力を使う方法については、依然としてわからなかったのです。


 ウルシェンの使節団が到着する前日、セルリアは覚悟を固めました。明日、ウルシェンに渡る、と。そしてその決意をジヒトに伝えると、ジヒトは『この国を出た後に読んでほしい』と、セルリアに手紙を渡したのでした。魔女について得た、新たな情報がまとめられているといいます。


 セルリアは、ジヒトとの別れをいよいよ間近に感じると、震える息を飲み込んで頷きました。



 ……セルリアがかわいそう? うん、そうだね。本当にかわいそう。

 でも、セルリアが魔女じゃなかったらジヒトとも出会えていなかった。だからね、悪いことばかりじゃないんだよ。セルリアは、生まれて初めて愛する人を得て、そして……失うことになったんだ。


 ああ、そんな顔をしないで。大丈夫。最後には、本当に最後の最後には、セルリアは幸せになるんだから。


◇◇


 セルリアは緊張した面持ちで晩餐会の席に着いた。

 これから、ウルシェンの使節団が来るのだ。

 前回彼らが来た時は同盟締結のお祝いも兼ねた大規模なパーティが開かれたが、今回はささやかな祝勝会という形で、王族のみが参加する晩餐会が開かれることになっていた。そのためオリオン側の参加者は、ジヒトの父である現王と王妃、第一王子とその妻のアンネ、ジヒトとセルリア、そしてジヒトの叔父にあたる王弟の7人のみだった。


 ……イゼ様がどういう手段に出るのか、まったく想像もつかない。


 前に話した時は、「ついてきてください」としか言われなかった。あれから接触はない。


 セルリアは無意識に太もものあたりを撫でた。

 ここにはジヒトに渡された手紙が括り付けてある。


 ……結局、私は妖精の力を使えない。ウルシェンに対抗できる手段は、正直持っていない。

 手足の自由がある状態で、この国を出ることが出来るのか。それさえも、怪しかった。


 ……つまんないことは考えない!


 セルリアは心の中で呟いた。

 要は、自分が上手く立ち回れればいい話だ。ウルシェンが私に何を望んでいるのかを見極めて、それを利用する。できるできないじゃない、やるしかない。


 そう決意を新たにした時、ウルシェンが到着したとの報せが入った。


 柔和な笑みを浮かべて入場したイゼは、セルリアと目が合うと、よりいっそう笑みを深めたのだった。


「本日はひとつお願いがあるのです」

 宴も終盤となった時、イゼのその一言でセルリアに緊張がはしった。


「聞こう」

 王の返事に、イゼは人好きのする声で言った。


「そちらのセルリア様を、是非客人として我が国にお招きしたいのです」


 まるで室内の気温が一気に下がったようだった。

 セルリアとジヒト以外は皆、動揺を押し殺して、イゼの真意を確かめようとする。


「……何故だ」

「前回、セルリア様とお話しした際に、その魔術への造形の深さに驚かされたのです。陛下にお伝えしたところ、ぜひお会いしたいと」

 さらさらと嘘を語るイゼに、セルリアは呆気にとられた。


 ウルシェンはあくまで合法的にセルリアを連れていこうというのだ。


 イゼが嘘をついていることには、この場の誰もが気づいていた。セルリアが魔術に対して造形が深いわけもないし、そんな理由で彼女だけを客人として迎えようなんて明らかに不自然だ。王はあくまで穏便に努めるように口を開いた。


「許可しかねる。そちらまではあまりに遠い。危険だ」

「その心配には及びません。そのために、一台馬車を用意して参りました。私達が無事に送り届けるとお約束します」

「なんだと? このまま連れて行くと申すか……!」

 王の声に怒りが滲むが、イゼは全く気にしていない様子だった。


「はい。陛下はセルリア様とお話しできるのを心待ちにしておりますので。もちろん、セルリア様がよろしいのでしたら、ですけど」


 セルリアは、自分に注目が集まっていることを感じ取ると、口を開いた。


「私は……」

 その時、セルリアの言葉を遮るように、美しい中低音が響いた。



「猿芝居はやめましょう」



「え……」

 セルリアは驚いて隣の人物へ視線を移した。


 今のは、間違いなく、ジヒト様の声だ。


 でも、何故? 

 このまま私が大人しくウルシェンについて行けば、計画通りのはずなのに……。


 セルリアは、ジヒトの意図がわからなかった。


「ジヒト、お前、何を」

「もうこれ以上、何を誤魔化すというのですか」

 ジヒトは父である王に向かってそう言うと、立ち上がった。そして、隣のセルリアの腕を掴んで同様に立たせる。


「父上、兄上、驕りを認めてください」

 眉をひそめる王に、ジヒトは構わず言葉を続けた。


「過ぎた野心を抱いて、国民を危険に晒した。生きた魔女など、持て余すに決まっているのに」

「ジヒト、貴様!」

 第一王子ダリウスが、激高のあまり立ち上がる。侮辱された上に、イゼの前で魔女という確信をつく言葉を使った。


 しかし、ダリウスはそれ以上ジヒトに近づくことはできない。

「動くな」

 セルリアは首筋に触った冷たい感触に、動きをぴたりと止めた。


 ジヒトが後ろから抱きしめるような体制で、セルリアの首に鋏の刃をあてていたのだ。


「ジヒト、さま……?」

 セルリアはわけがわからないまま、おもむろに周囲を見渡した。


 セルリアが人質にとられているようなこの状況には、流石に皆、身動きが取れないようだった。オリオン側もウルシェン側も、ただただ剣呑な様子でこちらを見ている。


「どういうつもりですか」

 セルリアの心を代弁したかのようなイゼの問いに、ジヒトは「振り出しに戻すだけですよ」とだけ答えると、セルリアに刃をあてたまま懐から何かを取り出した。

 そしてそれをセルリアの手に握らせる。


 ……これは、魔紙?

 渡されたのは、折りたたまれた薄赤い紙だった。魔術用品店で売られているのを見かけたことがある。


「開いて」

 セルリアはジヒトの指示に従って紙を開く。八つ折りにされていたそれには、びっちりと術式が書き込まれていた。


「これって……」


 セルリアはぼう然と術式を眺めた。すべてはわからない。でも、節々に知っている文字列もある。これは……。


 セルリアはなんとなくジヒトがやろうとしていることがわかり、叫ぶように彼の名前を呼んだ。


「ジヒト様!」


「君を利用した罪は、私も同様だ。すまなかった」

 セルリアの耳元でそう呟いたジヒトは、セルリアから離れると、その持っていた鋏で彼女の髪を、ばっさりと切った。


「あいつを捕まえろ!」


 イゼの声が響くが、その時にはもう遅かった。


 ジヒトが、セルリアの持っていた魔紙に、髪の束を蒔いたのだ。


 術式が魔紙から浮かび上がり、対価となった髪の毛はきらきらと消えていく。



 そして、まばゆいほどの白光とともに、セルリアはその場から姿を消した。

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