10
「等価交換の書……」
セルリアは表紙の文字列を見て、首をかしげた。
何故か、読める。
全く知らない記号が並んでいるはずなのに、どうしてか、その意味がわかってしまうのだ。
その奇妙な感覚を心地悪く思いながらも、セルリアは表紙を開いた。
本当にこの本の中に、妖精の力を使う方法が記されているのだろうか。
セルリアは知らないはずの文字を目で追い始めた。
『まずはじめに、この文字が読めるということは、君は私の同士か、あちらの世界の者か、はたまた私が残した数少ない手がかりを紐解いた尊敬すべき苦学者だろう。この未完成な術を公表することはいささか不満ではあるが、この術が二者間の世界の均衡を崩すほどの威力を持っていることは事実であり、我が同胞へ今の私が知りうる情報を残す……』
◇
「そういうこと……」
本を一気に読み終えたセルリアは、放心したように空を眺めた。
魔術。それは、人間と妖精の等価交換によって成り立つ。もともと隔てられていたこの二者の世界を繋ぐ方法。
この本には、その原理が書かれているのだ。
本の作者はベルベット・スミス。世界の歴史書で名前を見たことがある。この世界で初めて魔術を使った人だ。もうずっと昔の人。
そして、この本を読む限り、彼女もまた魔女だったのだという。しかも、彼女は妖精を見ることが出来た。
妖精についての研究を進めた結果、自分が妖精の力を宿す魔女である可能性を考えた彼女は、妖精が生者に干渉する術を持っていることに気がつく。そして、妖精は生者から奪うことはできないが、
等価交換とは、人間からの働きかけ、つまり干渉への許諾から始まる契約だ。
一般に知られる魔術とは、人間が魔力を渡し、その対価として、妖精の能力を借りるというもの。
しかし、この原理を用いてできることは、それだけじゃない。
ベルベット・スミスはその事実に蓋をした。そして、私達、
「そんな単純なことだったなんて……」
セルリアは深く息を吐いた。
あの日から、3年。
この本を手に入れるために、長い時間を費やしてしまった。
風の噂で聞いた。
ジヒト様は処刑されたのだという。
重要な軍資を喪失させ、国を危険に晒した、反逆罪。
その重要な軍資を失ったことで、オリオンは他国への侵略を終わらせ、植民地支配を解き、結果的に隣国とも和解した。
皮肉なことに、オリオンはジヒト様1人にすべての責任を押しつけることで国民の理解を得て、平和を手にしたのだ。
ジヒト様が、オリオンを守った。きっと、すべて彼の望んだとおりの結果だろう。
でも……。
私があの時、妖精の力を使えていれば、ジヒト様はあんなことをしなくても済んだ。死ななくて済んだ。1番に国の平和を願っていたあの人が、反逆罪なんて、そんな不条理なことが……。
セルリアは拳を強く握りしめた。
許せない。絶対に、許せない。
あの人に不名誉な罪を着せた彼らが。
あの人の死を喜んだ人々が。
何より、あの人を死に至らしめた自分が。
セルリアは、ジヒトのことを考えると、轟々と煮えたくる憎しみを制御できなくなる。そんな時は、ジヒトからもらった最後の手紙の記憶をなぞるようにしていた。
『私は、君の犠牲の上に成り立つ平和など、望まない』
……ジヒト様は、私の幸せも願ってくれた。私はそのために、妖精の力を扱えるようにならなければ。
セルリアは再度本に向かった。
人間が承諾すれば、妖精は人間に干渉することができる。
等価交換の術とは、そんな単純な原理の上で成り立っている。
つまり、妖精の力を使えるようになるためには、私が承諾すればいいのだ。
私の中に眠る妖精へ、私自身に干渉することを。
……この本に用いられているのは、おそらく、妖精の言語とされる古語。この言語を使えば、妖精に私の意思を伝えることが出来る。
セルリアは本から必要な単語を探し、メモしていく。そして文章を作ると、その文字列を眺めた。
読み方は、わかる。
セルリアは深呼吸すると、静かに言葉を紡いだ。
『私の中に眠る妖精。あなたに、私への干渉を許可する。その代わり、あなたの力を私に貸して』
◇
『こんにちは、セルリア』
「……」
セルリアは絶句した。
目の前に、自分がいるのである。
「あなたは……?」
『私はセルリア』
「は……?」
セルリアは目の前の自分を凝視しながら今のこの状況について考えをめぐらせた。
えっと、たしか、私は……。
そうだ、本を読んで、妖精に語りかけたんだった。
「っていうことは、あなたが妖精?」
『妖精? 私はもうそんなんじゃない。私は、セルリア』
セルリアは困惑した。
自分の姿・声で「私はセルリア」と宣う人物が目の前にいるのだ。
「あなたは、私じゃない」
『うん? いや、私はセルリア。あなたは私。私はあなた。私達は一緒』
「……わけわかんなくなってきた」
セルリアは考えを整理するように言葉を続けた。
「あなたは、人間の私に入り込んだ妖精でしょう? だから、あなたは、私とは違う存在。別の名前だってあったはず」
『あなたに入ったとき、私は私になった。両親がセルリアと名付けた時もここにいた。だから私はセルリア』
「じゃあセルリアは」
そう言いかけたセルリアは、猛烈な違和感に口を閉ざした。自分と同じ姿形の相手に対して自分の名を呼ぶ。まるで本当に自分が2人になったようで気持ちが悪い。
「ややこしいから、やっぱり名前変えよう。あなたのことはフルールって呼ぶ。それでいい?」
『……わかった』
渋々納得した様子のフルールへ、セルリアは気を取り直して言葉を続ける。
「フルール、あなたには妖精としての能力があるよね?」
『うん、そうだね』
「その力を私に貸してほしい」
セルリアの言葉に、フルールは笑みを浮かべた。
『いいよ』
「えっ……」
あまりにもあっさりと事が運び、セルリアはあっけにとられた。
『でもね、条件がある』
「なに?」
『私とあなたは一緒だけど、一線はある。
人間としての身体と意識はあなたのもの、あなたが言う妖精としての能力と意識は私のもの。だから、私の能力を使いたいなら、あなたの身体を貸してほしい』
「身体を貸すって、どういうこと?」
『あなたじゃ私の力は使えない。だから、力を使うときは、私があなたの身体を使う必要がある。でも、今の私はあなたの身体に干渉できない』
つまり、妖精の能力を使えるようになるためには、フルールへ身体への干渉を許可しなければならないということらしい。
「……変なことしない?」
『もちろん。私があなたの身体に干渉するのは、力を使うときだけ。それ以外は、すべて今まで通り』
フルールの言うとおりなら、セルリアの希望通りということになる。
「でも、なんで協力してくれるの?」
『言ったでしょう。私はあなた。あなたは私』
セルリアはフルールを見つめた。
……セルリア、と名付けられた時の記憶は私もある。この子は、あんなに前からずっと私の中にいたんだ。私が知らなかっただけで。
私とフルールは運命共同体。少し不思議な気持ちだけど、受け入れないと。
私は、魔女だ。
「……わかった。私はあなたに身体を貸す。その代わり、私にあなたの力を貸して」
『うん。この時をずっと待ってた』
笑みを浮かべたフルールはセルリアを抱きしめた。
そして、フルールの身体は、セルリアの身体に溶けるように吸い込まれていったのだった。
◇◇
セルリアは自分の中の妖精フルールと会話し、契約を結ぶことで、妖精の力を使えるようになりました。
では、その肝心のフルールの能力とは、一体何だったのでしょうか。
セルリアは、はじめてフルールが能力を行使した時、その内容を知りました。
皆はわかるかな? フルールの能力について。
ほら、思い出して。セルリアは何の魔女?
そう、永久の魔女だね。
フルールが最初に力を行使した相手とは、他でもないセルリア自身だったのです。
フルールは、時間を司る妖精でした。
フルールは、セルリアの身体の時間を止めてしまったのです。
こうしてセルリアは、妖精の力と老いることのない体を手に入れました。そして、晴れて
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