5
セルリアと、ウルシェン使節団のリーダー、イゼとの対談は通訳を介して行われた。イゼは物腰の柔らかい男性で、最初は歓迎会に対しての礼から始まり、この食事が美味しかっただの、その衣服はどういう作りなのかだの、あたりさわりのない文化交流が続いた。
セルリアの緊張もだいぶ解け、場が和んでいた時、セルリアは思い切って用件を聞くことにした。
「イゼ様はどのようなご用件で私をお呼びになったのでしょうか」
その言葉にイゼは笑顔を引っ込めると、少し間をおいてから話し出した。通訳が彼の言葉を訳す。
「私達が今日ここへ来たのは、同盟を結ぶためではありません」
「え……」
セルリアは頭が真っ白になった。同盟を結ぶためではない、ということは、同盟は結ばれない?
そうしたら、この国は……。
「安心してください。同盟は約束通り締結しましょう。ただし、その前に確かめねばならないことがあるのです」
イゼがセルリアを現実に引き戻す。
「……それが、私に関係あることなんですか?」
イゼが頷く。セルリアは冷や汗が流れるのを感じた。
いったい、どういうこと……?
どうして、この私が、同盟に関係するのか。
正体のわからない不安がセルリアを襲う。
「私の質問に対して、すべて正直に答えてください」
「はい……」
セルリアに否と言うことはできなかった。セルリアの一挙一動に、この国の未来がかかっているのだ。
「あなたは魔術を用いたことがありますか」
「いいえ」
この質問が何を意味しているのか。
オリオンの派兵。ウルシェンの訪問。同盟。魔術。戦争。確かめねばならないこと。私の結婚。
セルリアの頭の中で、これまで見聞きしたものが浮かんでは消えていく。
「あなたは魔術の材料を提供したことがありますか」
「いいえ」
どくんどくん、とセルリアの動悸が重く激しくなっていく。
どうして、私は愚かな妻なのか。
どうして、私に味方はいないのか。
全てが繋がりそうで繋がらない。足下が揺らぐ。
「あなたは、魔女を知っていますか」
「……いいえ」
セルリアの中で、1つの恐るべき仮説が浮かんだ瞬間だった。
その時、彼女の中にどんな感情が渦巻いていたのか、今ではもう他に誰も知る由はない。
◇◇
この日、セルリアは1つだけ嘘をつきました。
そうです。セルリアは魔女を知っていたのです。夫に認めてもらうために始めたはずの勉強が、まさかこんな形で役に立つとは、全く皮肉なものでした。
……皆は魔女が何か知っているよね?
うん、そう。正解!
正しくは、人間の身体に妖精が入り込み、二者が完全に融合した状態の者のこと。
この日、セルリアは自分が魔女であると自覚した……というよりも、魔女だと思われていることを知ったんだ。
難しい?
そうだよね。じゃあ、続きを話そうか。
――セルリアがイゼと話した翌日、無事にオリオン・ウルシェン間の同盟は締結され、ウルシェン使節団は帰って行きました。
それから少しして、緊張状態にあった隣国との和平条約も結び、オリオンには平穏が訪れました。大きなお城に美味しいご飯、優しくて美しい夫。変わらずに幸福な生活のはずが、セルリアの心だけは重く沈んでいました。
◇◇
「セルリア、大丈夫か?」
朝食の時間だというのに、セルリアはどんよりとした面持ちで座っていた。毎日顔を合わせている妻の異様な様子に、ジヒトが気づかないわけもない。食事を終えても変わらない顔色を見かねて、声をかけたのだった。
「はい、少し眠れていなくて」
「そうか……では、今日はゆっくりと休むといい」
「しかし、今日はダンスのお稽古が……」
「私から言っておく。そんなに急いで覚えなければならぬものでもない」
ジヒトの言葉にセルリアはじんわり心が温かくなり、次いで複雑な気持ちになった。
「ジヒト様、ありがとうございます。では、今日は休ませていただきます」
少しの後ろめたさを隠しながら礼を言うと、そそくさと自室に戻っていく。そんな妻の後ろ姿を、ジヒトは訝しげに見送っていた。
セルリアは自室に戻って扉を閉めると、目をこすった。実は、昨夜はずっと本を読んでいたので、あまり眠れていないのだ。やけに目が乾き、ふと気を抜くと、酷い顔をジヒトの前で晒してしまいそうだった。男性であるのに麗人と謳われるジヒトにはどうあがいても敵わないのだが、一応は妻として、セルリアはジヒトに少しでも美しく見られたいのだ。
セルリアは机の上に置かれた本に目を移す。
セルリアが寝不足なのは、昨夜ずっとあの本を読んでいたからだった。外国語の本なので、いちいち辞書で単語の意味を調べなければならず、まだ半分ほどしか読み進められていない。
続きを読みたいけれど……。
心配してくれたジヒトに申し訳ない気持ちになりながら、セルリアは本を手に取ってベッドに腰掛けた。
ウルシェンのイゼと話した日から、セルリアは自分の仮説について確信を得るために、よりいっそう読書に没頭していた。そして、今手にしているこの本が、まさにセルリアが知りたかったことを記載してそうなのだった。
◇
…………やっぱり。
本に目を落としていたセルリアは、ふと天井を見上げると、深く息をついた。
途方に暮れるとは、まさにこういうことを言うのだろう。
セルリアは目を瞑る。
最初から気づくべきだった。
片田舎に住む私が、第二王子と結婚する。その意味について、もっと深く考えるべきだった。
私の最大の味方は、コゼット様だった。あの日からコゼット様に会えなくなったのも、手紙の返事が来なかったのも、今では私のこの仮説を裏付ける証拠になる。
イゼ様は、私に3つの質問をした。
魔術を使ったことがあるか。
魔術の材料を提供したことがあるか。
魔女を知っているか。
そして、最後にこう言った。
『次に私達が此処へ来る時は、すべてを捨ててついてきてください。それが、この同盟の条件です』
……もしも、私が言う通りにしなければ、きっとこの国に戦争をしかけるつもりだ。
ウルシェンがオリオンに使節団を送ったのは、彼が言った通り『同盟を締結するため』ではない。私に対して、『オリオンを人質にとるため』だ。
実際、ウルシェンと同盟を結んだことによって、オリオンは平和になった。逆に、ウルシェンが手のひらを返したら、この国は戦場になる。
ここには大切な人がたくさんいる。私は、ウルシェンの言うとおりにするしかない。
イゼ様の質問の意図は、私がどこまで知っているのかを確認するためだろう。そして、意図的に協力しているのか、利用されているのか、を測るためだ。
そもそもこの国に、海を渡った先の国に派兵するほどの戦力がどこにあったのか。どうやって大国ウルシェンを味方につけたのか。
答えは簡単だ。
オリオンは、莫大な戦力を手に入れたのだ。きっと、ウルシェンを仲間に引き入れることができなかったとしても、隣国に勝てる見込みがあった。だから、隣国と敵対する可能性を考慮しながらも、植民地支配に踏み切ることができた。
ウルシェンはオリオンに友好的だったからではなく、単に勝つ見込みが高い方に味方しただけ。そして、きっとオリオンは友好の証として、ウルシェンへ何かを献上したはずだ。
魔術大国ウルシェンにとって価値あるもの。そして、オリオンが突如手にした戦力。
それは、おそらく、魔女だ。
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