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「そんなに硬くならなくても大丈夫だ」

「そうはおっしゃいましても……」


 ジヒトの隣で、セルリアは緊張した面持ちで佇んでいた。

 すでにウルシェンの使節団は到着し、セルリア達は歓迎会の会場で彼らの入場を待っていた。


「何か気に障るようなことをしてしまったらと思うと……」

 幼い頃から礼儀作法が染みついている王族や貴族とは違い、1年前までそんなことを気にしたこともなかったのだ。何かやらかすとしたら自分だ、とセルリアは思っていた。


 もし相手方の気分を害して同盟が結ばれなければ、この国は戦場になってしまうかもしれない。そんなことになったら……。


「君に失態があったとしても、それは夫である私の責任だ。だから気負うことはない」

「なおさらダメじゃないですか!」

 小声でそう言ったセルリアに、ジヒトは口角を上げた。その笑みに、からかわれたのだと悟ったセルリアはむっとしたが、先ほどよりも緊張が和らいだことに気がつくと頬を緩める。


 ジヒト様は本当に良い御方だ。自分が本当にこの人の妻なのだろうかと、いまだに思うときがある。


「ウルシェン使節団ご一行様のご入場です」

 宰相の声が響き、皆が出入り口に注目した。両開きの扉がゆっくりと開けられていき、いっせいに拍手を始める。ウルシェンの使節団は国王に続いて入場した。


 あれがウルシェンの人……。


 セルリアはまじまじと彼らを見つめた。肌の色が少し黄みがかっていて、顔はなんというか、平べったい。男の人もドレスのような足下がひらひらした服を着ていて、髪は皆一様に黒かった。ウルシェンについて本を読んで勉強したが、実際に見るのとはまた違う。

 ウルシェンは魔術大国で、この国にはないような魔術がたくさん研究されているらしい。建物の様式も主食となる穀物も、なにもかもがオリオンとは違うのだという。生まれてこの方、国を出たことがないセルリアは、彼らが住む地のことを想像すると興味が尽きなかった。


 あっ、今、目が……。


 あまりにもじろじろと見ていたせいか、ウルシェンの先頭を歩く人物と目が合ってしまった。失礼だっただろうか、と反省する。


 この時、セルリアは全く気づいていなかった。彼らがここへ来たのは、他でもないセルリアを探すためだということに。


 歓迎会はつつがなく終わり、セルリアは就寝の準備を整えて、部屋で本を読んでいた。

 夫、ジヒトの衝撃的な発言を聞いてしまってから、セルリアは魔術の勉強を始めた。しかし、城の書庫にある魔術関連の本は外国語や古語で書かれたものしかなく、なかなか思うように勉強は進まなかった。易しい外国語で書かれていた魔術入門書は、辞書を活用してなんとか読むことが出来たので、魔術がどういう仕組みなのかだけは理解したつもりだ。


 魔術とは、等価交換である。

 この世界には、魔力を持つ者と、魔力を欲する者が存在している。魔術を持つ者とはすなわち人間を含めた生物であり、魔力を欲する者とは人間の目には見えぬもの。一般的には妖精と呼ばれるものだ。

 妖精はそこら中に存在しており、普段は死んだ生物から魔力を吸収して、土に還すという役目を担っている。

 人間と妖精の世界はずっと昔から隔てられており交流はなかったが、ある時、等価交換の原則を発見した者がいた。通常、死体からしか魔力を吸収できない妖精であるが、人間と等価交換の契約を交わせば、人間が望む力と引き換えに、生きた人間から魔力を回収することが出来る。

 妖精は人間には持ち得ないような超能力をそれぞれ持っているが、そんな妖精にとって魔力とは寿命そのものなのだという。妖精と人間の利害は一致し、魔術は生まれた。


 故に魔術とは、人間が、差し出す魔力と要望を提示し、それに合意した妖精が自らの能力を用いて契約内容を履行することによって成立する等価交換である。


 原理は小難しいが、具体的な方法としては、結構簡単だ。

 一番初心者に優しい方法は、セルリアが魔術用品店で見た赤い紙に専用のインクで要望(術式)を書いて、血液や髪の毛(人間のものとは限らない)を垂らしたり包んだりする。その内容を等価と認める妖精がいれば、すぐにでも魔術は発動する。または、要望の条件が細かく決められていなかった場合、差し出された魔力と等価であると妖精が認める程度の威力の魔術が発動する。

 例えば、セルリアが破壊した魔力検査装置もまさにその仕組みが使われていた。『壺の中の水を動かす』という条件の魔術で、その威力は装置の中に入れる髪の魔力量に依存する。


……つまり、私の髪の毛はそれほど妖精にとって価値があったということ。


セルリアはあの魔力検査の時のことを思い出す。


皆、驚いたように私を見ていた。いや、驚いていたというよりも、まるで化け物を見るかのような目だった。


 あれを境に私の世界はまるっきり変わってしまった。お父さんとは結婚式以来会えていない。手紙を読む限りは、王都の別荘で元気で暮らしているというけれど……。


立場上、気軽に外出できないのはわかっている。お城の生活はまるで夢のように快適で平和だ。ジヒト様は優しくて、会う度にその美しさに目を奪われる。でも、泥まみれで収穫を祝ったあの頃に戻りたくなる時もある。なんて贅沢な悩みだろう。


 悩む度に、セルリアは「自分は幸せだ」と言い聞かせていた。しかし、その考えに陰を落とすのが、以前のジヒトとコゼットの言葉だった。


『愚かな妻を、これ以上に弄べと?』

『今日、あなたを見ていてわかったの。あなたは何にも知らないと。そして、ここにあなたの味方は一人もいないのよ』


 まるで冷水を浴びせられたような衝撃だった。信じていたものが裏切られたような。

2人の言葉の真意はいまだにわかっていない。


「つまんないことは考えない!」

 セルリアは気持ちを切り替えるようにパチンと両手で頬を叩くと、本に向き直った。


 一般に魔術には専用の紙やインクが必要だが、そんなものは城内には見当たらないので、セルリアは魔術を実戦できないでいた。また、道具がいらない方法としては、呪文に精通し、自ら妖精に語りかけるというものもあるが、当然セルリアにそんな知識があるわけもない。それに、その方法は宮廷魔術師であっても使わないくらい高難度で失敗も多いらしい。というわけで、セルリアはとりあえず魔術の知識だけでも吸収しようとしていたのだった。


 セルリアが外国語の辞書を引いていた時、扉が叩かれた。


「どなたでしょうか」

 こんな時間になんだろうと立ち上がって扉へ向かったセルリアに、淡々とした声が返ってきた。


「ウルシェンの使いの者です」

 セルリアは驚き、慌てて扉を開ける。

 失礼があってはならないのだ。


「夜分遅くに申し訳ありません」

 そこに立っていたのは、ウルシェンの通訳の人だった。両手を顔の前で合わせてお辞儀をした彼に合わせて、セルリアもその所作を真似る。


「いいえ、とんでもありません。私に何かご用でしょうか」

「私の主が、セルリア様と話したいと申しております。一緒に来てくださいませんでしょうか」

「私と……?」

 次期王妃のアンネ様ならともかく、私と?


 セルリアはわけがわからなかったが、ここで断るわけにはいかなかった。この人の主ということは、ウルシェンの偉い人だ。私が行かなかったことで機嫌を損ねたら、ジヒト様にも迷惑をかける。


「わかりました」

 セルリアは漠然とした不安と緊張を抱えながら、ウルシェンの通訳についていったのだった。

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