3

「セルリア様、ごきげんよう」

「ごきげんよう。この度はお招きいただき、ありがとうございます」

「そのようにかしこまらないで。私達、姉妹じゃない」

「はい、お姉様」

 セルリアは笑みを浮かべて、もう一度頭を下げた。


 セルリアの目の前の人物は、第一王子ダリウス様の正妻、アンネ。次期王妃と目される人でもある。農民上がりのセルリアをよく気にかけてくれ、月に一度ほど食事を共にする仲だった。


 今日はそんなアンネ主催の食事会に招かれ、セルリアは城を離れアンネの別邸まで来ていた。どうやら一番乗りだったらしく、部屋にはまだアンネしかいない。

 セルリアはガラス張りの窓から見える庭を眺めた。

 人は住んでいないというが、綺麗に手入れされていて、色とりどりの花が咲いている。


「美しいお庭ですね」

「ええ、そうでしょう。今日は風が心地良いから、食事の後のお茶会はお外で、と思っているの」

「素敵ですね」

 セルリアの言葉にアンネは柔らかく笑んだ。しかし、ふと何かを思い出したように表情を暗くする。

「……ひとつ、あなたに言っておかなければならないことがあるの」

「なんでしょう」

 憂い顔のアンネに、セルリアは訝しげに聞いた。

「私も今朝知ったのだけど、今日の食事会に、コゼット様もいらっしゃるの」

「コゼット様……」

 どこかで聞いたような名前だ。セルリアは思い出そうと頭を働かせる。


 ……そうだ。ついこの前、使用人達の噂話が聞えてきて、その時に出ていた名前だ。


「ジヒト様の元婚約者ですか」

「ええ。わたくしの確認不足よ。嫌な気持ちになるわよね。ごめんなさい」

「そんな、謝らないでください。私は大丈夫ですから」

 申し訳そうな様子で謝るアンネに、セルリアは慌てて言った。


 実際、セルリアはジヒトの元婚約者についてあまり気にしたことはなかった。第二王子であるジヒトに婚約者がいたのは当然のことだし、ジヒトはセルリアの前で元婚約者の影をちらつかせたこともない。過去は過去、今は今。そう割り切れていたのだ。


「それよりも、その、コゼット様は私を恨んでおいでなのではないでしょうか」

 聞くところによると、ジヒト様とコゼット様の婚約は、2人の幼少期に交わされたものだったらしい。それが、ぽっと出の私のせいで破棄されてしまった。噂話をしていた使用人達も「コゼット様がお可哀想」と言っていた。


「……わたくしもしばらく会っていないからわからないのだけど、彼女は聡明な人よ。政略結婚とはそういうものだと、理解していると思うわ」

「そうですか」

 セルリアがホッと安堵した時、扉が叩かれた。


「アンネ様、お客様がご到着され、お席にご案内しております」

「わかったわ……セルリア様、わたくし達も行きましょうか」

 そのアンネの言葉に、セルリアは立ち上がると、連れ立って食事の会場に向かったのだった。


「そんなに緊張なさらないで」

「は、はい……」

 セルリアは無理やり笑みを作るが、明らかにその表情は強ばっていた。これから何が起きるのか、気が気ではない。


「それで、その、お話とは……?」

 セルリアは今、コゼットと2人で庭のベンチに座っていた。食事が終わって庭でお茶会に興じていた時に、他でもないコゼットが「話がある」とセルリアを誘ったのだ。


「このお庭、本当に綺麗ね」

「え……はい」

 セルリアは隣に座るコゼットの様子を窺うが、彼女はまっすぐに前方に広がる美しい庭園に見入っていた。


「私、あなたに感謝してるわ」

 あまりにも意外な言葉に、セルリアはまじまじとコゼットの横顔を見つめた。


 本当に、どういうつもりなのだろう。恨み言を言われるのかと思ったのに。


「この半年間、私外国にいたの。この国に帰ってこられたのは、あなたのおかげよ」

「私……?」


 セルリアはいよいよわけがわからなくなった。自分が何かをした覚えもないし、半年前から外国にいたということは、むしろ婚約破棄の件わたしのせいでこの国を出ていたのではないだろうか。


「だから、ひとつだけ忠告させてほしいの」


 コゼットの視線がはっきりとセルリアを捉えた。ふいに目が合ったセルリアは息をのむ。コゼットはいたって真剣な様子だった。彼女の言うとおり、その瞳の中に、セルリアに対する憎悪は感じられなかった。


「今日、あなたを見ていてわかったの。あなたは何にも知らないと。そして、ここにあなたの味方は一人もいないのよ」


「……それは、どういう」


「お二方」

 セルリアが言葉の意味を測りかねていた時、声をかけられた。視線を向けると、アンネがこちらへ近づいてきている。

 それを確認したコゼットは立ち上がり、「では、お先に失礼しますわ」とだけ言って去って行ってしまった。


「アンネ様……」

「セルリア様、大丈夫でしたか?」

 どうやらアンネは、セルリアとコゼットが二人きりでいるのを見て心配して様子を確認しに来てくれたらしい。


「はい、少し世間話をしていただけなので」

「そう。それは、邪魔をしてしまったわね」

「いいえ。心配してくださってありがとうございます」

 アンネと会話しながらも、セルリアはずっとコゼットの言葉がひっかかっていた。


『ここにあなたの味方は一人もいないのよ』

 それは、このアンネ様も含まれるということだろう。アンネ様は、結婚してからずっと私を気にかけて、庶民の私の話も楽しそうに聞いてくださる。そんなアンネ様が、私の敵?


 いや、そんなはずはない。むしろ疑うべきは、コゼット様の方だ。コゼット様はやっぱり婚約破棄の件で私を恨んでいて、私を惑わすためにあんなことを……。


 そこまで考えて、セルリアはコゼットの表情を思い出した。


 どうしても、嘘をついているようには思えなかった。


 この直感を、信じるべきなのだろうか。

 仮に信じるとして、いったい私は何を知らないというのか。私だけが知らなくて、他の皆は知っているということなのだろうか。


 何も、わからない。

 もしも、本当にここにいる皆が自分の敵だったとしたら。そう考えると、セルリアは足下が崩れ去るような心地がした。


 ……もう一度、コゼット様に話を聞かなければ。


◇◇


 しかし、セルリアがコゼットと話す機会はなかなか訪れませんでした。セルリアが参加する食事会や茶会にコゼットの姿は見えず、手紙を送っても返信はありませんでした。

 そして、結婚して1年、コゼットの言葉も気にしなくなっていた頃のことです。

 王城に、当時の大国ウルシェンの使節団が訪れることになりました。城内は歓迎会の準備に大忙し。セルリアもドレスを新調し、相手方の国のマナーも学びました。


 というのも、今回の訪問で、この国、オリオンはウルシェンと同盟を結ぶ手筈になっていたのです。当時、オリオンは海を渡った先にある小国を植民地支配しようと、派兵していました。その関係で隣国とも緊張状態にあり、いつ戦争が始まってもおかしくない状況だったのです。此度の同盟で、大国ウルシェンを味方につければ、勝ち目のない隣国は戦争を回避するでしょう。


 そのため、今回の訪問は大変重要で、ひとつたりとも失礼があってはなりません。そのあたりの事情を聞かされたセルリアは緊張しながらその歓迎会に臨んだのでした。

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