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「では少し、髪を切らせていただきますね」

「はっ、はい」

 セルリアは魔術師協会の中にいた。魔力検査の手続きをすると中へ通され、専用の部屋に連れてこられたのだ。中には先客がいて、今は順番を待っているところだった。

 母親くらいの年齢に見える女性がセルリアの髪の毛を少しだけ切って、それを紙に包んで持っていく。


 どうやら、その髪の毛を透明な壺の中に入れて、中に入っている液体の動きを見るようだった。いったいどういう仕組みなのかわからないが、人によってその動き方が違い、セルリアの前の前の人は遠くから見ててもその揺らぎがわかるくらい大きく動いていた。身なりもよかったので、きっと一流の魔術師なのだろう。

 自分の髪の毛を入れても液体が微動だにしなかったら少し恥ずかしいな、などと思っていたるうちに前の人が終わり、セルリアの番がきた。


「フルール・セルリアさんですね」

「はい」

「初めての検査ですね。これからあなたの髪をこの中に入れて、その動きの大きさを見ます」

「はい……」

 少し緊張しながら、自分の髪の毛が壺の中に入れられるのを見守る。


 はらり、と落ちた金髪は、少ししてからゆっくり動き出した。

 風もないのに水面が動き出す不思議な光景にセルリアは見入った。


 それも束の間。


 水に浮かんだ髪の毛が1本また1本と溶けるように消えていくと、その数に比例するように水の動きが激しくなっていった。

 壺の中の水はぐるぐると激しく渦を巻き、恐怖を覚えたセルリアは1歩身を引いた。そして、その勢いは留まることを知らず……。


 パリンッ!!!


 ついに、壺が割れてしまったのである。

 散った破片はセルリアの頬を掠め、ひりりとした痛みがはしった。


「……っ! だ、大丈夫ですか?」

 異様に静まりかえった空間の中に、動揺した様子の検査官の声が響いた。

「はい……」

 セルリアはぼう然として自分の頬を撫でた。親指についた赤が、これは現実だと謳っているようだった。


◇◇


 この時のセルリアはまだよくわかっていなかったんだ。この結果がどういうことなのか。これから、どんなことが起こるのか。なにせ、彼女はまだ無垢で、魔術のことなんてなんにも知らなかったんだから。


 でも、皆ならわかるかな? セルリアはどうなったと思う?

 お金持ちになった? 正解! 

 強い魔術師になった? うーん、ちょっと先だけど正解!

 お父さんの腰が治った? 正解!

 幸せになった? 

 ……どうかな。それじゃあ、続きを話そうか。セルリアは幸せだったのかな?



 セルリアは魔力検査道具を破壊してしまうほど、強い魔力を持っていたのです。その稀有な力のことはすぐに王家の知るところとなりました。そして、片田舎の農家の子であったセルリアは、なんと、第二王子に嫁ぐことになったのです。

 稀代の美男子と名高い王子に、大きなお城、美味しいご飯。これ以上の幸せはあるでしょうか。セルリアは何もかもを手にしたのです。そう、きっとそう見えていたはずなのです。


 しかし、どの時代でも、偉大な力に悲劇はついて回ります。幸せは不幸を呼び寄せる。セルリアに過失があったとすれば、それを理解していなかったことです。可哀想に、無垢なセルリアは、恐るべき兵器となってしまいました。たくさんの人が彼女の力を恐れ、憎み、そして彼女の死を願ったことでしょう。

 そして、彼女は命以外のなにもかもを失うことになります。

 

 セルリアと第二王子の結婚式は、壮大に行われました。初めて会う王子は噂に違わぬ美しさで、セルリアは見入りました。特に、その空を思わせる瞳は、セルリアが見てきたこの世の何よりも美しいと、本気で思いました。


純白のドレスに、セルリアの金色の髪と真っ白な肌はよく映えました。結婚式に参列した父親は、娘の様子に涙ぐみました。そして家に帰ると、妻の墓の前で泣きながらその素晴らしい結婚式の話をしました。


セルリアは王城で暮らすことになりました。夫となった王子は優しく、生活にもすぐに慣れていきました。そして、結婚して半年が経った頃。セルリアは、ある会話を聞いてしまったのです。


◇◇


「愚かな妻を、これ以上に弄べと?」

 セルリアは耳を疑った。

 今の声は、ジヒト様の声だ。そして、ジヒト様の妻というのはたった1人、この私……。

 セルリアは強ばった息を飲み込んだ。

 いや、違う。きっと今のはジヒト様の声じゃない。だって、ジヒト様はいつも優しい。あんなこと、言うわけがない。

 セルリアはそう自分に言い聞かせると、そっとその場を離れた。


 逃げるように立ち去ったはいいものの、セルリアは自室に戻ってからもずっと先ほどの言葉について考えていた。

 ちょうど通りがかりに聞えた言葉だったので、その前にどんな話をしていたのかはわからない。でも、思い出せば思い出すほど、あれはジヒト様の声だったように思うのだ。極めつけに、あの場所はジヒト様の書斎にほど近かった。きっとわずかに開いていた扉の隙間から、漏れ聞こえてきたのだろう。


『愚かな妻を、これ以上に弄べと?』


 あまりにも冷たい声音だった。冗談を言っているわけではないようだった。むしろ、怒っているような……。


 なにか、怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。

 セルリアは一生懸命考えてみるが、思いあたるものはなかった。今朝朝食を共にしたときはいつも通りだったし、それからは会ってない。

 たまに招かれる晩餐会やパーティ以外に外出することもないセルリアは、城の中で変わり映えのない毎日を送っていた。その日常の中で、ジヒトを特別怒らせる要素なんてなかったはずだ。


 ……ということは、つまり、ジヒト様は私のことが嫌いなのだろうか。


 そう思い至ったセルリアは、腑に落ちた心地がした。

 ジヒト様はいつも優しいから、これまで嫌われていると思ったことはなかった。でも、普通に考えれば当然だ。私は農民の子で、学もない。美しく芸に秀でた女性がたくさんいる中で、ジヒト様はこんな私を娶らなくちゃいけなかった。むしろどうして嫌わないでいられるのだろうか。

 確かに私は愚かな妻だ。こんなことにも気がつかなかったのだから。


「……よし!」

 セルリアは暗くなった気持ちを切り替えるように両手で頬をぱちんと叩いた。

 そして立ち上がると、紙とペンを持って部屋を出る。

 ジヒト様が私のことを嫌いなのは、私がジヒト様の妻としてふさわしくないからだ。それなら、私はジヒト様に好きになってもらえるような、そんな人間になればいい。

 セルリアは書庫に入ると、本を漁りだした。

 自分が出来ることはいったいなんだろう、とセルリアは考えた。その結果導き出されたのが、だったのだ。


 セルリアは魔術について書いてありそうな本をいくつか見繕うと、椅子に腰を下ろした。

 美しい金髪と真っ白な肌だけが取り柄のセルリアが持っていた天性の武器。身分もひっくり返すほどの強い魔力。それを上手く扱えるようになれば、きっとジヒトにも認めてもらえる。


◇◇


 彼女が魔術を学び始めたのは、そんな、たったひとつの理由からでした。まさか、その魔術の知識が、2人に取り返しのつかない溝を生むことになるとは、この時のセルリアはまったく思いもよらなかったのです。

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