第50話 H社テスト

 平日のスパは閑散としていた。いるのは、H社のチーム関係者と限られたコースオフィシャルだけだ。マシンは2台だけ。ABのマシンを3人が1回ずつ乗ってタイムを計測する。まずは、Aのマシン。乗る順番はくじ引きだ。ジョバンニ・ジュン・スペンサーの順だ。タイヤは各々ソフトのニュータイヤ。ただマシンが温まるだけ、後の方が有利かと思われた。2周目に計測で、フィニッシュラインを越えたらピットレーンを逆走してくることになっている。

 まずは、ジョバンニ。今年、Moto2では年間3位になった。他のMotoGPのチームからも声がかかっているような話だった。

 2周目の計測で、1分50秒45を記録した。コーナー出口でマシンが振られている。やはりGPマシンのパワーについていけないようだった。

 次にジュン。今年のベルギーGPのチャンピオンだ。それほど無理をせず、1分48秒77をだした。まだ余裕があった。

 3番目は、スペンサー。アランに聞くと、かつての英雄スペンサーの孫ということだった。ずっとアメリカを舞台にレースをしていたとのこと。スペンサーの走りは、鋭かった。ジュンは英雄スペンサーの走りはビデオでしか見たことがないが、倒し込みの素早さ、シケインでの切り返しは英雄スペンサーを彷彿させるものだった。ただ、タイヤには厳しい走りだと思った。注目のタイムは、1分47秒90をたたきだした。ピット内に歓声が沸いた。MotoGPライダーのジュンよりも速いタイムをたたきだしたのだ。対抗馬が本命馬になったようなものだ。

 Bのマシンでのテストが始まった。タイヤは、先ほど使ったタイヤを各々が使う。ジュンはタイヤを大事にして走っているので、ソフトタイヤでもあと1周のアタックは大丈夫だと思っていた。くじ引きでジュン・ジョバンニ・スペンサーの順番となった。

 ジュンは、1周目マシンの特性を感じとるために、加速減速、そしてコーナリングを確かめて走った。幸いなことにスパのコースは7kmもあるロングコースなので、いろいろなことを確かめられる。そしてフィニッシュ前のバスストップシケインからアタック開始。

 第1コーナーの右コーナー、ラ・スルスは超低速コーナー。ここからオールージュの急坂、そしてケメルストレートで、どれだけスピードが乗せられるかでタイムは決まる。ジュンはもう心得ていた。なにせ前回のチャンピオンなのだから。

 ストレートエンドのレ・コームからほぼUターンのリバージュコーナーはアクセルワークが大事だ。下手にブレーキをかけるとスリップする。そしてマシンを倒したまま左の高速コーナー。左に森があり、コーナーの先が見えない。世界屈指の度胸が試されるコーナーだ。バスストップシケインをスムーズに抜ければフィニッシュライン。タイムは、1分47秒77をたたきだした。先ほどより1秒アップ。ジュンにとっては、納得のタイムだ。GPの決勝タイムとほぼ同じタイムをだせた。初めて乗ったマシンでだしたタイムとしては驚異的だ。

 ジョバンニは、先ほどよりもマシンに手こずっている。タイヤがたれ始めていたんだろう。高速コーナーではマシンが安定していない。タイムは前回より悪くなり、しばらくヘルメットをとらずにいた。

 さて、スペンサー。意気揚々と出ていった。マシンはあったまっているので、1周目から全開走行だ。ジュンはタイムよりスペンサーが無事帰ってこられるか、心配になった。案の定、リバージュ後の左高速コーナーでスリップダウンした。切れ込みすぎて、前輪がもたなかったのだ。ピットにもどってきた時は、下を向いたままで、他のメンバーはだれも声がかけられなかった。英雄スペンサーの孫として、順風な道を歩んできた彼にとっては、初めての挫折だったのかもしれない。

 そこに、アランとともにジュンに近寄ってきた人間がいた。マルケルだ。

「 Good riding . I'm looking forward to being able to run with you next year . 」

(いい走りだった。来年、キミといっしょに走れるのを楽しみにしているよ)

 今までに何度かあいさつはしているが、話しかけられるのは初めてだった。ジュンにとっては、あこがれであり、目標の人だった。その人と同じマシンで走れるのは、まさに夢舞台にあがった感じがした。

「 Thank you so much . I'll be my best . 」

(ありがとうございます。がんばります)

と返事をしたら、マルケルは意味深な笑みを浮かべていた。最大のライバルと思ったのかもしれない。

 H社との契約を終えて、ジュリアに連絡したら大いに喜んでくれた。そこで、ジュリアが妊娠したことを告げられた。妊娠5ケ月とのこと。あのスイスのホテルでできた子どもだ。2ケ月前からわかっていたのだが、メルケル氏の葬儀やチームの解散があり、言い出せなかったという。ジュンは、最初怒ったが、すぐに喜びに変わった。その日のうちに、ジュンは1000kmの道をとばして、ジュリアの元に駆けつけた。

 1週間後には、近くの教会で小さな結婚式を挙げた。兄のハインツやジュンの両親はいないが、母となるジュリアに先に妻になってほしかったからだ。日本ではもっと盛大にやろうと二人で話し合っていた。ジュリアの母は涙ぐんでいる。カールとは、年間ランキング3位になったらプロポーズするという約束をしていたが、天国で許してくれているとジュリアの母親は言ってくれた。子どもができるまでは、ジュリアは母親と暮らすことになった。ジュンはチームでのテストがあるので、ベルギー住まいとなった。ハインツの家を借りることにして、しばらく別居生活となった。

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