第27話 ハインツの父

 11月、川口ファミリーは、ドイツ・ミュンヘンにいた。ジュリアが空港に迎えにきてくれていた。ジュリアのお迎えは派手だ。全員にハグをして、頬にキスをする。一緒に飛行機から降りてきた日本人観光客は呆気にとられていた。母親は、初めて外国にきたので、何から何まで珍しく、キョロキョロしている。

 ちょうど昼になるということで、ジュリアはミュンヘン中心部に連れていってくれた。広場には多くの人がいて、上を見上げている。正午の鐘が鳴ると、市庁舎の塔の中央部で人形が動きだした。中世の服装をした人がパレードしたり、馬に乗った騎士が槍試合をするなど、ドイツらしい趣きのある仕掛け時計だった。下から見るので、大きさはよくわからなかったが、ジュリアの話では人間と同じ大きさで、領主の結婚式を再現しているとのことだった。それが100年以上も前から動いているというのが、驚きだった。

 その後、近くのビアホールに連れていってくれた。ミュンヘンといえば、大きなビアホールが有名だが、そこは居酒屋風の店だった。そこで、ジュリアはジョッキビールを注文した。席に座ると必ず飲まなければならない雰囲気だった。そういう雰囲気に慣れていない母親はおどおどしていた。そこに、ウェイターが4本まとめて持ってきた。ジュリアが、

「 My father ' s beer , please . 」

(私の父のビールです)

と言い出した。ジュリアの父は農園主と聞いていた。よく聞くと、数年前にビール会社を買収して、今はそっちの方に夢中になっているということだった。そういえば、ハインツのつなぎに、このビールの名前である「 Grokken 」のステッカーが貼ってあったのを思い出した。ハインツの個人スポンサーだったのだ。味はフルーティ。日本のビールとは違い、苦みをあまり感じなかった。まるで泡のでるワインという感じだった。母親も美味しいと言いながら、大ジョッキの半分まで飲んで、そこでギブアップ。

 そこから車で1時間ほどで、結婚式が行われる教会の近くにあるホテルに着いた。湖の近くにあるクラシックな雰囲気の豪華ホテルだ。湖の見えるスィートルームに案内された。寝室が2部屋。母親はふだん和室に布団をしいて寝ているので、寝られるかしらと心配していた。剛士は、

「トランポ(運搬車)の簡易ベッドよりはいいな」

とのんきなことを言っている。

 夕食の時間になり、パーティルームに案内された。ハインツの家族との顔合わせの会である。席の配置図を見ると、窓側の中央にハインツの父と剛士が座り、父の隣に景子が座った。どうやら父母の通訳の役割を任されたようだ。

 びっくりしたのは、ハインツの父の隣にジュンの席があることだ。ハインツの父はカール・メルケルといい、60才近くの恰幅のいい紳士である。口ひげをたくわえ、かの歴史上の人物ビスマルクに雰囲気が似ている。なぜ、ジュンが隣に座らされるのか、すごく緊張した。ジュンの前はハインツで、その隣がジュリア、そしてハインツの母親。50才近くの体格のいいマダムだ。ジュリアも年をとれば、こうなるのなのかなとジュンは思った。そして、景子の前に母親が座る。川口家ではジュンだけが離された状態だった。部屋に入ると、ハインツと父親がドイツ語で話をしている。苦手なドイツ語でしゃべらないといけないのかと思っていたら、ハインツの父親が、

「 Nice to meet you . Sit down please . 」

(はじめまして、どうぞお座りください)

と英語で話しかけてきてくれた。ジュンはお礼のあいさつをし、席についた。会食は淡々と進んだ。カールはジュンの父親と母親に話しかけ、それを景子が通訳していた。ジュンはハインツとジュリアのにこやかな顔を見ながら食事を楽しんだ。

 デザートのアイスクリームが出てきたところで、カールがジュンに話しかけてきた。

「 Jun , are you Japanese champion ? 」

(ジュン、あなたは日本のチャンピオンですか)

と聞いてきた。いよいよ始まったかと思いながら、ジュンは答え始めた。

「 No , I am not Japanese champion . My ranking is third . 」

(いいえ、私はチャンピオンではありません。ランキング3位です)

と言うと、ハインツが助け船をだしてくれた。

「 He was winner of MotoGP Japan round . He is miracle boy . Last year , my champion was by his support. 」

(彼はMotoGP日本ラウンドの勝者です。とてもミラクルな奴です。去年、私がチャンピオンになれたのは彼の助けによるものです)

「 Miracle ? 」

(ミラクルとは?)

「At Japan round , he was last position on third rap , but he won on final rap . 」

(日本ラウンドで3周目、彼はビリだった。でも、ファイナルラップで勝った)

「 Oh it is miracle ! What did you do ? 」

(オー! それはミラクルだ。何をしたんだ?)

と聞かれたので、ジュンは淡々と説明し始めた。

「 We selected intermidi tire , another all machines selected rain tire .

(私たちはインターミディタイヤを選択しました、他の全てのマシンはレインタイヤです)

 At start time , it was rainy , but at fifth rap , it was cloudy , no rainy .

(スタート時は雨でした。でも、5周目にはくもりで、雨はなしです)

 Another all machines changed tire , except Mr. Russi & me .

(他のマシンはタイヤ交換をしました。ルッシさんと私をのぞいて)

 I had battle with Mr. Russi , but at 20th rap , Mr. Russi did slip down on

the right turn .

(ルッシさんとの闘いになりました。でも、ルッシさんは20周目に右コーナーでスリップダウンしました)

 I had a first position , but two machines were drawing near in the rear . 」

(私はトップになりました。でも、2台のマシンが後ろに迫ってきました)

 Two machines were being exchanged for a slick tire .

(2台のマシンはスリックタイヤに交換していました)

 At final rap , two machines removed me and went on the straight .

(最終ラップに、2台のマシンはストレートで私を抜いていきました)

 But on the last right corner " ninety corner " , two machines were reserved

and slid off the course . 」

(しかし、最後の右ターン90度コーナーで、2台のマシンは転倒し、コースアウトしました)

 I won the victory in that . 」

(それで私が勝ちました)

身を乗り出しながら聞いてきたカールが質問してきた。

「 Mr. Marquel ? 」

(ミスターマルケルは?)

「 Mr. Marquel was second position . He was being exchanged for intermidi tire . 」

(マルケルさんは、2位でした。彼はインターミディタイヤに交換していました)

「 Did you win against Mr. Marquez ?  It was wonderful ! 」

(ミスターマルケルに勝ったのか? それはすごいことだ!)

ジュンはその時の表彰台の写真をカールに見せた。カールは偉大なマルケルに勝ったジュンを抱きしめんばかりに手を握ってきた。

「 Did you decide tire choice ? 」

(あなたがタイヤ選択を決めたのか?)

「 No , my father & chief mechanic decided . 」

(違います。私の父とチーフメカが決めました)

すると、カールは父の方を振り返り、大げさなジェスチャーととともに

「 Oh ! Very great ! Mr. Kawaguchi , you are very great ! Great director ! 」

(すばらしい! 川口さん、あなたはすばらしい! 偉大な監督だ!)

とほめたたえてきた。父の剛士は。ジュンと話をしていたカールが振り返って、急にグレートの連発だったので、何のことか分からずびっくりしていた。その顔を見て、周りにいた皆が笑っていた。

「 By the way , what do you think for Julia ? 」

(どころで、あなたはジュリアのことをどう思っていますか?)

とカールがジュンに聞いてきた。ジュンはとうとうこの質問がきたかと思った。今日、隣に座らされたのは、このことをカールが聞きたい一番のことだと思っていた。どう答えようか迷っていると、ジュリアが

「 Jun is one of boyfriends . We are no kissing . 」

(ジュンはボーイフレンドの一人よ。まだキスもしていないもの)

と助け船を出してきた。ジュンは、(あのキスはあいさつ程度なのか)と、オーストラリアでチュをされたのを思い出していた。

「 Really ? 」

(本当か)

とカールがジュンに問い直すので、

「 Yes . 」

(はい、そうです)

「 She is still a student . Association is not admitted until she graduation a

 university . 」

(ジュリアはまだ学生だ。卒業するまで交際は認めない)

「 I see . 」

(わかります)

「 If you are take up her , it is not permitted . 」

(ジュリアに手を出したら許さない)

と言って、ギロチンのサインをした。父親の娘に対する思いは全世界共通のようだが、ジュンはジュリアに手をだしていなくて助かったと思った。

 その様子を見ていたハインツは、終始笑いを隠せなかった。その日は、これで終わった。ジュンは冷や汗の一日だった。

 翌日、景子は結婚式のための衣装合わせと髪結いの日だった。ジュンたち3人は、ヒマなのでジュリアに連れられてドライヴに行った。ジュリアの運転は、ちょっとおぼつかなかったが、アルペン街道といわれる高原の道路は気持ちがよかった。途中、草原の見えるところで、ジュリアは車を停めた。11月だというのに、緑の草原が広がっている。反対側はアルプスの山々で雪景色だというのに・・・。

「 All places seen from here are our farm . 」

(ここから見える全てが、ウチの農園なのよ)

と言いだした。およそ100haはあると聞いていたが、実際に見ると壮大な広さということがわかった。それ以外にも、牛や馬を100頭ほど飼っているということだし、ビール醸造所ももっているのである。呆気にとられて見ていると、

「 My brother was practicing a motorcycle here around a child . 」

(兄は子どものころ、ここでバイクの練習をしていたのよ)

と教えてくれた。どおりで、あのオフロードマシンのような乗り方ができるんだなと思った。

 昼前にフッセンという町についた。かの有名なノイシュヴァンシュタイン城のある町だ。あいにく観光客が多くて入城はできなかった。予約していないと難しいらしい。でも、城の裏側にあるマリエン橋までバスで行き、城を見ると、そこは絵はがきの世界だった。まさに絶景だった。

 遅い昼食は、城に近いレストランで「ホワイトアスパラガスのベーコン巻き」を食べた。クリームソースがとてもおいしかった。量も多くなく、アスパラガスがこんなにおいしいものとは初めて知った。

 夕食は、食欲がわかず、3人でカップラーメンを食べた。ヨーロッパのカップラーメンは日本のものより麺が短かったが、味は日本と同じだった。

 明日は景子の結婚式。景子と一緒に過ごしたかったが、父親の剛士は景子にあいさつをされるのがいやだったらしく、景子に会いにいかなかった。でも、寝る前に景子が部屋にやってきた。父親と母親の前で、

「今まで育ててくれてありがとう。日本とドイツは遠いけれど、心はつながっています。毎日、TV電話するからね。これからも元気でいてね」

という言葉に、父親の剛士は涙ぐんでいた。明日の結婚式でどうなることやら、周りの人間は心配になった。

 翌日の結婚式、昼前に教会で結婚式があり、花嫁入場の際は、父親の剛士が景子に連れ添った。とても緊張していて、ぎこちない歩き方だった。景子とハインツがキスをする際、剛士は下を見ていた。結婚式後に、教会の階段のところでブーケトスをすると、ジュリアが受け取った。ジュリアはすごく喜んでいたが、父親のカールは苦虫をかんだような顔をしていた。

 披露宴パーティーには100名ほどの人たちが招待されていた。立食パーティーでバンドの演奏はあったが、特にあいさつがあるわけではなく、個々に会話をするだけであった。新郎新婦もそれぞれに知人との話をしており、皆でしたのは新郎新婦入場の際の拍手だけだった。ケーキ入刀もなければ、乾杯もなかった。父親の剛士は短いながらも英語のスピーチを用意していたが、それを言うチャンスはなかった。ホッとしたような、がっかりしたような顔をしていた。パーティーはいつ終わるかわからなかったので、時間を見て部屋にもどった。こちらのパーティーはそういうものらしい。

 結婚式の翌日、夜の飛行機でハインツと景子は新婚旅行にでかけた。行き先は沖縄の離島である。南太平洋のリゾートという計画もあったらしいが、景子の願いで日本語の通じるリゾートに行きたいということで沖縄になった。よって、機内では帰国する両親と同じになった。もっともビジネスクラスとプレミアムエコノミーなので、席は離れていたが・・・成田空港の荷物受け取り場所で一緒になり、ハインツはなんか家族旅行に来たような感がしていた。

 ジュンは、またもやKT社の近くの寮に入った。レースが始まるのは、3月末からなので、まだ余裕があるのだがジュンは運転免許をとるために、早めにオーストリア入りをしたのだ。日本の国際免許は1年間しか有効ではないので、ヨーロッパ全体で通用する免許をとりたかったのだ。実地練習は、右側通行に最初ためらったが、左ハンドルなので30分ほどで慣れた。ただ、最初から公道利用なので、その点は緊張した。モンテカルロのラリーコースのような道を60km/hで走る車がざらだからだ。10時間ほどで実地は修了したが、苦労したのは学科である。日本語コースはもちろんないので、英語で受験した。選択式の問題なのだが、読み取るのに時間がかかり、時間内に全問を答えられなかった。1回目は完全にギブアップ。2回目はおしくも落第。そこで、休日にジュリアの特訓を受けた。ジュリアの指導は結構厳しかった。将来の自分の姿が見えるような気がした。でも、おかげで3回目で合格できた。すると、ハインツの父親から自宅にあるBMWの旧車をプレゼントされた。735という大きなタイプだ。エンジンの大きさは3400ccという大きなタイプだ。30年前に製造されたものである。ハインツからは「親父車」とバカにされた。でも、高速の走りは良かった。ヨーロッパ内ならどこでも行けそうな気がした。

 2月からテスト走行が始まった。KT社のチームは2チーム制をとった。どちらもサテライトチームなのだが、1年の成果を見て、来年どちらかをファクトリーチームにするということだった。ジュンのチームは「Grokken KT 」といい、ハインツの父親がメインスポンサーのチームだ。監督はアメリカ人のジム・レイニーだ。もう一方のチームは「Blue belle KT 」KT社のメインスポンサーのドリンク会社のチームだ。日本の剛士のチームは、こちらとつながっている。

 ジュンとハインツは新しいマシンに苦戦していた。思うようなタイムがでない。もう一方のチームのマシンも似たようなタイムなので、ライダーの問題よりマシンのせいだと思われた。その原因はよくわからなかった。


 そして3月、シーズンが始まった。全17戦のサーカスの始まりである。


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