第26話 MotoGP 日本ラウンド ワイルドカード参戦

 10月半ば、ハインツと姉の景子がジュンの自宅にやってきた。ハインツは紋付き袴を着ている。レンタル衣装店で着付けをしてもらったそうだ。父親と母親の前で、慣れぬ正座をし、メモ用紙を横に見ながら

「ケ・イ・コ・サ・ン・ヲ・オ・ヨ・メ・ニ・ク・ダ・サ・イ・シ・ア・ワ・セ・ニ・シ・マ・ス」

と一文字ずつ日本語で話した。隣の部屋で見ていたジュリアが

「 Bravo ! My brother is fantastic ! 」

(すごい! お兄ちゃん偉い!)

と一人で騒いでいた。父親と母親はOKと言っていたが、ジュンは(こういうのって、結婚式の日取りを決める前に言うんじゃないの?)と、11月にミュンヘンで式を挙げることが決まっているのに茶番だと思った。姉の景子もそう思っていたようだが、

「ハインツがね、日本の結婚式のビデオを見て、これをやりたかったんだって・・。ジュンがジュリアにプロポーズする時、どうするのか楽しみだわ。ミュンヘンで向こうの両親を紹介するからね」

「プロポーズだなんて、まだ考えていないよ」

と言ったジュンだが、ジュリアが両親にジュンのことを何と言っているか・・・二人に会うのがちょっと怖くなった。

 翌日、MOTEGIへの移動、岡崎夫人も亜美ちゃんを連れて見送りにきてくれた。岡崎さんは、まるで永遠の別れをするような顔をしていた。1週間しか離れないのに・・・。娘は大事なんだな。と思うと、またジュリアの父親の顔が浮かんできた。

 木曜日、練習走行日。天候は晴れ。秋晴れの気持ちのいい日だ。ジュンはハインツが所属するチームの系列チームから参戦することになった。オーストリアの社員寮にいた時に知った顔が多くいて、すぐに馴染むことができた。ただ、ゼッケンは93を英雄マルケスが使っているので、別のゼッケンにすることになった。KT社のマシンはぞろ目の番号を使うことが多いので、22か77のどちらがいいか聞かれた。ラッキーナンバーの77も魅力だったが、デビュー時の22に決めた。初心にもどるという気持ちだった。マシンはJSBで使っているマシンをMotoGP用に少し改造し、カウルを変えた。金ちゃんラーメンとベルVのステッカーは貼ることが許された。

 野田はY社のサテライトチームから出ることになった。かのレジェンド、ロッシのいるチームだ。ゼッケンはJSBと同じ3をつけている。そのゼッケンが空いていたということもあったが、岩上の30にあやかろうという魂胆があったらしい。これで、3人の日本人ライダーが参戦するということで、いやが応でも盛り上がり、チケットの売上げは最高だということだ。

 練習走行のジュンのタイムはまずまずだった。といっても、皆が本気を出しているわけではないので気にするほどではないが、10番目のタイムだった。JSBレコードの1分46秒台で走ることができた。

 その夜、キャンピングカーにハインツと姉の景子がやってきた。一緒に紅茶を飲もうという趣向だった。姉の紅茶を飲むのは久しぶりだ。変なものは入っていなかった。ハインツは、年間ポイントで佐伯に続いての2位につけている。2ポイント差なので、今回優勝すれば、ハインツが年間チャンピオンだ。優勝できなくても3ポイント差をつければいいのだ。

 そこでひとつハインツから情報が入った。来年度のMotoGPクラスのKT社のライダーがまだ未定だということだ。その候補にハインツも入っているとのこと。1年間テストライダーとして実績を積み重ねていたということだった。もう一人が未定で、今回の結果次第ではジュンにも可能性があると言い出した。ジュンは驚いた。KT社との契約では、2年後に検討するということだった。今年は、修行の年だと思っていたのである。ハインツの話は内部情報で憶測の域から出ていない。余計なことと思って、まずはこのレースに集中することにした。

 金曜日、フリー走行。今日からが本番だ。タイム計測が本格的に始まる。ジュンは、昨日のタイムより0.5秒アップさせ、1分46秒3を出した。だが、順位は12位に落ちた。他のライダーも本気を出してきたのだ。MotoGPのフリー走行は予選の予選を兼ねている。10位以内だと、公式予選2に自動的に進めるが、それ以下だと公式予選1を経なければならない。それも公式予選2に進めるのは、2台だけなのだ。ジュンは12位なので、公式予選1に出ることになった。

 土曜日、公式予選。スケジュールはとても厳しい。15分の公式予選1の後、10分間の休憩をはさんで、公式予選2が15分。公式予選1に出走し、上位2台に入ったマシンは、すぐに公式予選2にでなければならない。どうしても不利だ。

 公式予選1。ジュンはすぐにピットアウトせずに、他のマシンが出終わったころに出ていった。15台の出走なのだが、できるかぎり他のマシンに邪魔されたくなかった。3周目、アタック。幸いなことに前にマシンはいない。1分46秒2の自己新を出せた。一度ピットにもどる。自分のタイムを見ると3位のタイムだ。これでは公式予選2に出られない。チームメートのマリア・テレジアは1分46秒1を出している。マリアは、オーストリア人女性ライダーだ。といっても身長はジュンより大きい。後ろ姿は男性と同じだ。ただヘルメットをとる時の仕草がとても人気だ。髪の毛がパラッとでてくるのである。ただ、年間ポイントは12位にとどまっている。それで来年の契約は微妙だと言われている。残り時間5分。ジュンは再アタックに出た。ソフトタイヤがもつかどうか心配だったが、2周目、最後のアタックをした。90度コーナーでやや滑りかけたが、カウンターをあてて強引に曲がった。1分46秒0。マリアを上回り、公式予選2にすすむことができた。もどってきて、すぐにタイヤ交換。今度は12台の予選だ。トップライダーたちとの真剣勝負。ジュンもその集団についていった。H社がマルケル・マルケル弟・岩上の3台。Y社がモリビデル・クワンタロ・ルッシ・野田の4台。S社がミロとリース。イタリアのD社はドヴィツォーロ。ジュンのチームメートはカルロスというスペイン人で来年はD社のマシンに乗ることが決まっている。KT社でのレースは今回が最後となる。

 3周目アタック。ジュンの前にはルッシがいた。往年の速さはないが、コーナーでの体重移動はさすがだ。特にS字の左コーナーでは転倒しかねないほど倒して回っていく。膝に路面を感じるためのスポンジ状のバンクセンサーというのをライダーはつけているのだが、足をたたむような感じで走っていく。ジュンはそこまで倒せなかった。だが、V字コーナーや90度コーナーというカーブのきついところでは、追いつくことができた。ルッシのマシンはブレーキが不調なのかもしれない。ピットにもどってタイムを見ると、1分46秒2。ルッシより0.2秒遅かった。これ以上伸びないとチームは判断し、再アタックはしなかった。無理して転倒することを恐れたのだ。結果12位。4列目のインからのスタートだ。

 その夜、キャンピングカーで明日の対策が行われた。父親の剛士。チーフメカの岡崎・ジュンそれにハインツと景子までいる。川口ファミリーの集結である。問題は、明日の天気によるタイヤ選択だ。このレースウィーク中、ずっと晴天だったが、予選を終えたあたりから雲行きが悪くなった。ほとんどの天気予報が茂木町周辺は雨と予想している。だが、ひとつだけネットのWニュースだけが午後からくもりと予報を出している。このWニュース、自衛隊のレーダーとつながっていて、結構ピンポイントで予報をだすことで知られていた。岡崎は風の強さを調べた。風速5mとでた。強風というわけではないが、それなりの風があるということは、雨雲が流れる可能性があるということだ。父親の剛士が

「ここは山に囲まれているので、天気が変わりやすい。霧がでる時もある。悩むな」

「確かに、ここは天候が不安定です。でも、晴れる時はすぐに晴れます。それに水はけのいいコースです」

と岡崎が応えた。

「岡崎さん、何が言いたい?」

「タイヤの選択です。他のチームはおそらくレインタイヤを選ぶでしょう」

「だろうな。それが妥当だ」

「でも、ジュンさんがレインタイヤをはいても勝てるチャンスはありません」

「勝てるチャンス? 岡崎さんはMotoGPで勝とうと思っているのですか?」

「もちろんです。ジュンさんは、今までのレースで勝利を考えなかったレースはありません。この3年、ジュンさんのあくなき闘争心は充分わかりました。ですから、私はたとえ世界最高峰のレースであっても勝ちをねらいたいのです」

その言葉にジュンが応えた。

「岡崎さん、ありがとう。その気持ち嬉しいです。でも、明日のレースで勝てるチャンスがあるんですか?」

「博打をうちます」

その答えに皆は不思議な顔をした。岡崎にふさわしくない言葉だったからだ。剛士がその言葉に反応した。

「俺もそれを考えていた。インターミディだな」

「そうです。レース途中で雨がやむとすれば、インターミディが最適です。ただ、前半は置いていかれます。でも、雨が止んでから追い上げれば、1周あたり10秒詰められる可能性があります。仮に、中間の12周目で周回遅れになっていても、ファイナルラップで追いつく計算です」

「いいね。おもしろいじゃない。周回遅れでもトップをねらえるなんて」

とジュンが笑いながら言うと、父親の剛士が真顔で言った。

「前半はビリだぜ。おまえがそれに耐えられるか? こけるのがオチだ」

ジュンはシュンとなった。

「川口さん、大丈夫ですよ。作戦とわかっていれば、ジュンさんも落ち着いて走れますよ。結構クレバーになりましたから」

という岡崎の助け船に、ハインツが反応した。

「 Jun , are you clever ? Oh very nice . 」

(ジュン、賢くなったの? それはいい)

と、にやにやしながら話した。

「ハインツに言われると、なんか調子狂うな」

とジュンが応えると、皆の笑い声が聞こえた。

 ハインツがMoto3が行われる午前11時の天気予報を聞いてきたが、どの天気予報を見ても雨だった。ハインツは雨のMOTEGIを経験していない。去年のMOTEGIも雨だったが、ハインツは病院にいたのである。佐伯たちライバルは雨のMOTEGIを経験している。ハインツは気を引き締め直して、景子とともにホテルにもどっていった。

 日曜日、決勝日。朝から雨だった。風も結構あり、きつい雨がヘルメットのシールドにたたきつけている。ウォームアップランで、チームはレインタイヤを選択した。岡崎さんはチーム監督のジムにジュンだけでもインターミディを使わせてほしいと頼んだが、却下された。どしゃぶりの状態では無理もない選択だった。これで、ジュンはインターミディで練習する時間を失った。

 午前11時、Moto3の決勝。ポールのハインツはスタートで遅れ、佐伯に先行を許した。その後、コースアウトするマシンが続出。レースは佐伯とハインツの一騎打ちとなった。勝った方が年間チャンピオンだ。後で知ったことだが、佐伯もMotoGPライダーの候補者の一人だったとのこと。KT社本部は、このレースで勝った方を昇格させると考えていたらしい。ハインツは、ジュンと同じような金魚のフン走法に徹している。ストレートは水しぶきを受けないようにラインを変えているが、コーナーは佐伯のラインにのり、てんとうしないようにしている。

 ジュンは90度コーナーの勝負だなと見ていた。ファイナルラップ、とんでもないことが起きた。90度コーナーでハインツはアウトから抜きにかかった。インにいた佐伯がマシンを倒したところで、リアタイヤから滑った。スリップダウンだ。ハインツにぶつかる!と思った瞬間、ハインツはブレーキをかけ、佐伯の転倒に巻き込まれずにすんだ。ハインツの前を佐伯のマシンが滑っていく。後は、ハインツがコーナーを曲がれるかどうかだ。ここで、ハインツはカウンターをあてて曲がろうとし、あろうことか右足を出して地面を蹴っている。まるでスーパーモトのターンだ。観客はハインツのスーパーライディングに歓声を上げていた。小さいMoto3のマシンゆえにできることである。ハインツはそのままトップでチェッカーを受けた。KT社の面々も大騒ぎだった。景子だけは、キャンピングカーの中で静かにしていた。母親と同じでまともにレースを見ることができないらしい。表彰式が終わって、走ってもどってきたハインツに抱きつかれて、初めてチャンピオンになったことを知った景子であった。

 午後1時、Moto2の決勝が始まった。この時間、ジュンたちは最終セッティングの時間だ。岡崎は、PCのWニュースの画面をチーム監督のジムに見せて、ジュンのタイヤをインターミディに換えたいと申し出ていた。しかし、コースは水びたし。Moto2のレースも完全にウェットだ。ここでレインタイヤ以外を選択することは考えられなかった。そこに着替えを終えたハインツがピットにやってきた。監督のジムはハインツの登場に心から喜んだ。来年、ハインツがチームに入るかもしれないという情報を得ていたからだ。そして二人で何やら深刻な話を始めた。数分後、ジムはしかめっ面をして、岡崎と話を始めた。込み入った話のようで、通訳を介している。話し終わると、岡崎が

「よし、ジュンのマシンはインターミディでいくぞ」

と木村たちメカに指示をした。後で聞いたことだが、ハインツの助言があり、岡崎さんのクビをかけて、タイヤ交換に踏み切ったということだった。雨がやまなければ、岡崎さんはKT社をやめる覚悟だったらしい。

 午後2時半、決勝。雨は降っている。ジュン以外は皆レインタイヤだ。スタート前にジュンがインターミディを履いているのを知った野田は冷ややかな視線をあびせていた。岩上は沈黙したままだった。ジュンの戦略を考えているようだった。

 予選の順位は、マルケル、クワンタロ、ミロが1列目。岩上、モリビデル、リースが2列目。マルケル弟、ドヴィツォーロ・カルロスが3列目。4列目が野田・ルッシ・ジュンとなっている。ジュンの救いはインにいることである。中央だと水しぶきをまともに受けるが、第1コーナーまではラインをはずしても問題はない。

 スタート。巨大な水のスクリーンができた。ジュンはインの壁ぞいに沿って走り、その水しぶきを避けた。ストレートは他のマシンと同様のスピードを出せるが、コーナーでは早めにブレーキをかけないと曲がれない。インにいるとぶつけられそうになるので、第3コーナーからはアウトでまわる。どうしても大回りになるので、遅れてしまう。

 2周目、順位は20位に落ちていた。一列になり、遅いマシンには負けないと思ったが、コーナーの立ち上がりごとに、1台ずつ抜かれていった。

 3周目、とうとうビリになった。トップとの差は20秒だ。しかし、雨が小降りになってきた。希望はある。

 4周目、トップとの差は30秒。想定どおりのタイム差だ。ジュンは単独ビリで、ラインをきちんと走っている。

 5周目、雨がやんだ。ヘルメットのシールドに感じる雨は、前のマシンの水しぶきだ。トップとの差は40秒。

 6周目、ラインは乾いてきた。トップとの差は40秒で変わらない。いよいよ追撃開始だ。

 7周目、ラインは完全に乾いている。レインタイヤのマシンはストレートでラインを外し、濡れているところを走っている。それで、どんどんラインが広がっている。トップとの差は35秒に縮まった。

 8周目、トップ集団との差は30秒に縮まった。空には陽射しが見えるようになってきた。ジュンはこの周だけで、3台抜いた。22位に上がった。

 9周目、トップ集団に異様な動きが見られた。トップのマルケルがピットに入ってインターミディを履いたスペアマシンにチェンジしたのだ。マルケル弟も続いた。トップはクワンタロに変わった。トップとジュンとの差は25秒。ピットに入った2台はジュンの後方になった。ジュンは20位にアップ。

 10周目、多くのマシンがピットに入った。残ったのはルッシとジュンだけだった。ルッシとの差は15秒。ルッシも予選がふるわなかったので、このままレインタイヤで逃げ切る作戦のようだ。ジュンは2位に上がったのである。ピットに入ったマシンは、ほとんどがインターミディだったが、2台だけスリックタイヤに換えた。野田と岩上だ。二人ともジュンがインターミディを履いているのを知っていたからだ。しかし、ラインを外せば、まだ濡れている。いわばこの選択は博打だ。案の定、二人はストレート以外では抜けずにいた。

 11周目、ルッシとの差は13秒に縮まった。このままでいけば、追いつける。ジュンのサインボードは踊っているように見えた。

 12周目、ルッシとの差は11秒。ストレート1本分だ。レースアナウンサーもジュンの名前を連呼している。

 13周目、ルッシとの差は9秒。ジュンのピットは大騒ぎだ。作戦をたてた岡崎さんはピットクルーから祝福を受けている。まだレースは終わっていないのに・・・。

 14周目、ルッシとの差は7秒。ルッシのサインボードには「 No22 +9」と出ている。22番のマシンが9秒後にいるということだ。ロッシはなんのことかわからず、首をかしげているようだった。ワイルドカードのマシンのゼッケンなど覚えていなかったのだろう。

 15周目、ルッシとの差は5秒。ルッシのサインボードには「 No22 +7」と出た。2秒縮んでいることを知ったルッシはコーナーで後ろを振り返った。そこに見慣れぬマシンが追いかけてきたことを知ったルッシは、気を取り直してアクセルを開けた。

 16周目、ルッシとの差は4秒。さすがルッシ。ジュンが思うようには縮まらない。

 17周目、ルッシとの差は3秒。ジュンにはルッシの背中が大きく見えてきた。

 18周目、ルッシとの差は2秒。後2周で追いつける。だが、往年の速さはないものの40才を過ぎても世界の最高峰で戦っているレジェンドだ。スキはない。

 19周目、ルッシとの差は1秒。第1コーナーで追いつくことができた。ジュンは嬉しかった。あこがれのルッシとトップ争いをしているのである。まさか、こんな機会があるとは昨日まで思っていなかった。

 20周目、金魚のフン走法でルッシにくっつく。なかなか抜くチャンスを見いだせない。ところが、S字のコーナーの最後の右コーナーでルッシが消えた。左のコースサイドに滑っていったのである。レインタイヤで無理をしていたせいなのか、ルッシらしからぬスリップダウンだった。ジュンはドキドキしてきた。自分がトップになったのだ。(落ち着け、落ち着け)と心の中で繰り返していた。

 21周目、メインストレートのスタンドは大騒ぎだ。でもサインボードは踊っていなかった。「 No3&30 +10」と出ている。野田と岩上が10秒差で迫っていることを表示していた。

 22周目、サインボードは「+8」と出ている。2秒縮まっている。このままだとファイナルラップで追いつかれる。ジュンは気を引き締め直した。観客の大声援は聞こえなくなった。それだけ集中できたのである。

 23周目、サインボードは「+6」ストレート半分の距離だ。

 24周目、サインボードは「GO」と出ていた。後ろの2台のエンジン音を感じるようになった。

 25周目、ファイナルラップ。メインストレートで追いつかれた。スタンドは日本人3人の争いで盛り上がっている。大きなうなりが聞こえる。第1コーナーは何とかインを抑えたが、第4コーナーの立ち上がりで岩上に抜かれ、第5コーナーで野田に抜かれた。3台が一列になりS字コーナーを駆け抜けていく。ダウンヒルストレートでは前の2台についていけない。ダメかとジュンが思った瞬間、90度コーナーでインに突っ込んだ野田が滑った。アウトにいた岩上を巻き込んで、コースアウトしていった。ジュンは信じられなかった。自分がトップで最後のヴィクトリーコーナーを抜ける。思わず、左手でガッツポーズをしていた。すると、観客席の「ジュン、ジュン」の大歓声が聞こえてきた。第3コーナーに日の丸をもったオフィシャルがいたが、父親ではなかった。スロー走行で受け取り、ウィニングランを行った。優勝と2位では大違いだと改めて感じた。

 ピットレーンのポディウム(表彰台)の下に来ると、2位のマルケルと3位のマルケル弟がいた。二人ともジュンに握手を求めてきてくれた。かの英雄マルケルが手をさしのべてきてくれたのだ。ジュンは勝利を実感していた。柵の外ではチームスタッフが喜びを最大限に表していた。木村さんは涙を流していた。監督のジムとハグをし、岡崎さんとがっちりと握手をした。

「今日の優勝は岡崎さんのものです。ありがとうございました」

「俺は作戦を立てただけです。それが上手くいったのは、ジュンさんが我慢の走りをしたからです」

そこにハインツがやってきた。すごく興奮していて、

「 Next year , you and me are teammate . 」

(来年、同じチームだ)

と言っていたようだが、歓声にかき消され、ジュンにはよく聞こえなかった。

 表彰台では、最高の感激だった。国歌演奏の際、今回は堂々と胸をはってジュンも歌うことができた。Moto3の優勝とはまるで違う。サーキットの中にいるみんなが、見てくれている。表彰後のインタビューでは次のようなやりとりがあった。

「ジュンさん、初参戦で初優勝おめでとうございます。今の心境は?」

「はい、天にも昇る気持ちです。体が浮いています」

「一時は最下位に落ちましたが、タイヤ交換なしで走ったことが勝因ですか?」

「そうですね。チーム戦略のおかげです。私は3台しか抜いていません。でも、あこがれのルッシさんとバトルできて、嬉しかったです」

そこに、メモをもったTVスタッフがやってきた。それを見たインタビューアーが

「すごいニュースです。チーム監督のジム・レイニーさんが、来シーズンのジュンさんのフル参戦をKT社本部に要望する。と言ったそうです。ジュンさん、どうですか?」

「そうなんですか? 元々はあと1年という話だったんですが・・・」

「今日の走りで1年早まったんですね。おめでとうございます。ファンの皆さんに一言お願いします」

「皆さん、今日はご声援ありがとうございました。来年もこの舞台に出たいと思います。これからも応援よろしくお願いします。My power with you ! 」

スタンドは「ジュン! ジュン!」の大合唱だ。

 ピットにもどってくると、手荒な歓迎を受けた。皆、監督のジムが話したことを聞いていた。来年は、チームの一員になれる歓迎の意味なのだ。最後には、ペットボトルの水を頭からかけられた。そんなジュンを岡崎さんは温かい目で見ていた。

 鈴鹿の自宅に戻ると、ハインツと景子もいた。父親とゆっくり話ができずにいたが、やっと時間がとれた。

「ありがとう。親父と岡崎さんが立てた戦略のおかげで優勝できました」

「博打が決まったということさ。お前の運が良かったんだよ。でも、レース中にマシンチェンジするチームがいるとは思ってなかったな。それも、スリックでくるとはな」

「あの二人は、グリッドでオレのタイヤを見ていたからね。インターミディに換えたのでは勝てないと思ったんだろうね」

「それで2台で競って、コースアウトか。1台だけだったら完全に負けていたな。ああいうレースはなかなかないな」

「だね。予選12位だから、普通ならよくて10位だね。どころで、ハインツは来年どうなるの?」

その質問にハインツはあきれた顔をして、

「 You & me are teammate . 」

と一語一語ゆっくり話した。MOTEGIで話したとおりだ。それを聞いたジュンは

「一緒のチーム? ワォ最高だ!」

とハインツに抱きついた。ジュリアも一緒になって抱き合った。そこで、ジュリアの父親の顔が頭の中に浮かんで、思わず離れてしまった。

「ところでジュン、ブルーベルKのチームは来年もKT社との契約が残っている。そこでライダーは青木兄弟と契約しようと思っている」

「いいね。お二人なら鈴鹿でやっているし、オレも8耐には出られるんでしょ」

「それはいいが、メカの岡崎さんだが、ヨーロッパには行けん。チームにとっては、大事なチーフメカだ。お前はジュリアさんと一緒に行け」

「・・・・・」

ジュンは返答ができなかった。岡崎さんのいないチームは考えられなかった。そこに亜美ちゃんを抱っこした岡崎さんが部屋に入ってきた。

「あみちゃ~ん、チャンピオンのジュンさんに抱っこしてもらおうね」

と甘い声を出して、ジュンに亜美ちゃんを抱かせ、写真を撮り始めた。それを見て、ジュンは岡崎さんをあきらめた。夫人と亜美ちゃんと離れて、単身赴任をさせるわけにはいかないと思った。


 シーズンは休みに入るが、川口ファミリーはミュンヘンに旅だった。景子の結婚式のためであるが、ジュンにとってはジュリアの父親と会うという緊張の日をむかえるのである。

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