第23話 SUGO 王者の誘い

 8月半ば、北国とはいえ、30度を越すコースは暑かった。サーキット内にある子ども用のプールの歓声の方がうらやましいとさえ思われた。

 レース前に剛士の実家に行き、祖父母に景子の結婚のことと、ジュリアの紹介をした。一応、景子の義理の妹になるという紹介だったが、祖父母はジュンのガールフレンドということがすぐにわかった。ジュンの行動がやたらと怪しかったからである。

「なんかおめでたい話が続きそうだね」

と祖母から言われた。

 そこに佐藤眞二がやってきた。佐藤は、地元で外車の中古車販売店を経営している。

「来ているって聞いたんで、顔を出したよ。剛士さん、この前の鈴鹿8耐がんばったね」

「佐藤さんこそ、3位表彰台おめでとうございます」

「なーに、優勝ねらいで3位では嬉しくないよ」

「さすが、言うこと違いますね」

「ところで、おたくのチームかジュンくんのスポンサーいなりたいんだけど、いいかな?」

「いいんですか? H社から苦情くるんじゃないですか?」

「別に。専属ライダーじゃないし、頼まれたから乗っただけで、もしKT社から誘われたら乗ってたかもしれないよ」

「さすが、レジェンドですね」

「それで、うちの店のベルVのステッカーをマシンに貼ってほしいんだけど・・・いくら出せばいいの?」

「それはマネージャーに聞いてみないとわかりません。後で店の方へ連絡させてもらいます。ところでベルVってどういう意味ですか?」

「フランス語。ベルはきれいっていう意味。VはVoitur 。車という意味。まあ勝利のVictory でもいいんだけどね。おたくのチーム名に近くていいんじゃない」

「素敵な名前ですね。今後ともよろしくお願いします」

「ジュンくん、期待しているよ。いつかウチのポスターのモデルになってね」

と言い残し、佐藤は大型バイクで帰っていった。

「かっこいいですね」

とジュンはレジェンドの後ろ姿に見とれていた。父親が同世代とは到底思えなかった。レース後に、スタジオ撮影があり、初めてモデルになるとは、その時は想像だにしていなかった。

 土曜日、うだるような暑さだ。でもSUGOは、ジュンの好きなコース。特に馬の背コーナーは得意なコーナーだ。今回もジュンの思うようなラインで走れた。予選順位は、自己最高の4位。青木弟は5位で、予選で初めて青木弟の前に出た。ポールはY社の中嶋、2位はH社の高木、3位がポイントリーダーの野田だ。各メーカーのトップライダーに続いての4位で、チームスタッフからは喜ばれた。また、マシンのカウルには「ベルV」のステッカーも貼られていた。佐藤眞二もVIP席で見守っている。

 今年のSUGOは2ヒート制で土曜日の午後に第1ヒートが行われる。

 午後3時。第1ヒートスタート。ジュンは中嶋についていくことにした。中嶋は32才のベテランで、チャンピオンを5年連続でとったこともある絶対王者だ。しかし、昨年のMotoGPにワイルドカードで出た時に転倒し、けがをしてから本来の絶対的な強さがない。今年は同じチームの野田の方が調子がいい。それでも、ジュンにとっては目の前にいるライバルだ。抜けなくても、ついていけば活路を見いだせる。ジュンは必死になってついていった。得意の馬の背コーナーでもジュンが考えていたラインを中嶋も走っている。スキのない走りだ。

 ついていくことだけを考えていたら、レース後半になっていた。サインボードを見たら「P3」と出ていた。前にはY社の2台しかいない。シケインの立ち上がりで後ろをチラッと見たら、すぐ後ろにはだれもいなかった。3台のトップ集団だ。そのままチェッカーを受けた。ジュンにとっては、JSBで初めての表彰台となった。チームにとっても前回の青木に続いての表彰台で湧いていた。でも、ジュンは素直に喜べなかった。レースで1台も抜けなかったからだ。もっともトップ集団で抜くのは至難の業なのだが、抜くチャンスさえなかった。ジュンにとっては、いいレースではなかった。

 夕食をどうしようかと思っていたら、そこに思いがけない客がきた。Y社の中嶋である。

「一緒に飯を食おうと思ってきた。どうだい?」

突然の申し出にジュンは面食らった。チーム監督の父親を見ると、(行ってこい)と目配せをしていた。絶対王者に何を言われるか不安だったが、(まさか今日のレースの苦情じゃないよな)と思った。

「そちらのお嬢さんも一緒にどうぞ」

ということで、ジュリアも一緒に車に乗った。(一人でなくてよかった)と思うジュンであった。

 車中で、ジュリアのことを聞かれた。

「お嬢さんは、ハインツの妹さんだって?」

「ハインツを知っているんですか?」

「もちろん。Moto3のチャンピオンじゃないですか。MOTEGIでは会えなかったけれど、彼のアグレッシブな走りは注目していたよ。今シーズンは、ランキング2位でちょっと苦しんでいるけれど、やっぱりケガのせいなのかな?」

今年のMoto3はめまぐるしく優勝者がかわり、ポイント争いは混沌としていた。ハインツの爆発的な走りは影を潜め、表彰台ねらいの堅実な走りとなっていた。ちなみにポイントリーダーは佐伯だ。すると、ジュリアが

「 My brother is strong . He will be champion at last race . 」

(兄は強い。最後のレースでチャンピオンになる)

と強く言った。それに対して中嶋が

「強いお嬢さんだ。さすがハインツの妹さんだ。ジュンくんとは、もうベッドインしたんだって・・・」

「そ、それはハインツのドッキリです。私が先に寝ていた時に、ハインツから鍵を渡されたジュリアが隣で寝ていただけです。私は何もしてないっす」

それを聞いた中嶋は笑っていた。ジュリアもつられて笑っていた。

 その内に、SUGOの近くにあるレストラン「ロッキーズ」に着いた。中はレース関係者でいっぱいだった。パスタとハンバーグが美味しい店として人気があった。レース関係者のサインもいっぱい貼ってある。

 店内の客は、中嶋とジュンが入ってきたので、一瞬静かになった。今日のレースの2位と3位が一緒なのだ。それもライバルチーム。あり得ない組み合わせだ。3人は奥の個室に入った。おすすめワンプレートディナーを頼んだ。お子様ランチの大人版みたいなメニューだが、これが人気で中嶋は好んで頼むそうだ。

「今日、眞二さんに会ったよ」

中嶋が話を切り出した。

「あの佐藤眞二さんですか」

「そう、大先輩だからね。SUGOでは走りを見てもらって、いつも指導を受けている」

「さすがですね。チームが違ってもつながっているんですね」

「MotoGPに出るアドバイスをもらっていたんだ。眞二さんは以前世界GPに出ていたからね。でも、今回は俺の走りのことは何もなし。ジュンのことだけだった」

「オレの話ですか?」

「そう、有望な新人だから面倒をみてやってくれ。と言われた。そこでだ。今日の俺のケツを見てどう思った?」

「ケツだなんて、ついていくのが精一杯でした」

「おかげで俺は、あんたが気になって、前を追いかけられんかった。離そうと思っても、金魚のフンみたいにくっついてくる。いやな奴だと思った」

「すみません」

「いいんだよ。それがレースだ。それで、明日は俺がお前のケツを走る。俺が振り向いたら俺を抜かせ。5周だけ先行させてやる。俺の前でハインツ仕込みの走りを見せてみろ。ただし、その後は本気勝負だ。最後には、俺が勝つ」

「わかりました。オレも抜かれないように頑張ります」

と言っていたら、注文していたワンプレートディナーが出てきた。ハンバーグ・スパゲティ・ポテトサラダ・エビフライそれに牛タンまでのっている。ボリューム満点で結構おいしい。まさに大人版のお子様ランチだ。絶対王者が、お子様ランチを食べているみたいでおかしかった。

 日曜日、午後2時。第2ヒートスタート。ポールは野田。2番手はS社の丸山。3番手に中嶋、4番手にジュン。青木は5番手だ。ジュンは目の前にいる野田についていった。第1コーナーを野田・丸山に続いてジュンは3位で通過した。中嶋は、スタートをミスしたのか、ジュンの後ろについていた。例の話はスタートから始まったのかと思ったが、それよりも前の丸山の走りに注目した。

 3周走ると丸山のひとつのクセを見抜いた。馬の背コーナーの次にあるSPコーナーのアウトでアクセルをあけるのが早いので、コース右側ぎりぎりかゼブラゾーンに行きがちなのだ。インががら空きだ。ここに飛び込めたら抜けるかもしれない。

 4周目、タイミングを測ってみた。並ぶのはできる。後は立ち上がり勝負だ。

 5周目、勝負。ジュンはインに飛び込んだ。だが、アクセルを開けたら右に流れるのを感じた。とっさにカウンターをあてた。丸山はジュンが飛び出すと思って、ブレーキをかけて回避した。しかし、ジュンはコース内に残った。立ち上がりでもジュンが勝った。その代わり、中嶋がスキを見逃さず、抜いていった。(まだ1周早いよ)と思ったが、次の6周目のS字コーナーを過ぎたところで、後ろを振り向き、抜かせてくれた。(ここから5周か)と思いながら、前の野田を追った。少しずつ間をつめ、10周目にはスリップストリームにつくことができた。だが、そこからが抜けない。コーナーではうまくインをおさえられるのである。さすが、今年のポイントリーダーだ。だが、20周目あたりからタイヤがコーナーで流れだした。先行する野田も同様だ。(もしかしたらスキができるかもしれない)

 ファイナルラップ。そのチャンスがきた。SPアウトで野田のマシンが膨らんだ。ジュンはそのスキをついて、インを刺す。少し流れたが、カウンターで何とかマシンを倒さずにすんだ。後ろでは、マシンがコースサイドのセーフティマットにぶつかる音が聞こえた。トップに出た。しかし、中嶋が迫ってくる。シケインのブレーキ勝負で並ばれた。中嶋はアウトインアウトの理想的なラインだ。ジュンはインアウトインのラインを強いられた。しかし、10%勾配にはほぼ並んで入った。後はアクセルをおもいっきり開けるだけだ。横を見ずに、フィニッシュラインだけを見て走った。

 チェッカーが振られた。どちらが勝ったかはわからなかったが、第1コーナーを過ぎたところで、アナウンサーが

「ジュンの初優勝!」

と叫んでいる。中嶋もジュンに寄ってきて祝福の合図をくれた。ウィニングランで手を振りながら走っていると、少し涙が流れてきた。日本最高峰のレースで勝てたのである。今までは憧れの存在だったライダーに勝ったのだ。表彰台でも、ジュンは涙が出てきて、顔を伏せてばかりいた。横にいた中嶋から

「顔をあげろよ。優勝したんだから」

と言われた。表彰台から降りる時も、中嶋から

「素晴らしい走りだった。さすがに順応性がいいと眞二さんが言ったとおりだ。お前ならMotoGP行けるかもな。俺はワイルドカードで10位に入るのが精一杯だったけれど、お前なら表彰台に上がれるかもよ。今日はありがとうな」

「こちらこそありがとうございました」

と返したが、中嶋の

「ありがとう」

の意味がよくわからなかった。ピットにもどってから、その話を岡崎さんにすると、

「今日のレースで野田がノーポイントだったので、中嶋がポイントリーダーになったんだよ。だから、ありがとうって言ったんじゃないの」

 中嶋もチームメイトとの争いがあり、大変なんだなと思った。そして、あそこで抜かせてくれたのはオレと野田が争うことを願ってのことかと思った。さすが絶対王者。先が見えるということかと感心するも、恐ろしくもあった。そこに監督の剛士がやってきた。

「KT社から連絡があり、今回の優勝をすごく喜んでいた。次回のMOTEGIでも表彰台にのったら10月のMotoGPにワイルドカード参戦させてくれるってよ」

それを聞いていたチームスタッフが歓声をあげた。

 その夜は、佐藤眞二さんの招待でホテルディナーだった。チーム全員が呼ばれ、優勝を祝うことができた。ジュンはさんざん飲まされ、早々に部屋でダウンした。翌朝、ジュリアに起こされたが、一緒に寝た気配はなかった。ジュンはホッとした。本当は一緒にベッドインしたいのだが、へべれけ状態でその時を迎えたくなかった。それなりの雰囲気でジュリアと一緒になりたかった。でも、その前にMotoGPに出るのが先決である。

「 Jun wake up please . You have to go to studio until 10 am . 」

(ジュン、起きてください。10時までにスタジオに行かないといけないよ)

「10時? 今何時?」

「 Now , it is nine forty-five . 」

(今、9時45分)

「エッ! あと15分しかないじゃん」

と言いながら、あわてて着替えた。5分遅れでホテル内にあるスタジオに着いた。謝りながら入っていくと、チームスタッフのほとんどがそこにいた。ジュンの初モデルを見ようと、昨夜盛り上がったらしい。チームメイトの青木さんまでやってきていた。

 ジュンがカメラマンの言うとおりポーズをとるたびに、皆が笑いをこらえていた。2時間ほどで撮影が終わり、皆で牛タンを食べに行くことになった。仙台駅3階に牛タン通りという牛タン屋さんが並んでいるところがある。チームスタッフは、自分の入りたい店に入っていった。ジュンとジュリアは、比較的高級な牛タン屋さんに入った。行列が少なかったからだ。ジュリアは牛タンをそのまま食べるのは抵抗があるらしく、シチューを選択した。ジュンは最高級の芯タン定食を頼んだ。牛タンの元の部分で、一番柔らかくて美味しい部位だ。出てきて、一枚食べると今までの牛タンのイメージを覆すほどの柔らかさだ。そこで、ジュリアに一枚食べてごらんと渡した。ジュリアは、おそるおそる口に入れたが、一口食べたら、とても気に入ったらしく、

「 Change OK ? 」

と聞いてきた。ジュンがしぶしぶ

「OK」

と言うと、ジュンの皿と自分のシチューを取り替え、喜んで食べていた。シチューもおいしかったが、芯タンの魅力にはかなわなかった。

 ジュンたちは、新幹線で鈴鹿へもどった。名古屋まで、5時間。夕食時には自宅へもどることができた。監督の剛士がキャンピングカーでもどってきたのは、翌日だった。


 次戦は正念場のMOTEGI。MotoGPワイルドカードがかかる大事な一戦だ。

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