第18話 苦闘のアジアラウンド 最終戦はいかに?
MotoGPは一ヶ月の休みに入った。アジア遠征のための準備があるからである。
ハインツは、ミュンヘンの病院に入院していた。左半身にダメージを負い、鎖骨と肋骨を骨折していた。深刻だったのは左手の薬指の骨折だった。複雑骨折で治ったとしてもマシンのクラッチレバーを握れるかどうかわからない。と言われていた。一応全治三ヶ月と言われているが、指はどうなるかわからない。
10月初め、中国・上海ラウンド。ハインツの代わりに去年ジュンと争っていた加藤治郎が抜擢された。国内レースでKT社のマシンに乗り換え、好成績を修めていたからだ。
このレース、ジュンは精彩を欠き、10位で終わった。同じマシンの加藤が8位に入賞し、皆から誉められていた。しかし、優勝は鈴木。ハインツとのポイント差が23となった。最終戦で鈴木が優勝すればハインツのチャンピオンはなくなる。チームとしては、ハインツのシリーズチャンピオン獲得が優先だった。チャンピオンがいるかいないかでは、たとえチームポイントが良くても天と地の差なのである。スポンサー収入が倍になると言われている。おのずとジュンと加藤に期待の目が向けられた。もちろん鈴木以外のライダーが優勝すればいいのだが、他力本願ではどうしようもない。佐伯ががんばって優勝すれば、ハインツがチャンピオンになる。同じKT社のマシンとはいえ、ライバルのチームだ。本気で優勝をねらいにくるとは思えなかった。
10月半ば、チームはMOTEGIに入った。父親と景子がキャンピングカーでやってきてくれた。木村さんは岡崎さんの口添えでチームのメカに入ってくれた。
練習走行と予選は晴れだったが、決勝当日は朝から雨だった。一日中雨の予報だ。朝のウォームアップは散々だったが、前のマシンの尾灯しか見えない。ジュンの得意なカウンターを使うことができない状況だった。(レースにならない)ジュンは、そう思っていた。キャンピングカーの中で、ホットミルクを飲んで、体を温めていると、岡崎夫人がタブレットを持ってやってきた。TV電話がつながっている。
「 Hi Jun , Are you fine ? 」
(ハーイ ジュン。元気?)
とジュリアが明るい顔で画面に出てきた。後ろには、ベッドにいるハインツがいる。ジュンは、
「 So so . Today is rain . 」
(まあまあ。今日は雨だよ)
と返した。するとジュリアが
「 Happy birthday eve , happy birthday eve , happy bir----thday eve dear Jun , happy birthday eve to you . 」
と誕生日前日の祝いの歌を歌いだした。ジュンの誕生日は、決勝の翌日なのだ。だから今日は誕生日イブなのだ。ちょっとしたサプライズで嬉しかった。次に、ハインツが話し出した。
「 Your riding style is muck goldfish . 」
(おまえの走法は、金魚のフンだ)
加えて
「 Carry the style out . 」
(そのスタイルを貫きとおせ)
とアドバイスをくれた。そして少し顔を紅らめ、
「 By the way , is Keiko there ? 」
(ところで、景子はいるか?)
と聞かれたので、近くにいた景子と変わった。(ハインツったら、オレをだしにして、姉貴と話したかったのか)と思いながら、「金魚のフン」と言われて、覚悟が決まった。今日のレースは、鈴木についていく。そして、最後の90度コーナーで勝負だ。心は決まった。
しばらくして、景子がもどってきた。少し放心している。
「どうした? 姉貴」
「うん、なんかプロポーズされたみたい」
ボーッとしている姉貴に代わって、一緒に聞いていた岡崎夫人が話し始めた。
「結婚とは言ってなかったけれど、来年ケガが治ってレースに復帰したら、ヨーロッパに来てほしいと言っていた。あなたは勝利の女神だ。ケガをしてからは、あなたのことを毎日思っているとも言っていたわ」
「わおー! 凄いじゃん。 姉貴、返事したの?」
「まだ・・・考えさせてほしい。と言った」
岡崎夫人と話し込んでいる姉貴を気にしながらも、ピットにもどると岡崎さんから
「ブレーキをきつめにしておきました。ロックさせないように気をつけてください。それと、今日は金魚のフン走法で鈴木についていった方がいいと思います。そうすれば。どこかでスキが見えてきます。一回はチャンスがあります」
ジュンは、岡崎さんがハインツと同じことを言ったので、ニヤッと笑って
「了解。そこで、ひとつお願いがあります。雨で前が見えない時があるので、サインボードで鈴木の位置を教えてもらえますか」
「いいですよ。マイナスなら鈴木先行。プラスならジュンさんが先行です。マイナス5なら、5台前に鈴木がいるということです」
「ラジャー」
「今日は気合いが入っていますね」
「はい、勝利の女神に会えましたから・・」
「女神? 景子さんしかいないのでは・・?」
すると、横から岡崎夫人が、
「TV電話でジュリアと話したのよ」
「どおりで・・・モナコでベッドインした仲ですからね」
ジュンの顔は真っ赤になった。
「な、なんで知っているんですか?何もなかったすよ。起きたらジュリアが横にいただけですから・・・」
あわてふためくジュンを見て、二人は笑っていた。
(ハインツの野郎、ばらしたな)と思いながら、ジュンはマシンにまたがった。余計な緊張はなかった。
ジュンは予選9位。3列目のアウトだ。スタートの水しぶきは少し避けられる。ポールはH社の児島。後半、力をつけてきたライダーだ。2番手に鈴木。3番手は佐伯。地元の日本で3人の日本人がフロントロウを占めていて、観客は盛り上がっていた。特に、鈴木は優勝すれば年間チャンピオンということで、実況アナウンサーはさかんにあおっていた。
雨の中スタート。大きな水のスクリーンがスタート位置にたった。ジュンはうまく左に避けて、第1コーナーに飛び込んでいく。他のライダーも無理はしていない。無事に第2コーナー先のショートストレートに入った。左の第3コーナーで2台が滑っていった。だれかは分からない。まだ、勝負をかけるタイミングではない。ジュンは、前のマシンの尾灯だけを見て走った。コースはもう体に染みついている。自然に体を倒すことができる。
2周目、サインボードを見ると、「-5」と出ている。5台前に鈴木がいる。前半で追いつかないと、鈴木の走りがわからない。まずは、前のマシンを抜かなければ・・・。V字コーナーで前のマシンが早めにブレーキをかけたので、アウトから前に出て、インをさして抜いた。
3周目、サインボードは「ー4」S字の立ち上がりで、前のマシンが左に滑っていった。
4周目、サインボードは「-3」あと少しだ。でも、前のマシンとはやや距離がある。トップ集団だ。
5周目、第2コーナーで2台がコースアウトしていた。トップ集団のマシンか、後方集団のマシンかよくわからない。
6周目、サインボードは「-1」を表示していた。(鈴木は前にいる。後は、おいつくことだ)
7周目、メインストレートで前のマシンの水しぶきが見えた。およそ50mの差だ。コーナーのたびに差を詰めていった。どうやら鈴木はペースダウンをしているらしい。
8周目、サインボードに「P2」と出た。(オレは今2位を走っている。トップは鈴木だ。鈴木は優勝を確信してペースダウンしているということか)ジュンはストレートでアクセルをあけた。コーナーでは無理をせず、ストレートではアクセルオン。ブレーキがきつめで助かった。
10周目、鈴木に追いついた。鈴木もサインボードでジュンが追いついてきているのを知り、ペースアップした。二人のバトルとなった。雨は少し小降りになったが、路面は濡れている。油断はできない。
13周目、この4周鈴木の後ろを走って、だいぶクセがわかってきた。鈴木がうまいのは、S字の切り返しとV字コーナーのラインどり。弱点は90度コーナーで早めにブレーキをかけることぐらいだ。ストレートはほぼ同じ。やはり90度コーナーで勝負だ。
14周目、90度コーナーでジュンはブレーキを遅らせて鈴木のインに入った。でも、一度は前に出たものの立ち上がりで鈴木に抜かれた。それでも、これでいいと思った。ファイナルラップへ向けての布石だからだ。
15周目、ファイナルラップ。またもや90度コーナーで勝負だ。まず、インに飛び込む素振りを見せた。鈴木もファイナルラップで先行させたくなかったのだろう。インをおさえにきた。ひっかかった。即座にジュンは左にマシンを移して、レイトブレーキング。鈴木もレイトだ。あとはライン。鈴木はインインアウトのライン。ジュンはアウトインインのライン。ブリッジの下ではほとんど一緒だ。並んでヴィクトリーコーナーへ。左・右と切り返しを行う。2台並んでフィニッシュラインを越えた。
ジュンはどちらが勝ったかわからなかったが、実況アナウンサーはジュンの優勝を叫んでいた。第2コーナーを抜けたところで、鈴木がマシンを寄せてきてジュンを祝福してくれた。チャンピオンを逃したのに、さわやかな行為だ。ゆっくりストレートを走っていると第3コーナーの手前で、日の丸を掲げているコースオフィシャルがいた。そのオフィシャルに寄っていくと、なんと父親の剛士だった。
「なんで、ここにいるの?」
とジュンが不思議な顔をして聞くと、
「ピットに入れないから、コースオフィシャルをやっていたんだよ。この旗持っていけ」
と小さめの日の丸であったが持たされた。ギアを2速に入れるまでは旗を落としそうになり、ヒヤヒヤした。旗をもって走るのは初めてなので、片手運転でコースを1周するのは結構しんどかった。
ピットレーンにもどると、歓喜の輪ができていた。チーム監督のジムの喜びは狂わんばかりだ。チームポイントと個人チャンピオンの両方をゲットしたのだから無理もない。
夜に、急遽、茂木町のレストランで祝勝会が行われた。店の営業がほぼ終わる9時からレストラン「蓮」を貸し切った。ライダー仲間からは「蓮ステ」というステーキ定食で有名な店だ。チーム監督のジムの話は、もうアルコールが入っていたらしく、何を言っているかわからない。でも、
「 Thank you everybody ! 」
(みんなありがとう)
の言葉で乾杯が始まり、後は皆で盛り上がった。ジュンもその輪に入っていたが、コーラでごまかしてつらい時を過ごしていた。皆の喜ぶ顔だけが救いだった。岡崎夫人が近くにいて通訳してくれていたが、英語・ドイツ語・フランス語・日本語がとびかっていた。
12時、そろそろお開きというところで、ハインツからTV電話が入った。皆、ハインツの言葉を注意して聞いた。
「 Thank you very much for everybody . It could be champion thanks to everyone . 」
(みんなありがとう。みんなのおかげでチャンピオンになれました)
という言葉で、皆また盛り上がった。そして、画面にジュリアが出てきて、
「 Jun happy birthday ! Everybody ! He is twenty years old now . 」
(ジュン、誕生日おめでとう! 皆さん! 今、彼は20才になりました)
その声で、一斉に皆の視線がジュンに向けられた。
「 Happy birthday ! 」
(誕生日おめでとう)
の声とともに、残っているあらゆるアルコールがジュンのグラスに注がれた。ジュンは30分ほどでへべれけになり、眠ってしまった。
翌朝、「蓮」の駐車場においてあるキャンピングカーでジュンは目覚めた。頭ががんがんする。一気飲みをさせられたから、初アルコールの味はわからなかった。二度と飲まなくていいと思った。隣には父親の剛士がいた。ジュンが自販機でコーヒーを買っていると、目を覚ましてきた。
「おまえも大人になったんだな。おめでとう」
「お酒がこんないつらいものとは思っていなかった」
「慣れれば美味しく感じるよ。ペースが早いと悪酔いするぞ」
「しばらくいいわ」
「ホテルで朝食をとろう。部屋はとってあったんだが、車で寝てしまったからな」
ホテルのレストランに入ると、姉の景子と岡崎夫妻、そして木村さんもいた。木村さんも飲み過ぎたらしく、冴えない顔をしている。ジュンはとても食欲はなく、二日酔いにきくというドリンクだけ飲んだ。そこにチーム監督のジムがきた。彼も頭痛がするらしく、おでこの左側をおさえている。そして、岡崎夫人に何かを話した。明日、KT社の日本支社で来年の契約をしたいということだった。それまではフリーということで、ジュンは部屋で寝ることを選択した。
翌日、父親とともにKT社の日本支社へ出向いた。てっきりジムのチームとの再契約と思っていたが、応接室にはKT社の日本支社長(オーストリア人)と次長の高田さんがいた。ジムはいなかった。支社長は型どおりの挨拶だけして早々に退室していった。高田が、話を切り出した。
「早速ですが、ジュンさん。リッターバイクに乗ってみませんか?」
「KT社のですか?」
「もちろん」
「オレ、大型二輪の免許もってないですけど・・・」
「市販のバイクじゃないですよ。レースのスーパーバイクです」
「エッ! どういうことですか?」
「実は、来年、日本の最高峰クラスのJSBにKT社のマシンを2台出す計画があります。そのうちの1台にジュンさんに乗ってもらいたいと思っています」
「エッ! 本当ですか?」
「本当ですよ。今年のジュンさんの活躍を見て、スター性もあるし、マシンに対する順応性もあるということで、抜擢させていただきました。どうですか?」
「そりゃ、嬉しいですが・・・ジムのチームは?」
「ジムのチームは、ハインツと加藤くんを考えています。今、交渉中です。ハインツはチャンピオンですから問題ないでしょう」
「そうですか・・・でも、リッターバイクは乗ったことないので、自信ないです」
「でしょうね。そこで2年契約にして、1年目は修行、2年目で結果を出してもらえればいいです。2年目にランキング3位以内であれば、MotoGPに推薦するつもりです」
「MotoGP ! ルッシやマルケルと走れるのですか?」
「うまくいけばですよ。契約金は500万円。報奨金は1ポイントにつき30万円でどうですか?」
「500万円!」
ジュンは父親の剛士と顔を見合わせた。
「それと、チーム監督には川口さんになっていただきたいのですが、いかがですか?チーム名は以前と同じブルーベルKです。チーフメカは岡崎で、なんなら木村をカムバックさせてもいいと思っています。岡崎夫人は産休に入るので、広報は別のスタッフを派遣します」
「チーム監督? 産休?」
二人はあんぐりと口をあけるばかりであった。とりあえず、明日まで考えさせてほしいと言い、ホテルにもどった。
ホテルにもどると、二人が報告する前に、景子から話があった。
「私、来年ヨーロッパに行こうと思う。ハインツの面倒を見たいの」
父親は卒倒しそうなくらい驚いていた。
「母さんは賛成してくれた。ハインツが私を必要としてくれるなら、それに応えたいと思う」
「姉貴、よく決めたね。ただ、ハインツは寝ていてもレースをやっているからね。寝室は別にした方がいいよ」
「そうらしいね。でも、慣れるんじゃない? 私、そういうハインツ嫌いじゃないよ」
父親は、じっと腕組みをして、ぼそっと言った。
「ジュン、おまえも3年後、ヨーロッパへ行け。ハインツも向こうで腕をあげるだろう。もしかしたら、3年後は同じステージにいることになるかもしれん」
それを聞いた景子が怪訝な顔をして
「エッ! それってどういうこと?来年もジュンはヨーロッパじゃないの?」
「オレは日本に残る。JSBにでる。親父がチーム監督。ブルーベルK復活だよ」
「そういうことだ」
それを聞いた景子は
「タイムキーパーはだれがするの? 私、残ろうかな?」
「タイムキーパーはだれでもできるよ。でも、ハインツのサポートは姉貴しかできないじゃないか。こっちのことは気にせず、行ってこいよ」
その夜、景子はハインツにTV電話をして、先日の申し出を受けることを伝えた。その時、ジュリアもいてジュンが日本に残ることを伝えたら、ジュリアは大学を休学して日本に来てタイムキーパーをすると言い出した。ジュンはもう寝ていたのでよくわからなかったが、父親の剛士は承諾した。ジュンの勝利の女神と聞いていたからだ。
次戦はJSBが舞台。20才になったジュンにとっての大きなチャレンジだ。
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