第17話 スパ 立ちはだかる壁

 8月末、ベルギーのスパ・フランコルシャンにいた。ここは、元は一部公道を使ったコースだったが、今は一般道を封鎖してパーマネントコースになっている。かの有名な登り坂のオールージュ(赤い水)が待ち構えているコースである。高低差60m

25度の角度があると言われているので、47%勾配だ。SUGOの10%勾配の5倍近くある。ジュンは、近くにいってオールージュを見たが、下りから急な登りになるので、余計に高さを感じていた。まるでスキー場の急斜面だ。下りだったら怖いだろうなと思うぐらいの壁だ。ましてや、坂を上りきると左コーナーがまっている。マシンのコントロールができなければランオフエリアに突っ込むことになるのである。Moto3クラスのマシンはここを200km/h ほどで走り抜けるが、MotoGPクラスだと250km/h 以上、想像を絶する世界だ。

 このコースの2番目の特徴は距離の長さである。なんと7004m。一番の長さを誇っている。基本的には高速コースなのだが、第1コーナーは矢じりのような鋭角の右コーナーだ。集団にのみこまれると1速まで落とさなければならない。それを過ぎるとメインスタンド前を通過する下り、そしてオールージュへと続く。以前は、メインスタンド前がスタート地点だったのだが、ピットアウトがオールージュ手前になっており、速度差のあるマシンがぶつかることがあり、今の場所に変更になっている。距離が長いゆえに、フィニッシュラインを越えてからのウィニングランはなく、ピット出口から逆走してくるという珍しいサーキットである。

 そして、3番目の特徴がスパウェザーである。くもりの日は、天気がめまぐるしく変わるのである。午前中がくもりでも午後は雨ということは珍しくない。時には、朝に晴れていても午後は雨ということもある。ベルギーの高原地帯にあるサーキットは気流が安定していない。このスパウェザーがレースを左右することが多かった。

 金曜日・土曜日は天候に恵まれ、ハインツはポールをとった。ジュンは4番手。鈴木が2番手で、佐伯は3番手についている。高速の左コーナーのセッティングがKT社のマシンに合っていた。

 日曜日、モーターホームで目を覚ましたジュンは、一緒にいたメカの岡崎が浮かない顔をしているのを見た。

「岡崎さん、どうかしましたか?」

「おはよー。うん、天気がな? 今日は荒れるかもしれない。注意して走らないといけませんね」

 後で知ったことだが、10年前にY社のメカでスパに来た時に、担当していたライダーが事故で死んだということだった。マシンのせいではなく、急に降ってきた雨のせいだったが、転んだところに後続車が来てはねられてしまったとのこと。そのこともあり、チームにいづらくなりY社をやめたと岡崎夫人が教えてくれた。

 午前11時、決勝スタート。スタート位置から第1コーナーまでは距離が短いので

スタートダッシュはない。アクセルコントロールをしながらコーナーを曲がる。ここからフルスロットルで下る。やや左に曲がってから右に曲がって問題のオールージュ

Gを感じる。上り終えるとすぐに左ターン。ここからは長い直線。前のマシンにスリップストリームでついていく。そしてシケインに入って、ここからが下り、高速ターン。そして超高速の左ターン。マシンを倒している時間が長い。そして以前は一般道だったコースへ右ターン。中高速の左ターンがあり、またシケイン。短いストレートにフィニッシュラインがある。

 5周目、ハインツとジュンのワンツーになった。高速コーナーにセッティングが合っている。周回ごとに後続車を引き離していく。おもしろいように二人だけのレースとなっていた。

 10周目、にわかに空がくもってきた。サインボードに「RAIN」と出ている。このコースは距離が長いので、コーナーによって天気が違う時がある。ピット前では降っていないが、コースのどこかで降り出したのかもしれない。ジュンは、アクセルを少しだけゆるめた。

 オールージュにさしかかった。ヘルメットのシールドに水滴を感じた。とたんに、

ザーと降ってきた。坂を上りきって、マシンを左に倒したらリアが滑った。すると、

そこに人が倒れている。ハインツだ! ハインツも急な雨で転倒したのだ。運良くジュンのマシンはハインツの脇をすり抜けていった。だがハインツは立ち上がらない。

ハインツのマシンをさがすと、ランオフエリアの奥にあるセーフティマットのところで止まっている。激しく壊れている。すごいスピードで転倒したことがわかる。コース脇にあるオフィシャルのポストを見ると、イエローフラッグからレッドフラッグに変わっている。レース中断だ。後続のマシンはスピードを落として走り抜けていく。

 ジュンは、本来はすぐに安全地帯に避難しなければならないのだが、動かないハインツが気になって、そっちに向かった。レスキューのオフィシャルも駆けつけている。移動用のセーフティマットを運んでいるオフィシャルもいる。後続車の追突を防ぐためだ。ハインツのところに行ったら、オフィシャルに安全地帯に行くように指示された。でも、ハインツの様子が心配だった。

「ハインツー!!」

と大きな声を上げたら、ハインツは右手を挙げてくれた。(よかった。生きている)しばらくして、救急車がきてヘリポートに向かった。ドクターヘリで緊急搬送だ。重傷であることには間違いない。ピットに戻り、モニターで転倒シーンを見たら、ハイサイドを起こし、ハインツは空中に放り投げられた状態になり、体の左側を強打していた。背中だと脊髄がやられるので、まだ救われる落ち方だったということだ。

 レースは残り周回数で再レースとなった。ジュンは走れると言ったのだが、ドクターストップがかかり走れなかった。優勝は鈴木、2位に佐伯、3位にシュワンツマンが入った。ハインツと鈴木のポイント差は48P。残り2戦。鈴木が連続優勝し、ハインツが復帰できなければ逆転されてしまう。


 ヨーロッパラウンドは、ベルギーで終了。次はアジアラウンドだ。ハインツのためにも頑張らねばと意気込むジュンであった。

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