第12話 ヨーロッパラウンド開始 スペイン上陸
チームは、本拠地のオーストリア ザルツブルグにもどっていた。次のスペインまでには1ケ月ある。ホームコースの近くにチームの本拠地がある。KT社のファクトリーの隣に位置している。サテライトチームとはいえ、準ファクトリーチームのような存在なのだ。もっともファクトリーチームはメインクラスのMotoGPのみ。Moto3の2チームはどちらもサテライトチームだ。ただ、佐伯のチームはミュンヘンにあった。監督のシュナイダーがドイツ出身だからだ。
ジュンはKT社の寮に入っていた。工場のスタッフもいるが、食堂やアスレチックジム・プールまである高級リゾートなみの施設だ。コースで走れない時は、もっぱらアスレチックジムでトレーニングしていた。そして欠かさず、やっていたのが岡崎さんのマシン講座だった。マシンの特性や仕組みを学ぶことは、とても興味深いものだった。夕食後の英会話実習だけが憂鬱な時間だった。
チームメイトのハインツは、ミュンヘンに住んでいた。愛車のBMWで来ると、1時間少しで着くとのこと。いったい何キロで走ってくることやら。たまにジュリアが一緒に来ることがあり、ジュンは煩わしくもあり、嬉しくもありという感じだった。それを見ている岡崎夫人の目がいつも笑っていた。岡崎さんも夫人から話を聞いていたのだろう。温かい目で見てくれていた。ハインツだけは無視の状態。妹は煩わしいと思って、無関心を装っているようだった。
5月初め、ヨーロッパに春がやってきた。4月末に雪が降るのは珍しくないということだった。周りに花が咲き始め、緑の野原がきれいに見えた。ザルツブルグは、映画「サウンドオブミュージック」の舞台である。ジュンはDVDで見たことがあり、その景色に魅入られていた。それが現実に眼前に広がっているのは喜びだった。
ジュンたちは、飛行機でスペイン バルセロナに飛んだ。2時間もかからない。チームスタッフはトラックやモーターホームで移動。これも24時間で着く。ヨーロッパは狭い。
金曜日の練習走行。ジュンは、ハインツの先導でコースに慣れることにした。カタルニアのコースは右コーナーが多く、タイヤに厳しいことで有名だ。実際に走ってみると、確かに右に倒している時間がやたらと長い。鈴鹿のスプーンカーブは左ターンで、その右ターンという感じである。
ジュンが気になったのは第9コーナーだ。右の90度ターンでSUGOやMOTEGIのコーナーに似ている。(ここがポイントだな)とジュンは思った。直線は富士よりちょっと短い1310m。最終コーナーからのラインは富士に似ている。タイムは1分52秒台を出した。コースレコードの2秒落ちだ。他のライダーも様子見をしているようで、似たようなタイムだ。だが、ハインツと佐伯だけは1秒落ちと、もう予選アタックのタイムを出している。H社の鈴木との3人で、ポイントリーダー争いをしているので、火花を散らしているのだ。ちなみに、リーダーは鈴木で41P。ハインツは40P。佐伯が38P。シュワンツマンが24P。ジュンは22Pである。KT社のチームポイントは、同点という接戦だ。2人のチーム監督は顔を合わせるたびに火花を散らしていた。KT社のトップチームになれれば、扱いが変わってくるからである。
土曜日、予選。晴天。スペインの風はオーストリアと比べれば暖かい。ジュンはハインツにくっついてアタックした。中速の右コーナーでは離されるが、90度コーナーで追いつける。最終コーナーではハインツのスリップストリームにつけた。まずまずのタイムを出せたと思った。ジュンは1分51秒1。ハインツは1分51秒0。佐伯は1分50秒9を出していた。ポールはH社の鈴木で1分50秒7である。シュワンツマンはふるわなくて、1分51秒9だった。佐伯と一緒に走れなくて、単独走行を強いられ、スリップストリームを使えなかったようだ。監督のシュナイダーは苦虫をかんだ顔をしていた。夕方、ジュンがモーターホームにもどってくると、
「 Hi ! Are you OK ? 」
と抱きついてきた女性がいた。ジュリアである。ジュンは抱きしめるわけにはいかず、両手を伸ばして体を離した。そして、たどたどしく
「 I am OK . 」
と答えた。その後はジュリアの独壇場だった。甲斐甲斐しくジュンの世話をし始め、夕食のパスタをジュンと仲よく食べ始めた。それを見た岡崎夫人が、ジュンの耳元で「勝利の女神がやってきて、よかったね」
とささやいた。ジュンは肩をすくめ、ノーコメントだった。夕食後の英会話レッスンには、ジュリアも同席した。レストランでの会話シーンのレッスンだった。ジュリアがジュンの連れという設定だったが、徐々に恋人同士の設定に変わっていって、指導役の岡崎夫人は笑いを隠せなかった。
9時にはジュリアから解放された。ジュンに投げキッスをして、ホテルへもどっていった。お芝居で恋人役ができただけで、満足な顔をしていた。ジュンは明日が決勝だというのに、ジュリア疲れでレースのプレッシャーを感じることなく、眠ることができた。
日曜日、決勝日。今日も晴れ。スペインの春は気持ちいい。ただ、午後から気温が30度近くまで上がる可能性があるという予報が出ていた。タイヤ選択を迷うところだ。午前のウォームアップランを終えたところで、チーム監督のジムからタイヤ戦略を言い渡された。ハインツはソフトタイヤでスタートダッシュをねらう。ジュンはミディアムタイヤで終盤勝負。ジュンは、ちょっとがっかりだった。ハインツについていこうと思っていたからだ。でも、チームの方針には従わなければならない。大事なのは、シュワンツマンの前で走っていれば合格ということと理解した。
午前11時、決勝。予選の1列目は、鈴木・佐伯・ハインツの順番。ジュンは予選5番手で佐伯の後ろに位置した。ちなみにシュワンツマンは15位。5列目にいた。
スタートで、ジュンはダッシュできず、集団にのみ込まれた。他のマシンにぶつからないようにだけ気をつけて第1・2コーナーを抜け、問題の中速コーナーで1列になった。右ターンが二つ続き、ショートストレートの後の勝負どころ右90度コーナー。しかし、後半勝負と決めていたので、無理はしなかった。その後に複雑なターンを抜けて最終コーナー、ジュンは前のマシンのスリップストリームにつくことができた。ストレートで抜くことはできなかったが、ストレートエンドで抜けそうな感じがした。
2周目、ほぼ1列でレースが進む。今回はスタート後の混乱はなかった。ジュンは相変わらず無理をせず、様子見だ。
3周目、サインボードを見ると、「P10」と出ていた。スタートダッシュで遅れたのが響いて5台に抜かれている。でも、シュワンツマンは前にいない。しばらくは、このままキープだ。
4周目から10周目までは、トップ集団で順位の入れ替わりがあったが、コースアウトはなく、ジュンは10位のままだった。
11周目、サインボードを見ると「UP」と出ていた。まだ、レース中盤、ペースアップにはタイミングが早いと思っていると、ストレートエンドでアウトから抜きにきたマシンがあった。シュワンツマンだ。高速の伸びを活かして、ポジションを上げてきたのだ。何とか抜かれずに第1コーナーに入れた。コーナーではジュンの方が優勢だ。だが、最終コーナーでスリップストリームにつかれると、ストレートで負けてしまう。シュワンツマンはソフトタイヤをはいていて、路面との相性が良さそうだ。
12周目、ストレートエンドでシュワンツマンに抜かれた。離されるわけにはいかない。最終コーナーでシュワンツマンのスリップストリームにつけるところまで近づいた。
13周目、今度はジュンは先行で第1コーナーに入った。
14周目、ストレートエンドでシュワンツマンが抜きにきたが、アウトのポジションから、そのまま左へ滑っていった。そろそろソフトタイヤには厳しいころとジュンは感じた。
15周目、ジュンはトップ集団に追いついてきた。やっと集団の後ろで走れるようになった。すると、中速コーナーで前のマシンが滑り始めたのを見た。いずれトップ集団でトラブルが起きると思い、少し距離をとった。
16周目、案の定、第1コーナーで3台がからんだ。大きな事故ではないが、滑っていくようにコースアウトしていった。これでジュンは7位。
17周目、ストレートから第1コーナーまでイエローフラッグが振られている。この区間は追い越し禁止だ。第2コーナーを過ぎてからの中速コーナーで激しいバトルが行われている。そこを過ぎたヘアピンでトップのマシンが転倒。後ろからのプッシュに耐えきれなかったのだろう。これで6位。
18周目、ストレートエンドでハインツがトップに出た。後ろは佐伯だ。佐伯がハインツにぴったりくっついている。90度コーナーでハインツはレイトブレーキングをし、タイヤを右に流した。例のドリフト走行だ。佐伯は、レイトブレーキングで曲がることができず、大幅にオーバーランをして順位を大きく落とした。これでジュンは5位に上がった。
19周目、中速コーナーでハインツの後ろを走っていたマシンが2台コースアウトしていった。ソフトタイヤがもう限界だったのだろう。これでジュンは3位。
20周目、ハインツ・鈴木・ジュンの順番で第1コーナーに突入。どれもスリップストリームにつける距離ではない。
21周目、ファイナルラップ。90度コーナーで鈴木がアウトからハインツを抜きにかかった。インにいたハインツは例のドリフト走行をしようとしたが、思ったより膨らんでしまった。危うくぶつかりそうになったが、鈴木は体勢をもどし、衝突を回避した。しかし、オーバーランを強いられた。インが空いたので、ジュンはそこを駆け抜けた。トップだ。ハインツはタイヤが厳しく、ジュンに追いつけない。フィニッシュラインを最初に通り抜けたのはジュンだった。
10万人におよぶ観客のどよめきがジュンにも聞こえてきた。ウィニングランは、宙に浮かんでいる感じだった。本来ならば日本国旗を渡されるところかもしれないが、そこがどこかも分からず。ただ手を振って走った。表彰台の下に来ると、ハインツと鈴木は、もうヘルメットをとっていた。二人は握手を求めてきた。この二人に勝ったと思ったら優勝の実感がわいてきた。表彰台でも両手を高くあげて、歓喜に酔いしれた。
ピットにもどったら、チームスタッフにハグされ続けた。最後にシュリアがやってきて、ほっぺにたくさんキスされた。
「 Bravo ! Bravo ! Jun Bravo ! 」
(すごい、すごい、ジュンすごい!)のくり返しだった。岡崎さんだけは、冷静な声で
「タイヤ選択の勝利だな」
と言ってくれた。事実、気温が上がらなければ、ジュンの勝利はなかったのである。今度はライバルと同じタイヤで勝ちたいと思うジュンであった。
次戦はフランス。あのル・マン24時間の舞台だ。公道は走らないが、世界が注目する場所で、ジュンにとってもあこがれの場所だ。
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