第11話 失意のマレーシア

 マレーシアのセパンサーキットはやたらと暑い。気温は連日30度を越えている。快適だったオーストラリアから来ると、すごく蒸し暑く感じる。サーキットそのものは、新しく広くて自由にラインをとれるし、高低差が少ないのでストレート重視のKT社のマシンは有利だ。ジュンたちは、サーキット近くのホテルに泊まることができた。岡崎さんと同じ部屋だ。最初ハインツと同じ部屋と言われたが、寝不足になる可能性があるので、丁寧に遠慮した。どうやらハインツは個室になったらしい。ハインツの寝言と歯ぎしりはチーム内の皆が知っているみたいだった。

「岡崎さん、すみません。奥さんと離ればなれになってしまって」

「いいんですよ。レース中は、仕事中心です。妻と一緒の部屋だと、何かと気遣いしなきゃいけないので、レースに集中できないじゃないですか。ホテルには寝に帰るだけですから、ジュンさんも自分の体調のことだけ考えてください。私と会話しようと思わないでいいですよ」

「そうですか。すみません。そうさせてもらいます」

 その夜は、ぐっすり眠ることができた。ぐっすり寝られるのは至福の喜びだった。去年までは、自宅かキャンピングカーのどちらかだったが、今年は週ごとに寝床が変わる。まさにレースキャラバン隊の一員となったのである。

 木曜日、合同テスト日。ジュンは初めてのコースなので、ハインツの後ろにつくことにした。ハインツは、レースとしては初めてだったが、テスト走行で何度か走っているということであった。

 このサーキットは、何といっても5548mのロングコースと、900mを越すストレートが2本あることだ。それも最終コーナーのヘアピンコーナーをはさんで、ふたつ並んでいるのだ。それで、ほとんどのマシンがストレート重視のセッティングをするので、ストレートで抜くのは厳しい。勝負どころは、最終コーナーの突っ込みだった。でも、ジュンはここでは勝負をかけられない。なぜかというと、セパン特有の暑さだ。ハードタイヤでも、後半はたれてくるのが目に見えている。チームから見せられたビデオでも、そのシーンがよく見られた。それで、ジュンが目をつけたのは、第4コーナーの右の90度コーナーだ。SUGOやMOTEGIの90度コーナーに感覚が似ているのである。それで、メカの岡崎さんにブレーキを若干強めにしてもらった。このコーナーだけはレイトブレーキングすることをチーム監督から了解をもらった。ハインツもジュンの走りを知っているので、口添えをしてくれ、OKをもらうことができた。

 金曜日、練習走行日。ジュンは90度コーナーのブレーキングポイントを探した。コース幅が広いので、コース横にある看板が遠い。それを見ていると、一瞬コーナーのクリッピングポイントを見逃してしまう。なるべくコースサイドにあるものを探した。何度か走っているうちに、ひとつの目印を見つけた。コースサイドにある1本の花だった。黄色の目立つ花がすくっと立っていたのである。そこで、ブレーキをかけてマシンを右にたおすと、理想のラインがとれた。他のマシンはそこよりも手前でブレーキをかけていくので、頭ひとつリードすることができた。ハインツでさえ、そこのコーナーでは苦労していた。ちょっとでもブレーキが遅れると、アウトインアウトのラインがとれないのである。時には、コースからはみだしそうに回っていた。

 土曜日、予選。ジュンはハインツの後ろについて走った。予選でいいタイムを出すよりも決勝で上位に入ることの方が大事だからだ。ジュンはポールをとるよりも、2列目スタートをねらっていた。5周走って、ハインツはコースレコードに近い1分48秒1。ジュンは1分48秒6だった。ハインツは佐伯に続いての2位。3位にH社の鈴木。4位はウィリアム。5位が佐伯のチームメイトのシュワンツマンだった。そして6位がジュン。2列目までにKT社のマシン4台が並んだ。さすがスピード重視のセッティングのおかげだ。ポールはとった佐伯は、ジュンの前でも鼻高々だった。

 日曜日、朝から暑い日だった。でも、想定範囲内だ。昼過ぎ、いつものスコールがやってきた。マレーシアにきて5日目。毎日のスコールには驚かなくなった。30分もすればやむ。路面もすぐに乾くのだ。だが、この日のスコールはいつもより激しかった。時間も長く、スタートの時間が30分遅れた。

 グリッドにつくためのサイティングラップで、ジュンは愕然とした。午前中まであった第4コーナーの花がないのである。グリッドについて、アナウンスでライダー紹介があっても反応できなかった。岡崎さんに、

「目印の花がない」

と話したら、

「自然のものを目印にすると、そういう時もあります。きっとスコールで倒れたんですね。まぁ、今日はついていくしかないですね」

と冷たく言われた。ウォームアップランで、もう一度見直したが、やはり花はなかった。スタートでジュンは遅れた。見ているチームスタッフは精彩のない走りを心配するだけだった。転倒せずになんとか走っている感じがした。集団の後方に位置している。順位は10位だ。ハインツや佐伯はトップ争いをしているが、ジュンは全くからめなかった。そうしているうちに、21周のレースが終わった。さしたる波乱もなくジュンは10位のままだった。優勝は佐伯。2位にハインツ。3位に鈴木。4位にシュワンツマンが入った。KT社は1・2位で面目躍如だった。

 ピットにもどってくると、スタッフのほとんどは表彰台に上がったハインツのところに行っていた。岡崎夫婦だけがジュンを迎えてくれた。岡崎さんが、マシンを迎えてくれ、岡崎夫人が近寄ってきた。

「お疲れさん。コーナーの目印がなかったんだって」

「それだけじゃないです。オレの力不足です」

「一番は、勝利の女神がいなかったことじゃない?」

「勝利の女神って?」

「ジュリアのことよ。いなくて張り合いがなかったんじゃないの?」

「・・・」

ジュンの顔が少し紅くなった。

「図星みたいね。ヨーロッパに行ったら会えるんじゃないの」

返す言葉がないジュンであった。


 次戦はスペイン・バルセロナ。いよいよヨーロッパ上陸だ。ジュンは、高揚感を感じていた。

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