第5話 天国と地獄の岡山ラウンド

 6月末、梅雨の真っ最中だが、予選の土曜日は晴天だった。木曜日の合同テストから2日間走って、だいぶ感覚はつかめてきた。2日間とも雨は夜に降っても、朝にはやんでくれていた。

ジュンにとって岡山国際サーキットは初めてのコースだった。岡山は、F1のアイルトンセナが走って、コースレコードをたたきだしたコースである。ジュンは一度は来てみたいサーキットだった。

「親父、ここはSUGOに雰囲気が似ているよな」

「そうだな。距離もたいして変わらないし、高低差があるのも似てるな。裏ストレートが上りというのは違うけどな。でも、ポイントはその裏ストレートでスピードにのれるかどうかだ。そこで、スピードにのれば次のリボルバーコーナーで抜ける。テクニカルコースだが、スピードがでるマシンが勝ちやすいコースだ。潤一向きかもしれんな」

「そうかもしれない。初めてのコースと思えないぐらいしっくりくる。練習タイムでも上位だしな。この前の分を取り返さないとな」

「気負い過ぎてこけるなよ」

「あいよ」

と言いながら、予選のアタックに出ていった。

 3周目アタック。メインストレートは下りだ。下りながら右90度ターン。茂木の90度コーナーよりは楽だ。下りのまま左のウィリアムズコーナーへ。スピードの違いがでるところだ。マシンは高回転キープでいい調子だ。一番標高の低い右のアドウッドカーブ。中速度のカーブだ。そこから上りの裏ストレート。目いっぱい加速をする。ストレート奥から下り。そこでブレーキをかけ、右のヘアピン。すぐに左カーブが二つ続く。パドック裏のショートストレートを抜けると上りの緩いS字。ここは、体重移動の見せどころだ。そこを抜けると下りの右カーブが二つ続き、メインストレートへ。ジュンはノーミスで走った。

 ピットではどよめきがわいた。レースアナウンサーも叫び始めた。

「J-GP3のコースレコードがでたー! 1分43秒7だ。岡山を初めて走ったジュンがコースレコード。おそろしい新人がやってきたー!」

 次の周にサインボードに「PIT IN」の表示が出た。これ以上走らせると、勢いあまって転倒しかねない。4周目のタイムは、1分44秒0のかつてのコースレコードタイムだった。

 ピットレーンに戻ってくると、他のチームからも拍手で迎えられた。コースレコードはなかなかでるものではないのだ。ピットに戻ってくると、木村メカが一番にとびついてきた。

「ジュンさん、すごい!」

そう言って、マシンを磨き始めた。自分の子どもみたいに思っているみたいだ。剛士とチーフメカニックの岡崎も近寄ってきた。握手をかわして、

「コースレコードおめでとう」

と岡崎が祝福した。

「ありがとうございます。岡崎さんと木村さんのおかげです」

「おいおい、俺は入らないのか?」

「親父はマシンを触っていない。でも、アドバイスには感謝しているよ」

 予選が終わって、ジュンはポールポジションを得た。初のポールポジション。一列目になったのも初めてだ。ジュンはその夜、初めてのプレッシャーにおそわれた。夜中に目を覚ますと、汗がびっしょりだった。寝られそうもないので、着替えてランニングを始めた。梅雨だったが、月明かりでコースが見えた。全コースを走るわけにはいかないので、メインストレートとパドックを2周走った。いい汗をかいた。戻ってくると、姉の景子がミルクティを入れてくれていた。

「おかえり。これを飲むと少し眠れるかもよ」

「ありがとう」

と礼を言って、一口飲むといつもと違う味がした。

「なに? この紅茶」

「景子のスペシャルティーよ」

「変なもの入れたな」

と言いながらも、ジュンは眠気に襲われてきた。朝までぐっすり眠ることができた。

 9時のウォーミングアップ。今日はくもりだ。いつ降り出してもおかしくない天気だ。天気予報では午後から雨になっている。タイヤの選択に悩んだが、調子のいいミディアムでいくことにした。ジュンは決勝までの時間、キャンピングカーの中でプレッシャーと闘っていた。

 午後1時。決勝のグリッド。ジュンは緊張していたが、雨がいつ降るかわからない。剛士が

「雨が途中で降ってくるかもしれない。その時は、トップにいた奴にコースオフィシャルにアピールできる権利がある。レインタイヤにしたければ、左手を挙げてアピールしろ。ただし、トップでいればだがな」

「分かっているよ。ブリーフィングでも言われた。でも雨はいやだな。乾いているうちにリードしとくよ」

「無理はするなよ」

「最初の3周で離せば、後は楽になるさ」

ジュンは相変わらず楽観的だ。

「逃げるのは結構難しいんだぞ」

「マシンが調子いいから、何とかなるんじゃない?」

このあたりが、ジュンのクレバーではない一面なのかもしれない。

「まぁ、無理はするな」

剛士は、これ以上言っても意味はないと感じていた。そこで、チームスタッフ退去の時間になった。

 ウォームアップの1周を終えて、グリッドにつく。最後尾のマシンが来るまでの時間がやたらと長く感じる。スタートランプが赤くついた。エンジンを吹かし、いつでもスタートできるようにする。そしてブラックアウト。クラッチをつなぎ、ダッシュ。前輪が浮かないようにマシンを抑える。

 第1コーナー。ジュンは頭をとった。順調だ。左の高速コーナーもうまく抜けた。アドウッドコーナーで曲がるころには、後ろのマシンの気配が少なくなっていた。独走のチャンスだ。上りの裏ストレートで目いっぱいアクセルを開けた。ところが、上りきったところで、ジュンのヘルメットのシールドに雨粒がついた。(降ってきた)と思った瞬間、ブレーキングポイントを越してしまった。右のヘアピンカーブが迫っている。ハードブレーキングをかけたが、リアタイヤが左に流れた。ハンドルを左にきって、転倒を防ごうとしたが、コースが雨で濡れ始めていた。無駄な努力だった。左のグラベル(砂地)につかまって、マシンは一回転した。ジュンはうつ伏せ状態で滑った。ケガは無い。すぐに起き上がりマシンに近寄ったが、オフィシャルにマシンは押され、安全地帯に移動させられていた。オフィシャルにうながされてマシンにまたがり、エンジンをかけようとしたが、オフィシャルが

「落ち着いて! あわてずに!」

と叫んでいる。しかし、エンジンはかからなかった。クラッチレバーが折れ、ギアがきれないのだ。オフィシャルに

「リタイアします」

と伝えると、タイヤバリヤの裏にマシンを持っていってくれた。オフィシャルの控え席で、うつむいて腰掛けていると、ミネラルウォーターが差し入れられた。ありがたいことだ。彼らオフィシャルがレースを支えてくれていることに改めて感謝の気持ちを抱いた。

 レースは雨で中断になった。再レースにジュンは出られなかった。マシンが自力で戻ってこられなければ、出走はできないのである。青木が2連勝でポイントを75とした。2位にはジュンと同い年の加藤が入った。初表彰台だが、堅実な走りでポイントは67になっている。3位には岡田遙香が入った。4戦連続表彰台だ。82ポイントでポイントリーダーだ。ジュンは58ポイントのままで、ランキング4位に下がった。

 レース後のミーティングでチーム全員が集まった。雰囲気は重苦しい。昨日のポールポジションの時とは大違いだ。

「今日の反省会だ。次の富士に向けて、つながる意見を言ってほしい。まずは、メカニックの立場から」

監督の剛士が岡崎に話を向けた。

「マシンは問題なしでした。タイヤ選択がやはり問題でしたね。ミディアムでも溝をきっておけば、スタートダッシュをかけることができず、あそこまで独走できなかったと思います。後は、タイヤが温まっていない1周目で、あそこまでスピードをあげるのは、やはり無理がありましたね」

と岡崎が痛烈にジュンを批判した。ジュンは言い返すことはできなかったが、つぶやくように

「俺にとっては、いつものパターンだったんだけどな」

「いつもと違うじゃないですか! いつもは中団からのスタートで、他のマシンのペースで走っています。今回はポールからのスタートで無意識にハイペースで入ったんですよ。スタートまでの待ち時間でもタイヤが冷えたし、まぁ、初めてポールをとったライダーにはよくあるパターンです」

岡崎の話に、みな納得せざるをえなかった。景子が続いて話した。

「潤一はプレッシャーと闘っていたわ。夜中に起きていたし、レース前もいつもと違い、静かだった。そこらへんが若いのよね」

「若さは、武器でもあるけれど、あやうさもあるんですよね」

マネージャーの新村が、辛らつな言い方で話した。加えて、

「でも、ビビッてばかりいたんでは、勝てないですよね」

とも話した。厳しいようで、あたたかい目で見てくれているのが分かって、ジュンは嬉しかった。

「俺がジュンさんの立場だったら、やっぱりああいう走りをしたと思います。結果はリタイヤでしたが、いい経験だと思えば、次につながるんじゃないですか?」

「木村くん、いいこと言うじゃないか。その言葉に尽きるな。今回はいい経験をした。今度、ポールをとったら同じ過ちをしないことだよ。なぁ、潤一」

剛士があたたかい言葉で締めくくってくれた。

「みんなありがとう。次もがんばるよ。でも、俺のスタイルはやっぱり追い上げかな。今度は、前半は飛ばさないようにします」

「ファイナルラップで抜くのが見たいわね」

と新村が言うと

「そうね。ロデオじゃなくてね」

という景子の声で皆が笑った。


 次戦は、富士。二輪開催は珍しい。モータースポーツ祭りで、四輪との併催となる。ジュンにとっては、あこがれの舞台だ。

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