第3話 MOTEGIラウンド KT社マシンデビュー
今日は合同テスト。タイヤメーカー主催の合同テストだ。D社を使っているチームが集まっている。H社のマシンを使っているチームも来ているが、上位のチームは少ない。潤一のチームが新チームとして初参戦ということで、メディアの注目は、そのマシンに向けられていた。鮮やかなブルーはJ-GP3にはないカラーなので、目立っていた。
午前中の走行を終えて、潤一は1分58秒台のタイムをだしていた。コースレコードの1秒落ちだ。
「どうだ? マシンの調子は」
監督の父親とチーフメカニックの岡崎が走行を終えた潤一に尋ねてきた。
「うん、ストレートの伸びは文句なしだよ。でも、コーナーのきついところでフルブレーキングをするとガタガタする。前だけ効いて、後ろがはねている感じがする」
潤一は感じたとおりに言った。するとチーフメカニックの岡崎が答えた。
「このマシンは、ハインツの乗り方にセッティングされています。俗にいう立ち上がり重視です。潤一さんは、ブレーキを遅らせるタイプですが、エンジンの特性からいって、回転数を一度下げると伸びが鈍くなります。むしろ、ブレーキを早くかけてコーナーにあったスピードで曲がって、立ち上がりでアクセルを早めにあける方が好タイムにつながるはずです。ガタガタするというのは、ブレーキ調整で何とかなると思いますが・・・まずはマシンにあった乗り方をしてみてはどうですか」
「ライダーがマシンに合わせるわけね」
と潤一がぼやくと
「速いライダーは、どんなマシンに乗っても速いものです」
冷静なマネージャーの新村が厳しく言った。レースの素人に言われて、潤一は目を丸くしてしまった。
午後は、岡崎の言うように早めにブレーキをかけ、立ち上がり重視でラインどりをした。他のライダーのマシンが走るパイロンに見えるぐらいゆっくりに見えた。下りの90度コーナーでは立ち上がりで他のマシンを抜くシーンが何度もあった。1時間ほど走ってもどってくると、タイムは1分57秒台だった。今回の参加者のベストタイムだ。残りタイムは30分。そこで、監督である剛士が
「スーパーソフトで走ってみろ。予選用のタイヤだ」
と言ってきた。
「よっしゃ。おもしろくなるぞ」
「3周でたれるから、3周目の1回きりの勝負だぞ」
「あいよ。ラジャー」
軽いノリの潤一だった。それでも、1・2周目は様子を見て走った。3周目、アタック。第1・第2コーナーはレコードラインをうまく描けた。第3・第4コーナーは左ターン。右ターンよりスピードを上げた。やや滑ったが、なんとかマシンを抑えた。ファーストアンダーブリッジを抜け、上りのS字。スピードを調整して、体重移動に気をつけた。そして、V字コーナー。無理をせずライン重視を心がけた。ダウンヒルストレートは最高速に達する。伸びは文句なし。90度コーナーでも無理せず。最後のビクトリーコーナーで切り返しを素早く行い、フィニッシュライン通過。潤一は、フルブレーキングをしない走りで、やや不満だったが手応えは感じていた。ピットに戻ると、チームスタッフが満面の笑みで出迎えてくれた。
「1分56秒9。J-GP3のコースレコードだ。もっとも練習走行だから記録にはならんがな。Moto3のベストタイムの0.5秒おちだ。初参戦でこのタイムは立派だ」
と言いながら父親が抱きついてきた。潤一は、同じ排気量のマシンで0.5秒速く走る奴がいるのかと思うと、嬉しさよりもそっちの方が気になっていた。ハインツの走る姿が目に浮かんだ。
MOTEGIでの全日本が始まった。木曜日に現地入り。潤一と景子は相変わらずキャンピングカー暮らし。父親の剛士はマシン搬送用のトランポに簡易ベッドを入れて寝ている。岡崎たち3人は近くのホテルに泊まっている。彼らの費用はKT社もち。潤一たちは、ポイントをとらないと報奨金が入らない。1位で25P、2位で22P、3位で20P、20位で1Pだ。1位なら250万円の報奨金だが、20位なら10万円。3位までに入ればレースの賞金も出るので万々歳だが、下位やリタイアなら地獄を見ることになる。そこがファクトリーチームとプライベートチームの差なのだ。
金曜日の練習走行日は雨だった。監督の剛士からタイムをとるより、レインタイヤの特性を見たいということで、無理をしない走りに徹した。日曜日は晴れの予報なので雨のタイムは、あまり関係はない。他のチームも同様の対応だった。
土曜日の午前は練習走行。やはり雨。午後の予選も雨だった。予選でタイムをださないわけにはいかない。潤一はレインタイヤでアタックに出た。3周目にアタックをかけた。ところが、第3コーナーの左コーナーでタイヤが滑った。マシンはスーっとコース外に飛び出し、グラベル(砂地)でごろごろと転がってしまった。幸いにもケガはなかった。
ピットに戻ってきたマシンは悲惨だった。エンジンは無事だったが、ブレーキレバーやステップが折れ、カウルはメチャクチャだった。チームは明日の決勝に向けて、このマシンを修理するか、一度も走らせていない予備のマシンを使うかを選択しなければならなくなった。チーム全員で、どちらを選択するか検討した。
「みんなの意見を聞きたい。まずは木村くん、このマシンを直せるか?」
「直せと言われれば、直せます。でも、直したからと言って、元の性能が出せるかどうかは保証できません」
『岡崎さん、そうなのか?」
「たしかにそうです。転倒の影響でバランスが崩れている場合もあります。バランスをとるのは、ファクトリーでないと難しいです。それよりはスペアのマシンを調整した方が確実です。ただ、この前ハインツが一度しか乗っていないマシンです。潤一さんが乗ってみないと分からないこともあります」
「新村さん、KT社はどう思う?」
「スペアのマシンを使うことは想定範囲内ですから問題はないです。でも、年間を通じて考えると第1戦で1台を失うことはマイナスイメージですね」
きつい言い方だった。
「エンジンは無事だったから直せばいいんじゃないの?」
姉の景子が聞いてきた。
「契約では、修理部品の調達はチーム持ちです。あの程度の修理だと100万円ぐらいかかると思いますが・・・どうですか岡崎さん」
新村の返答は厳しい言い方だった。
「私はお金のことはよく分かりませんが、カウルは特注品ですから100万円はいくと思います。エンジンは無事ですから、もしマシンが足りなくなったら、このマシンを直せばいいのでは? それまでに潤一さんが10ポイントをとればいいんです。今回、このマシンを使うとなれば、スペアマシンから部品をとるまでです」
「潤一はどう思う?」
「まず、みんなに謝りたい。俺のミスでこけてしまった。悪かった。俺は、チームのみんなが決めたマシンに乗るのが仕事。前に新村さんから言われた(速いライダーは、どんなマシンに乗っても速い)が耳に残っています」
潤一の言葉に、新村は複雑な表情をしていた。
「わかった。今から俺の考えを言う。反対だったら言ってくれ。いいか?」
剛士は、皆の顔を見て、うなずいたのを確かめてから話を切り出した。
「明日の決勝はスペアでいく。岡崎さんと木村くんは今夜中にセッティングをお願いします。壊れたマシンは、潤一が10ポイントを稼いだところで修理をする。練習走行で、コースレコードを出したエンジンだ。寝かせておくのはもったいない。なるべく早く復帰させたい。みんな、どうだ?」
見回すと、皆うなずいている。岡崎が代表して
「監督の言うとおりにしましょう。ただ、スペアマシンはエンジンの調子がわかりません。明日のウォームアップでセットアップするしかありません。それでよろしいですか?」
「もちろん」
剛士は納得したが、潤一はまだ恐縮していた。景子は潤一の気持ちが落ち込んでいないか不安だった。
翌日の決勝は、天気予報どおり晴天だった。風もなく、絶好のレース日和だ。9時からの30分間。ウォームアップランが始まった。まず5周走らせた。タイムは2分0秒5。ほぼ中間のタイムだ。これでは、上位はのぞめない。岡崎が潤一に尋ねた。
「エンジンの特性は?」
「メインマシンよりもピーキーな感じがします。高回転が伸びないんです。それに、一度回転を落とすと、なかなか元に戻ってきません」
「となると、最高速はメインマシンほどではないな。それじゃ、ストレート重視ではなく、コーナー重視でいくか。ブレーキをきつめにします。ブレーキングポイントを少し遅くして走ってみてください。なるべくアクセルを戻さずにお願いします」
「了解しました。やってみます」
残り5周、潤一はブレーキングポイントを10m遅らせた。アクセルをなるべく戻さずに、ギアを落とすのは至難の業だったが、それができなければタイムは出せない。やるしかなかった。何度かオーバーランしかけたが、なんとかこけずに済んだ。ピットに戻ってくると、
「1秒アップしたよ」
と姉の景子が言った。1分59秒5。まずまずのタイムだが、他のマシンもタイムを出していて、今日だけのタイムでいえば、5番手だ。ただ、58秒台は誰もいない。全員が本気を出しているわけではないが、手応えはあった。
マネージャーの新村が、岡崎に尋ねた。
「マシンに問題ありなの?」
「メインが調子良すぎたんだよ。そんなに悪いわけじゃない。あたりが出れば、速く走れるよ。それより、潤一くんの気持ちの問題かな?」
「気持ちって?」
「転倒したからびびってんじゃないのかな? 昨日の新村さんのマイナスイメージの言葉がこたえているんだと思う」
「私のせいなの?」
「やさしい言葉かけてみたら・・・・」
新村は変な顔をして、岡崎と離れた。
早めの昼食をとって、午後1時の決勝に備えた。新村はヘルメットをかぶろうとしている潤一に近寄り、何かをささやいた。すると、潤一はニコっと笑ってマシンにまたがり、ピット出口に向かっていった。岡崎が、新村に聞いた。
「潤一くんになんて言ったんだ?」
「マネージャーとしての一言よ」
「なんだ、それは?」
「カウル安くなるって、と言っただけよ」
「いいのかい? そんなこと言って?」
「そこは、マネージャーの腕の見せどころよ」
「確かに・・・」
潤一はグリッドに着いた。キャンギャルがいないので、姉の景子がパラソルをさしていた。予選はアタックしていないので、マシンをあたためている予選2周目のタイムとなった。22番手からのスタートだ。マシンのゼッケンと同じだ。台数は25台なので、8列目のイン。潤一の後ろに1台いるのみだ。1週間前の練習走行の時は、メディアが注目していたが、今回はほとんど注目されなかった。18才の新人に注目するメディアは少ない。ライダー紹介の際も拍手はまばらだった。スタート前のウォームアップランを終えて、スタートグリッドに戻る。後方スタートの利点は、タイヤが温まっていて、すぐにスタートになる。1列目は、しばらく待つので、タイヤは若干冷える。
1周目、スタート。潤一は無難にスタートできた。第1コーナーでインに入り、第2コーナーの立ち上がりで何台か抜いた。ストレートで前のマシンに追いつき、スリップストリームを使う。昨日こけた第3コーナーでは前についていき、第4コーナーの立ち上がりでまた1台抜いた。アクセルを戻さない走法が功を奏している。第5コーナーからS字は、一列で駆け抜けていく。勝負はV字コーナーだ。前の1台がアウトに膨らんだ。潤一は、そのインに入り、強引に左ターンをして抜いていった。ダウンヒルストレートは全開だが、H社のマシンと最高速度はあまり変わらない。90度コーナーは前のマシンの挙動を見てターンした。ビクトリーコーナーもスリップストリームを使って、前のマシンに付いていった。
2周目。スタート後の混乱がおさまり、一列縦隊のレースになってきた。皆、後半勝負と考えているのだろう。でも、潤一は違った。ねらいは90度コーナーだ。スリップストリームにつき、コーナーでアウトにでる。相手はインを抑えるが、インを抑えるあまりスピードが遅くなる。そこを立ち上がり重視の潤一が抜いていく。
3周目。サインボードには「P15」と表示されていた。7台抜いている。1周ごとに1台ずつ抜いていけば、10位以内に入れる。目標の10ポイント獲得だ。(そこまでレースは甘くないが・・・)と心の中で思いながら、それでも90度コーナーで、また1台抜いた。これで14位。
6周目。トップ集団が見えてきた。団子状態の混戦だ。S字を左に右にマシンを倒していくのは、後ろから見ていて、ほれぼれするぐらいだ。この体重移動がうまいライダーは速い。潤一の前を走っているライダーはそれほどでもない。次の90度で抜けそうだ。ところが、その前にアクシデント発生。V字コーナーでトップ集団の何台かがからんだ。潤一は、その瞬間を見ることはできなかったが、通過する時に、3台ほどがコース右に倒れているのを確認した。コーナーを立ち上がって、コースサイドのポストを見るとレッドの旗が振られている。レースは中断だ。ピットに戻らなければならない。レッドフラッグが出たということは、救急車が入る可能性がある。誰かがケガをしたのかもしれない。大事にいたらなければいいが・・・。潤一は数年前のMotoGPで車両火災があった事故を思い出していた。その時もV字コーナーだった。ライダーは大けがだった。今は、ファクトリーのサポートを受けたばかりの大事な時期。無理はできない。ここで無理をしてこけたら、またマネージャーの新村さんに、きついことを言われるかもしれない。あのメガネの奥にある目は結構きつい。親父はデレーとしているが・・・。
レースが再開し、7周目。チームの指示は「KEEP」だ。トップとの差は少ない。混戦を避けろということか。潤一はためらったが、先頭は見えている。追いつけない距離ではない。あと5周しかないのだから、抜いていかないと表彰台には上がれない。と思った瞬間、朝のミーティングで
「今日の目標は10位以内」
と話し合っていたのを思い出した。そうだ。ここは様子見だ。混戦で皆あせり始めている。何が起きるかわからないのだ。すると、ショートストレートが過ぎた第3コーナーで、2台がオーバーランしている。転倒はしていないが、おそらくブレーキ競争をして、2台ともはみだしたのだろう。カッカすると、こうなるの見本だ。これで9位。
S字、V字といったコーナーは9台でトップ集団を形成していた。ダウンヒルストレートで、アウトに出て、先ほどから前にいたマシンを立ち上がりでやっと抜いた。これで8位。
10周目。サインボードには「GO」が出ている。ピットも行けると思ったか? レースアナウンサーも
「ブルーKがやってきた!」
と叫んでいる。第1コーナー前で、ブレーキをかけるために体を起こすと、スタンドで大きなブルーKの旗が振られているのが見えた。KT社バイクのユーザーなのかと思った。まだ少ないファンだが、潤一は少し嬉しかった。8台の隊列で、コーナーを抜け、90度コーナーでまた1台抜いた。立ち上がり重視のラインどりが上手くいっている。今までの突っ込みラインでは抜けなかったと思う潤一であった。これで7位。
11周目。サインボードは「GO GO」となっている。ピットものりのりだ。でも、潤一は冷静だ。無理なブレーキはしなかった。すると、右ターンの第5コーナーで1台が転倒。レース終盤に入り、タイヤがそろそろたれてきたのかもしれない。これで6位。そして、またまた90度コーナーで1台抜く。5位。
12周目。サインボードは「FINAL」(わかってるって)潤一はすごく冷静だった。第2コーナーの立ち上がりでトップのマシンが左に滑っていくのが見えた。スタジアム全体のため息が聞こえてきた。レースアナウンサーも悲鳴を上げている。ライダーは、ここで引き離そうと無理をしたのだろう。(気持ちは分かるが、無理はだめよ)と潤一は心の中で、自分をいましめていた。ダウンヒルストレートで前につこうとしたが、トップ3はそうそう簡単にはスリップストリームにつかせてくれない。90度コーナーでは抜けなくて、少し離されてビクトリーコーナーに入った。(ここまでか)と潤一が思った瞬間、最終コーナーの立ち上がりで3位のマシンがトップ2台にぶつかっていった。アクセルを速く開けすぎて滑っていったのだろう。目の前で起きたアクシデントで、潤一もハードブレーキングをせざるをえなかった。マシンを右に倒していたが、攻めてはいなかったので、転倒はしなかった。でも、急なブレーキで潤一の体がはねた。ハイサイドといわれる状態だ。スタジアム中が悲鳴に包まれている。ピットのメンバーもまばたきができないぐらい見入っている。しかし、潤一はハンドルから手を離さなかった。体はシートの上にうつ伏せ状態になっている。まるで、カウボーイのロデオだ。そのままフィニッシュラインを抜けた。後ろから来たマシンとはタイヤ1本の差だった。(勝った。俺が勝ったのか!)先ほどのスタンドのブルーKの旗が大きく振られていた。潤一は左手を振って、その応援に応えた。通り過ぎるコーナーサイドのポストのオフィシャルが前に出てきて、手を振ったり、旗を振ってくれている。(MotoGPなら、ここで国旗が渡されるところだな)と思いながら、手を振って応えていた。ピットレーンに戻ってくると、ピットではなく、別のところに誘導された。表彰台に上がる2位と3位のマシンがすでに並んでいた。
そこに、チームのメンバーがやってきた。まずは、親父が抱きついてきた。(親父とハグなんかしたくねぇ)と思った。次に、チーフメカニックの岡崎さんが握手を求めてきた。
「潤一くん、初優勝おめでとう」
「岡崎さんのおかげです。ラインどりがうまくいきました」
「潤一くんが、それをものにしたということさ」
「ありがとうございます」
メカの木村くんは、マシンに触りたいところだが、車検が終わるまではメカニックは触れない。両手でピースサインをして喜びを表していた。姉の景子は、指で2・5・0を繰り返している。今回25ポイントを取ったので、KT社からの報奨金が250万円ということを表しているのだ。(まったく姉貴といったら・・・でも、その喜びはよく分かった。今までは、貧乏チームだったのだ。そのやりくりをしていたのが姉貴だったのだから)マネージャーの新村さんを探すと、姉貴の後ろに立っていた。時々、メガネを外して涙をぬぐっている。(へぇー、冷たいだけじゃないんだ)
表彰台の裏に行くと、2位に入った岡田遙香に声をかけられた。
「初優勝おめでとう。また、あなたの後ろだったわ」
「ありがとうございます。でも、今度はもっと楽に勝ちたいです」
「19年のMoto2のアレックスみたいだったもんね。ビクトリーから抜けたら、ロデオ乗りやっているんだもの。びっくりした。抜けると思ったんだけどな・・・」
「たまたまですよ。マシンを壊したくない一心でした」
「新しいマシンだもんね」
「予選で1台壊しちゃったので・・・」
「そりゃ大変だ。サポート受けられなくなるもんね」
「結構大変でした。鬼婆みたいなマネージャーに嫌みを言われて」
そこで、岡田遙香に笑われた。その時、表彰式が始まった。3位から呼ばれて、2位の岡田遙香は笑いをこらえながら表に出ていった。そして、潤一が呼ばれた。
「優勝! チームブルーベルK 川口ジューンイチー!」
とアナウンスされた。ヘルメットを片手に持ち、タイヤメーカーのD社の優勝キャップをかぶせられて、表彰台に上がった。前回の2位とは大きな違いだ。目の前にいる全ての人が自分の優勝を祝ってくれていると思うと、感無量だった。賞金は50万円だった。報奨金と合わせると300万円。昨年1年分のレース資金を1回で稼いでしまった。
表彰台後のインタビューで、アナウンサーから次のように聞かれた。
「予選22位からのトップ。これは今までの全日本史上初です。予選では、手を抜いていたんですか?」
「まさか、そんなことありません。アタック1周目でこけてしまったので、アタック前のタイムが予選タイムになっただけですよ。今回はラッキーでした」
「確かにアクシデントが多いレースでした。でも、90度コーナーの立ち上がりは見事でしたね。今までの川口選手のライディングとは、だいぶ違うと思ったのですが」
「はい、チーフメカの岡崎さんとKT社のハインツのアドバイスに従いました。KT社のマシンは、ああいうラインどりがいいみたいです」
そう話していると、スタンドから
「ジューン イチ」「ジューン イチ」・・・「ジューン」
という声援が上がっていた。
「声援すごいですね。これからはジュンと呼ばれるんじゃないですか」
「いいっすね。ジュンでいきます」
「皆さん、新しいヒーローの誕生です。ブルーベルKのジュンでした」
ジュンは両手を振って観客の声援に応えていた。
ピットに戻ると大騒ぎだった。マシンも戻ってきていて、木村メカが撫でるように磨いていた。まずは、チームみんなで記念撮影。マネージャーの新村がスマホで撮って、KT社に送るとのことであった。そして、どこから集めてきたのかシャンパンもどきのドリンクで、ポンポンと音がなった。ノンアルコールとのことで、ジュンも飲めるらしい。どうやら姉貴が、キャンピングカーにいれておいたらしい。まさか今日使うとは思っていなかったようだ。そこに、2位に入った岡田遙香がお祝いにやってきた。ケーキの差し入れを持ってきた。さすが、女性ライダーのチームだ。用意するものが違う。
「すごい賑わいね。今度は九州のオートポリスよ。負けないわよ」
「こっちこそ、今度はぶっちぎりで勝ちますよ」
そこに、マネージャーの新村がやってきて、みんなに報告があると言い出した。
「オーストリアのKT社に報告したら、初参戦で初優勝にすごーく喜んでいた。優勝記念にヨーロッパにあるカウルを送ってくれるって。それも無料で」
「ヤッホー!」
ジュンは、今日一番の歓声を上げた。拍手がおさまった後に、ジュンの耳元で岡田遙香がささやいた。
「鬼婆って、あの人?」
その声が、新村に聞こえたらしく、ジュンは新村から
「だれが鬼婆ですって・・・?」
「いえ、新村さんのことではありません」
でも、岡田遙香の視線は新村に向けられている。ジュンは新村に追いかけられ、しまいには尻をたたかれた。皆の笑いを誘ったのは言うまでもない。
次回は3週間後、九州のオートポリスが舞台だ。今回の優勝がフロックと言われない走りをしなければならない。ジュンは、気持ちを切り替えなければならなかった。
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