第2話 ハインツとの出会い
SUGOラウンドから1週間ほどして、父親の剛士が歓喜して家へ戻ってきた。
「潤一! 喜べ! ファクトリーのサポートが受けられるかもしれないぞ」
「エッ? ファクトリーのサポートって、H社の?」
潤一が乗っているマシンはH社のものだったが、プライベートチームには特別なサポートはなかった。
「いや、違う。KT社だ。オーストリアのメーカーだ」
「KT社? マシンが変わるわけ?」
「そういうことになるわな。MotoGPでは、今KT社とH社が争っている。今のところH社がリードしているが、KT社もいいところまで来ている。そのKT社が日本に進出する第一歩ということで、ウチのチームに声がかかったということだ」
「契約は大丈夫なの?」
話を聞いていた姉の景子が心配して聞いてきた。
「契約はまだだ。来週、SUGOでKT社のテストがある。そこで、潤一の走りを見てから決めるということだ。うまくいけば、来月のMOTEGIからニューマシンに乗れる」
「ワォー! ファクトリーマシンだ。それもストレートで速いと言われるKT社のマシンだよ」
潤一は心が躍った。
4月の末、上々の天気の元、SUGOでKT社のテストが行われた。マシンは2台ある。タイヤはD社のミディアムを履いている。そこに、20才を越えたばかりの外国人ライダーがいた。KT社のライダーでハインツ・メルケルと名乗った。ドイツ人だ。後で知ったことだが、Moto3のライダーが欠場した場合のリザーブライダーとのこと。このハインツと1秒以内のタイム差ならば合格という条件だった。潤一は、単独で走るのではなく、相手がいるということで、ますますワクワクした。
テストは10周で行われる。最初の5周は慣れるまでということで、タイムは無視。残り5周のタイムを計測し、その中で最も速いタイムを対象とすることになった。転倒すれば、それで終了。前半の5周で転倒すればノータイムとなり、アウトということになる。マシンについてはハインツの方が熟知しているが、コースについては潤一の方が熟知している。条件はほぼイコールと言える。マシンは、2台ともハインツとメカニックが仕上げているということで、マシンの選択は潤一に任せられた。
ハインツの先導で、テストが始まった。1周目は、ウォームアップの意味もあり、2人ともゆっくり走った。2周目と3周目は、タイヤに熱を入れるために少しスピードを上げた。タイヤ全体を温めたいので、マシンを左右に振ったりした。4周目は8割程度のスピードで走った。潤一はハインツに楽々付いていけるので、(1秒ならちょろいもんだ)と内心思い始めていた。5周目は、ブレーキの調子を見たかったので、裏ストレートでブレーキングを試してみた。すると、ハインツはそこから本気でスピードアップをしていった。潤一より速いということを見せつけたかったのだろう。まるで予選アタックの感じだ。潤一も100mほど離れて付いて行った。勝つことではなく、距離が離れなければいいのである。ところが、6周目のタイム計測が始まるという時、スタートライン手前の10%勾配を上り、ダンロップブリッジを越えて、前方を見ると、ハインツは遙か前の第1コーナーにかかろうとしていた。300mは離されている。潤一は少し焦った。(ハインツは三味線を弾いていたか)と思いながらも目いっぱいアクセルを開けた。前輪がやや持ち上がり、ウィリー状態になった。格好はいいがタイムにはつながらない。前傾姿勢を保ち、第1コーナーに飛び込んでいく。アウトインアウトを確実に決め、きれいなラインを描いていく。ここは、ハードブレーキングは必要ない。滑りやすい第3・第4コーナーは無理せずライン重視。S字を越えると、短いストレートにハインツはまだいた。その差200m。やはりコーナーは自分の方が速い。ハイポイントとレインボーを抜けると裏ストレート。ここでは、ハインツの方が速い。SPコーナーに入った時には、ハインツは見えなかった。110Rを抜け、シケインでやっとハインツが見えてきた。10%勾配ではフルスロットル。前輪が浮かないようにして、ストレートを抜ける。
7周目。S字を抜けたら、前の周には見えていたハインツがもう見えない。離されている。裏ストレートに入るとハインツはもう馬の背コーナーに入っている。完全に離されている。こうなったら自分の走りをするだけだ。ラインだけを重視して走った。
8周目。サインボードを見ると、「1.5」と表示されている。6周目のタイムが1.5秒遅れているという意味だ。あと0.5秒足りない。ここが勝負のしどころだ。だが、ハインツのことは気にせず、自分の走りをすることだけを考えた。KT社のマシンを操作できるだけでも嬉しさを感じていた。
9周目。サインボードには「UP」とだけ書いてあった。タイム差は書いていない。ピットは諦めたか。でも、潤一は諦めていなかった。ブレーキングポイントを遅くして、コーナーをぎりぎり攻めた。
10周目。サインボードには「1.2FINAL]と表示されている。8周目の走りで少し詰まったが、まだ条件の1秒以内ではない。ファイナルアタックだ。すると、S字を抜けた短いストレートでハインツの姿が見えた。スロー走行をしている。(マシントラブルか?)と潤一が思ったら、急にアクセルオン。どうやら勝負をしようということらしい。(おもしれー!)と潤一は心が躍った。2つのコーナーはハインツが先行する。マシンのバンク角(傾き)はさすがだ。レインボーコーナーでやや膨らみ、ハインツはアウトコースをとった。潤一はライン重視だったので、ハインツのインに入れた。ハインツはタイヤひとつ分先行して裏ストレートを競って走っている。馬の背コーナーでのブレーキ勝負だ。時速230kmは出ているだろうか?単気筒250ccのエンジンでは限界のスピードだ。コースの左側にあるカーブへの100m看板のところで、ハインツはアクセルを緩めた。潤一はワンテンポ遅らせた。潤一リードだ。潤一は強引にターンしていった。コースアウトするかどうかのぎりぎりだった。そこをレコードラインをとったハインツが抜いていった。(クソッ! シケイン勝負だ)と潤一はハインツに付いていった。110Rを抜け、シケインに入るところで、ハインツはインをおさえて走っている。潤一はブレーキを遅らせて、アウトから抜きにかかり、インにとびこもうとしたが、一瞬ハインツの方が速かった。(クソッ! 終わった)潤一はチャンスを逃した。10%勾配の上りは、同じマシンでは抜けない。ハインツの後塵を拝した。フィニッシュラインを抜け、マシンを冷やしながらコースを1周し、ピットに戻ってきた。頭の中はもやもやしていた。父親が、マシンを止めてくれた。
「タイムは?」
と潤一が聞くと、父親は首を振りながら
「1.2秒差」
と答えた。
「詰まらんかったか」
「仕方ない。なーに、また元に戻るだけさ」
そこにハインツが握手を求めにやってきた。
「 You are so crazy , but fantastic breaking ! 」
(おまえはとてもクレージーだ。でも、すごいブレーキだ)
と言いながらハグをしてきた。しかし、ハインツの誉め言葉は無意味に感じた。
そこにKT社の担当者がやってきた。父親と握手をしている。何かをささやき、父親が笑みを浮かべた。
「潤一、合格だ。0.98秒差だ」
「どうして? 1.2秒じゃなかったの?」
「ハインツは最高タイムを出した時に、レインボーコーナーでオーバーラン(コースアウト)していたらしい。モニターで確認された」
※オーバーランするとタイムは無効
「ヤッホー! やったぜ姉ちゃん」
と姉の景子とハイタッチを交わした。
「母さんに電話するね」
と景子は早速、母親に吉報を知らせていた。
KT社との契約は次のとおりだった。
・マシンの供給。レースごとに2台の用意。年間で4台まで可能。
・練習走行の確保。月に一度の練習走行日を設定(合同練習を含む)
・スタッフの派遣。メカニック2名・マネージャー1名を派遣する。
・川口剛士はチーム監督に就任。チーム本拠地は現在地と同じ。
・J-GP3で年間3位以内であれば、来年のMoto3ライダーに推薦する。
・チーム名は、ブルーベルKとする。
・マシンのカラーは、スポンサーのブルーベル社の青とする。
・ライダーは川口潤一。つなぎはブルーベル仕様とする。
・報奨金は、1ポイントにつき、10万円とする。
これ以外にも細かい条件はあったが、潤一に関係することは以上のようなことであった。ブルーベル社はオーストリアに本拠をもつスポーツドリンク社だ。日本にも販路を拡げたいということなのだろう。潤一は、父親に話しかけた。
「年間4台使えるということは、3台壊してもいいということ?」
「数的にはな。でも、壊し屋はメーカーから嫌われるぞ」
「壊す気はないよ。でも、今まで1台でやりくりしていたことを考えると楽だよね」
「確かにな」
父親は気のない返事をした。
「どうしたの? 何か元気ないね」
と言ったところで、姉の景子がコーヒーを持って現れた。
「お父さんはね、マシンにさわれなくなると思っているのよ」
「エッ! そうなの親父?」
「メカニックが2人来るだろ。2人ともKT社のメカニックだ。俺は、KT社のマシンを知らん。レースでストップウォッチを持っているのがオチかもしれん」
潤一はプッと吹きだした。
「それ、姉貴の仕事じゃん。いいんだよ。メカニックに任して、デンとしていればいいんだよ」
「そうなんだがな・・・・」
数日後、マシン2台と3人のスタッフがやってきた。来週には、MOTEGIで練習走行をすることになっている。その翌週には、同サーキットでのレースだ。
「初めまして。チーフメカニックの岡崎です」
年のころは30代半ばだろうか?落ち着いた感じのするまさにメカ一筋の男だ。
SUGOでのテストの時にもいた顔である。
「俺はメカニックの木村です。よろしくお願いします」
20才そこそこのお兄ちゃんという感じの青年だ。
「マネージャーの新村です。スケジュールの管理とKT社やメディアとの折衝及びスポンサー対応が主な仕事となります。今まで、KT社日本支社長の秘書をしていました。レースの方は、ど素人なので教えてください。慣れるまでは、サーキット関係の仕事は監督にお願いしたいのですが・・・・」
「もちろん、いいですよ。契約条項にも入っていましたし、今まで私がやっていたことですから・・・・」
父親の剛士はメガネ美人の女性を前にして、デレーとしていた。それを見た景子が
「お父さんったら・・・・! で、私の仕事は?」
「あっそうだった。紹介します。娘の景子です。タイムキーパーと賄い担当です」
「ストップウォッチはお父さんがやるんじゃなかったの?」
「俺は監督。やるわけないだろ」
「言うことがころころ変わるんだから、困ったお父さん」
二人のやりとりをあきれて見ていた潤一が口をはさんだ。
「いつになったら俺の紹介になるんだよ!」
と素っ頓狂な声を上げたら皆が笑っていた。
「息子の潤一です。少々無鉄砲なところがありますが、センスはあると思っています」
「無鉄砲ですみませんね。まだ18で若いんです」
するとマネージャーの新村が
「テストで一緒に走ったハインツが言っていました。潤一は楽しみなライダーだ。クレージーがクレバーになれば、MotoGPにもいけるかもね、と」
「まるで、俺がバカみたいな言い方だな」
そこで、また皆の笑いを誘った。
次はKT社の日本デビュー。潤一は興奮を隠せなかった。
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