レーサー

飛鳥 竜二

第1話 SUGOラウンド ジュン全日本デビュー 18才

 潤一は目覚めた。二人乗りのキャンピングカーは、静寂の中にあった。姉の景子は既に起きていて朝食の用意をしている。慣れた手つきでガスバーナーを操作している。別の車で寝ていた父は、もうマシンの点検をしている。潤一ファミリーは、日本各地を転戦しているレース一家である。

 4月のSUGOは、朝もやに包まれていた。陽が上がってくれば、霧も晴れてくるだろう。気温はまだ低い。メカニックである父親は、気温と天候にあった調整に余念がなかった。タイヤの選択も重要なファクターだった。父親は、天気予報を見たが、

地元出身の強みで、予報より暑くなると判断し、ハードを選択することにした。前半はおさえて、後半勝負の選択だ。普通の選択では、ファクトリーの支援を受けているチームに負けてしまう。勝つためには、多少のバクチが必要だった。

 姉の景子が入れてくれたコーヒーとパン・ハムで朝食をすませ、潤一はコースを見に出た。潤一は、今年J-GP3というクラスにエントリーしている。昨年、下部のレースでデビューし、上位入賞してランクアップできた。注目の新人というところである。J-GP3でランキング上位であれば、秋に開催されるMotoGP日本グランプリにワイルドカード(一回限りの参加)で出走できるチャンスがやってくる。世界で戦っているレーサーと一緒に走れる。そこで、いい成績を残せば、来年は世界を転戦できるかもしれない。潤一の夢は広がるばかりであった。そのためには、まず今日のレースで勝たなければならない。潤一の気持ちは高揚していた。

「なんだ、潤一顔が紅いぞ」

父親は、潤一が寝ぼけ顔をしているのかと思い、声をかけた。

「コースを見ていたら自分がトップでチェッカーフラッグを受けているシーンをイメージしていた」

「全く!同じイメージするなら第1コーナーでの入り方をイメージしたらいいのに」

「それはイメージ済み。予選7位だからインを刺せる。第1コーナーは無理せずインキープ。第2コーナーからアクセルオンで第3コーナーはアウトインアウト。S字(第4~5コーナー)では無理せず、登りで勝負。ハイポイント(第6コーナー)前で1台抜き、レインボー(第7コーナー)で前のマシンにスリップにつき、裏ストレートで1台抜く。馬の背(第8コーナー)でも前につき、SPアウト(第10コーナー)で1台抜く。そしてシケインで前に追いつき、10%勾配でスリップを使って、メインストレートで抜く。これで3位にあがる。トップ2台は様子を見て抜く。どうだ親父?」

「ソフトタイヤならな」

「エッ!ソフトじゃないの?」

「ハードでいく」

父親は厳に言い渡した。

「耐久レースじゃないんだよ。それに、まだ4月で寒いじゃん」

「だからだよ。他のチームは暖かくならないと思って、ソフトかミディアムでくる。でも、この時期、霧がでたSUGOは午後から暑くなる。ソフトで走ったら、後半たれてくる」

「いくら親父が地元出身だからとはいえ、ハードはないんじゃないの?」

「つべこべ言わずに、チーム監督の言うことを聞け。順位は前半落ちてもいい。後半3ラップ、おまえの全力で走れ。J-GP3でどのくらい走れるか見せてみろ」

「わかったよ。前半は様子を見るよ」

と、潤一は納得したような顔をしたが、内心は不満だった。

 午前のウォームアップが始まり、潤一はハードタイヤでのぞんだ。案の定、タイムは伸びず、下位から数えた方が早いくらいだった。

「どうだった?」

父親が潤一に尋ねてきた。

「最悪だよ。S字でこけるかと思ったよ」

「あそこは、切り返しの下手なやつがこけるんだよ。それよりレインボーはどうだった?」

「レインボー? いつものとおりだったけど・・・」

「あそこは、インのゼブラに乗ると滑る時があるから気をつけろよ」

「そう言えば、予選でこけている奴がいたな。あいつもゼブラに乗ったのかな?」

 スケジュールは進み、午後の決勝タイムになった。J-GP3は一番最初のレースである。太陽が真上にきて、路面温度は午前中よりだいぶ上がっている。午前中、ソフトタイヤを選択したチームは、ミディアムタイヤに換えているところもあった。せっかくのウォームアップが無駄になったのである。だが、さすがにハードタイヤを選択しているチームは潤一以外になかった。

 午後1時。決勝スタート。シグナルがブラックアウト。一斉にスタートだ。潤一は決して悪いスタートではなかったが、タイヤがハードでは蹴り出しが弱い。第1コーナーでは集団に巻き込まれたこともあり、12位まで順位を落とした。22台のエントリーなので、後ろから数えた方が早い。ハイポイントコーナーの手前の直線でも1台に抜かれた。まだまだタイヤが温まっていない。ハードタイヤでは我慢して走らなければならない。ストレスがたまる。裏ストレートは何とか前のマシンに付いて行って、ブレーキ勝負でも勝った。立ち上がりでアクセルを開けたら、急にマシンが暴れた。転倒かと一瞬思ったが、何とか抑えることができた。

「フー、危なかった」

潤一は、一息ついて前のマシンに付いて行った。ペースはそんなに速くはないので、ハードタイヤでも付いていける。でも、こんなポジションで満足するわけにはいかない。

 メインストレートでピットを見ると、サインボードに「KEEP」と出ている。順位を保てという意味だ。前のマシンにしばらく付いていくことにした。耐久レースみたいで退屈なレースと潤一は思った。

 8周目。第1コーナーでアクシデントが起きた。前方のマシンがブレーキミスで転倒し、グラベル(砂場)につかまっている。大した事故ではない。ライダーは歩いている。そろそろタイヤがへたってきたのだろうか。潤一はチャンスかと思ったが、残り3周でアタックという作戦なので、もう少し待たなければならない。現在11位。

 9周目。今度はシケインで転倒しているマシンがいた。立ち上がりでアクセルを開けたところで、リアタイヤが滑ったみたいだ。これで10位にアップ。

 10周目。前を走っているマシンをプッシュしていたら、左カーブの第4コーナーで滑っていった。焦ったのだろうか?これで9位にアップ。

 13周目。サインボードには「GO」と出ている。いよいよ本領発揮だ。裏ストレートで前のマシンに追いつき、インを取って馬の背のコーナーで抜く。8位にアップ。SPコーナーをひとつの円を描くように抜け、シケインで前のマシンに追いついた。10%勾配とストレートでは馬力の差がないので抜くのは難しい。

 14周目。第1コーナーでインをとって併走。第2コーナーを過ぎたところで前に出た。これで7位。馬の背コーナーで相手より遅いブレーキで前に出て強引に右ターン。若干マシンが暴れた。これで6位。

 15周目。ファイナルラップ。何とか抜きたいが、5位のマシンとは100mほど離れている。相手はJ-GP3でのベテランのライダーだ。1周で抜くのは難しい距離だ。なかば諦めかけて走っていると、レインボーコーナーで4台がコースアウトしていた。トップ4台がからんだのか?再スタートを試みている。これで2位に上がった。油断しないように走らなければと思いながら、馬の背コーナーを少し抑えて抜けた。ここでマシンが2回暴れている。

 SPコーナー、110Rコーナー、シケインとコーナーを抜ける度に心臓の音が聞こえる。登りを過ぎて、ダンロップブリッジを抜けて、チェッカー! ピットでは親父と姉が抱き合って喜んでいた。走り終えて、ピットレーンの所定の場所に戻ってくると父親が寄ってきて

「潤一、よく耐えたな」

「親父の言うとおり気温が予想以上に上がってきたからね。運が良かった。レインボーで4台こけていたけど、どうしたの?」

「例のゼブラで滑ったみたいだ」

「やっぱりね。抜きたくてインを刺したのか」

「運もレースだよ。まぁ、初レースで2位は上出来だよ」

「まぁね。今度は最初から勝負したいね」

「天候次第かな。まず表彰台行ってこい。未成年なんだからシャンパン飲むなよ」

「あれ、シャンパンじゃないだろ!」

「アルコールには違いない」

 

 潤一は、今年高校を卒業したばかりなので18才だ。優勝者は30才になろうというベテランの青木拓人。3位は、JーGP3のアイドルと言われている岡田遙香だった。潤一が14周目に馬の背コーナーで抜いたライダーだ。表彰台から降りる時に、岡田遙香から声をかけられた。

「初レースで2位おめでとう」

「ありがとうございます。運が良かったす」

「運を引き込むのもレースよ。でも、あの抜き方は危ないよ。あんな抜き方していると、タイヤを痛めるし、いつか大けがするわよ」

「そうすか? 自分のスタイルなんですけど・・・」

「まぁ、若いからね。もっとラインを大事にした方がいいよ。次はMOTEGIで会おうね」

「はぁ、・・・ありがとうございます」

 潤一は気のない返事をしたが、岡田遙香は昨年のMotoGP日本グランプリのMoto3クラスに招待されて走っている。その時は、ダントツのビリだったが、世界戦を経験しているのである。ある程度のリスペクトはしておかなければいけない。


 潤一ファミリーは、鈴鹿サーキット近くの自宅に戻ってきた。普段は、バイク修理や販売をしている。母親のさつきが出迎えてくれた。自宅は元々母親の実家だ。母親は看護師で今は近くの医院で働いている。若い時に救急病院に勤めていて、レースでけがをした父親の世話をして、父親から見初められたらしい。父親の剛士は婿に入るということで、結婚を認められたのだ。


 1週間後、潤一ファミリーにビッグニュースが舞い込んだ。このことが潤一の運命を大きく変えることになるとは、この時点ではだれも想像していなかった。

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