くそったれ王国

 ある日、家に帰るとパパが王様になっていた。


 ダイニングチェアにふんぞり返り、ランドセルを背負ったままのぼくを指差しながら、


「苦しゅうない、近う寄れ」


 と、王様というより殿様みたいな台詞を言い放つ。頭の上に、何か乗っている。

 あ、王冠だ。ビール瓶の。

 ひどく間抜けに見えて、思わず、


「何してんの?」


 と、冷たくしてしまう。

 その途端にパパは顔を真赤にして立ち上がり、


「王子、この無礼者! なんだ、その口の利き方は、国王に向かって。叩き斬ってしまうぞ」


 と、足元に転がっていたパタークラブを振りかざした。


 うわあ、パパがイカれちまった。


 いますぐ表に飛び出してヘルプミーを叫びたい気分を押さえつつ、ぼくはあっさりと暴力の前に屈する。片膝をつき、「ははあーっ」と言いながらひれ伏した。なんか、色々と混ざっている気がする。ランドセルの中身が、どさどさと床に落ちる。


「うむ、苦しゅうない、近う寄れ」


 それで気を良くしたパパは、再び殿様口調でぼくを近寄らせたがる。パタークラブが怖いから、近づきたくない。

 でも近づかなかったら近づかなかったで再び逆上しそうな気がして、ぼくは小股で3歩だけ、前に進む。


「シンゴ、パパはな……いや、ちんはな、この世の中に呆れ返ってしまったのだよ」


 無理やり一人称を言い換えながら、パパはここまでの経緯を説明した。


 どうやら最近話題の自己啓発書に影響を受けたらしい。見事に啓発されたってことだ。

 なんでも、世の中のほとんどの仕事は社会には何の役にも立たない『くそったれ仕事』で、それらを整理して現代のテクノロジーをフルに活用したと仮定すると、人間の労働時間は週に15時間ていどまで削減可能だというのだ。


「しかも色々と調べていくと、こうした『くそったれ仕事』を率先して生み出していっているのは政府だというじゃないか。やってられるか。こんな国、住んでいられるか。そういう訳で、パパは、いや朕は、日本国から独立し、国家を興すことにした。さしあたり、この家が我が国の領土だ」


「そんな勝手に、国って作れるもん?」


「日本国のルールは知らん。我が国のルールは我が国が作る。我が国は、すべての『くそったれ仕事』を拒絶する。よって、今日から朕は、1日3時間しか働かないことをここに宣言する」


 声たかだかに、サボりを明言するパパ。つまり、今日も早退してきたってことか。こんな時間から家にいるなんて、変だと思った。


「シンゴ、お前は我が国の第一王子としてだな、」


「学校は?」


「え?」


 パパの演説を、遮った。大丈夫、パタークラブはこっそりと回収済み。むしろ、こっちの手中。


「学校も1日3時間?」


 僕はパタークラブで素振りをしながら質問する。ゴルフのスウィングはよくわからないから、一本足打法。アニメのキャラが使ってたやつ。


「学校だって、無駄が多いと思うんだ。ねえ、1日3時間?」


「が、学校は、また、別だろう。たくさん学んだ先に、パパたちみたいな、立派な労働があるんだから」


 明らかに青ざめていくパパの顔。そりゃ、目の前でぶんぶんクラブぶん回されたらね。王様口調もなくなっている。


「でも、労働自体が減っていくんでしょ。AIとかに任せて。じゃ、人間がやることも減るはずじゃん。学ばなきゃいけないことだって減るはずじゃん」


 とぼくが論説をたれている間に、パパは隣室からドライバーを持ってきて剣道の構え。卑怯だ。そんな長いの、卑怯だ。


「さすがは王子、いずれは我が国を背負う者。そちが言う『くそったれ勉学』についても、一考の価値はあるやもしれぬ。じゃが、我が国にはまだ教育的資源が充分に整っておらん。しばしの間は敵国とはいえ、隣の日本国に留学してもらわなねばなるまい。スパイ活動も兼ねて、な。その間は日本の教育機関のルールに則って通学する必要があろう」


 屁理屈だ。しかしながらパターとドライバーの違いは大きい。体格差もあいまって、とても武力では太刀打ちできそうにない。クーデターは失敗か。


「家事はどうかしら」


 そのとき玄関からママの声が響いた。仕事を終えて帰ってきたらしい。


 なぜか出刃包丁を右手に構えている。包丁はいったん空中に放り投げられて、綺麗に弧を描きながら1回転して、再びママの手元に戻った。


「家事だって『くそったれ』ばかりよ。一度着た服は毎回洗って乾かさないといけない。食材は料理しないと食べられないものばかり。数日掃除機をかけなければ床はほこりまみれ。そもそも、共働きなのになぜわらわばかりが家事をせねばならぬのじゃ」


 どこから聞いていたのか、スムーズに王妃口調を使いこなすママ。つかつかとパパの間合いまで歩いていき、ドライバーを握る手を押さえながら、喉元に包丁を突きつけた。


「王妃として、国王陛下に具申いたしますわ。現代テクノロジーはビジネスよりもまず、家庭に向けられるべきである、と。よって、国家には何よりもまず、以下の設備投資が必要と愚考いたします。食洗機、高機能ウォーターオーブン、ドラム式洗濯乾燥機、ロボット掃除機、ロボット炊事機、ロボット洗濯物畳み機……」


「ま、待て、待つのじゃ、王妃。ロボット炊事機とロボット洗濯物畳み機は、まだ世の中に開発されておらんぞ」


「あら。でしたら開発を急ぎませんと。ロボットがないのならロボットを作ればよいではないですか」


 ママがぐいっ、と刃先を押し付ける。パパの無精髭に血が滲む。


「い、いや、開発って、誰が……ん、んんっ。王妃が言うことも最もだ、開発を急ごう。しかし我が国は独立したばかりで、まだ国庫が潤っておらん。まずは内政を整えてからだな……」


 危機一髪、国王の威厳を取り戻すパパ。でもその発言は悪手だと、小学生のぼくにもわかった。


「そうですか、国庫が。では、致し方ありませぬ。国庫が潤い、各種ロボットが開発されるその日まで、国民全員、一致団結して家事に取り組みましょう」


「え、いや、でも、それは……」


「国王陛下は食材の買い出しと毎朝の拭き掃除を。該当箇所はリビングだけではございませぬ。風呂場、便所、キッチンのシンクなど水回りも重要な任でございます。次に王子。あなたにはゴミ出しと洗濯物畳みを命じます。いずれは一国を背負う身。決して、手を抜かぬよう」


 なんてことだ。こっちにまでとばっちりが回ってきた。

 腹が立ったぼくはパタークラブで思いっきりパパのすねを打った。悶絶するパパ。


「それから、国庫が不十分なのであれば、我々王族も自ら出稼ぎに行かなければ。妾どもには国土を守る使命がございます。国王も、それについては重々承知でございましょう」


 パパは床の上を転がりながら、は、はい……と静かに答えた。


 こうして我が『くそったれ王国』は、国王も王妃も週5日勤務・毎日8時間労働、たまに残業あり、ぼくも今まで通り通学、家事は国民全員での完全分担制と国儀決定した。

 その他の法律は、日本国のものに準ずる。

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