君たちよ、幸せであれ

「遠い夜空の向こうまで連れてってよ。ねえ、ダン」


 神社の境内、思い出の樹の下、煙草のけむりを口笛みたく吹きながら、カンは言った。


 透けて見える過去。透けて見える未来。


 ダンの視界は、時空を超えて、跳ぶ。透視する。数多の過去が、今へ繋がる。数多の未来が、枝分かれした結果へ結びつく。それら全てを、視野に映すことができた。


 カンの言う、遠い夜空の向こうが、いったいどこの事なのか、ダンにはわからない。

 ダンは、今、悩んでいる。秘めてきた自身の恋心を伝えるべきか、伝えずにおくべきか、悩んでいる。


 疑念に答えを出すべく、透視する。

 過去を。未来を。

 ひとつずつ、丁寧に跳び、丁寧に吟味しながら、ダンは、自分の結論を選んでいく。






 跳ぶ。過去へ。






 ダンもカンも、まだ8歳。透視する超能力を、まだ人前で堂々と使えていた。近所のおばさんが井戸端で噂にしていても、大して気に留めなかった。


 ゲームを仇のように嫌う親がまだ山ほどいた時代。少年たちは、いつも公園に集まっていた。

 流行っていた遊び、宝探しごっこ。

 家から持ち寄った自称宝物を、公園のどこかに隠す。見つけたら、それをもらえる。そういう遊び。


 ダンは不正していた。超能力をフル活用し、友達が宝物を隠す過去を覗き見ていた。

 友達の宝物を、全部ひとりじめしていた。


 その不正に、何故カンが気づけたのかは、未だに謎。

 ただ単に、ダンの態度が気に食わなかっただけなのかもしれない。


 いきなり頬に平手打ちを喰らわし、「人間ってしょうもないな。なあ、ダン?」と吐き捨てた。


 当時から、格好いい女だった。

 と、同時に、よくわからない生き物だなとも思った。






 跳ぶ。未来へ。






「結婚しよう。俺と。死ぬまで笑って、一緒の墓に入ろう」


 プロポーズにダンが選んだ台詞。思い出の樹の下、決心、恋心を伝えた。

 唐突な告白に放心するカン。たばこの灰が、指先まで迫っている。赤く。


「は? あ? え? わっ」


 読めない状況を順に一字ずつ感情表現しながら、カンはたばこの火をもみ消す。

 マスクを付け直す。隠しきれないほど、頬が染まる。赤く。


「や、え? 付き合ってすらないやん、うちら」 


「遠い夜空の向こうまで、連れてったるから」


 当惑しつづけるカンに、ダンは告げる。お互い詩的すぎて、訳のわからないやりとり応酬。神社の境内で。踏み潰された吸い殻を拾い上げ、携帯灰皿に押し込む、カン。手が慌てている。


「えええ、いや、そんなつもりで言うたんちゃうし、や、ダンはなんか、小っちゃいときからの友達やし、だからそんな、恋愛とか、そんなんちゃうし、そんなん何かちょっと悲しい」


 言いながら、カンは目線を合わせない。照れている。

 ダンは知っている。カンには彼氏がいる。


「それに、うち、彼氏おるし」


 知っている。そいつがどんなやつなのかも、ダンは知っている。


「おれはカンのこと、ぜったい殴らんし」


 青あざだらけの体を、ぎゅっと、カンは自分で抱きしめる。外面だけいい彼氏。顔だけは、綺麗なまま。殴られずに済んでいる。


「ごめん、無理」


 報復を恐れて、カン、


「せめて、考えてや。時間かけて」


 追い打ち、ダン、


「あかん、考えたら」


 首を振る、カン、


「何が」


 わかっていて、ダン、


「考えたら、行ってまう。ダンのほうに」


 泣きながら、カン。






 跳ぶ。過去へ。






「誰も知らんとこに行きたいねん」

「嘘やろ」

「何が」

「ほんまは、ここに居りたいくせに」

「……」


 小学校高学年の、夏休み。プレ思春期の苦悩を味わいはじめた二人は、数時間のなんちゃって家出を敢行した。


 理由。

 ダンへの、いじめ。


 わずか数年でヒーローから怪物へ、扱いは転じた。壁も未来も透視する不思議な目は、クラスメイトからも担任教師からも気味悪がられた。


「ここに、りたない」


 カンの予測とは裏腹に、ダンの返答は強かった。

 体育倉庫、跳び箱の上。三角ずわりで顔を膝に。涙を太ももに。悲しみと一緒に、押し付けながら。


「ほな、いこ」


 カンは、友人を見捨てなかった。

 ダンは、顔をあげて、再び問答。


「どこに」

「知らんとこ」

「どこそれ」

「知らんとこ」

「自転車で行ける?」

「行ける」

「カン、自転車乗れる?」

「乗れへん」

「二人乗りで行ける?」

「行ける」

「知らんとこ?」

「知らんとこ」


 カンの根拠のない言い切りが力強くて、その日のうちに駆け出した。自転車、二人乗り。

 スピードは出なくて、てろてろ、てろてろ、ふらつきながら、二人は「知らんとこ」を目指した。


 夕立に降られて、神社に逃げ込む。

 神社の神木、樹齢なん百年、大木の下で、雨宿りした。


「ほんまは」


 ダンの本音、


「ほんまは、カンがればええ。カンがそばにってくれたら、それでええ」


 大木の下、三角ずわりで顔は前へ。目線は前へ。


「ほな、帰ろっか」


 カンは笑う。


「うん、帰ろ。雨、やんだらな」


 ダンも笑う。

 神社の神木、樹齢なん百年、思い出の樹。






 跳ぶ。未来へ。






「うちには、なんもないから」


 カンは笑う。


 ダンは笑えない。


 思い出の樹の下、告白できずに別れを告げたあの過去から、数年が経った。

 それ以来の再会。カンは、殴られていた彼氏と同棲している。今もまだ、殴られている。


 髪が伸びた。

 目つきが悪くなった。

 痩せた。

 病的な、までに。


 共通の友人からカンの様子がおかしいと聞かされ、ダンは訪れた。カンと彼氏の棲むアパート。ゴミだらけ。腐臭。

 彼氏の居ない隙を狙って、訪れた。


「体調、悪いん?」


 カンは震えている。ノースリーブ。打撲痕以外にも、小さな痣。注射針が、刺さった、跡。


「ぼちぼちやで」

「病院、行っとる?」

「病院……、内科でええんかな」


 にっ、と笑うカン。その笑顔だけ、昔のまま、明るくて。

 ダンの頬、しずくが伝う。変わり果てたカンを見ていられなくて、視界を涙で滲ませた。


 しばらく泣いて、しばらく絶望して、そのまま、さよならも言わずに部屋を去った。



 翌日、カンは腐臭の漂うユニットバス、ドアノブにねじったシーツを括り付けて。


 自分の首を。






 跳ぶ。過去へ。






「あんたら、いつも仲良しでいいよな」


 そう言われることの多くなった、中学時代。

 周囲全員、公認の仲の良さ。でもどこかにブルーが漂っていた、仲良し、という言葉。ダンは、それ以上に縮まらない距離を感じていた。


 恋なのかもしれない。


 ダンが自分の気持ちに気づいたのは、こんなにも前のことだった。思い出の樹の下で再開する、あの日よりもずっとずっと、前のことだった。


 小学生時代の必死な練習の成果あって、ダンは自分の能力を隠せるようになっていた。

 周りに溶け込むことができるようになっていた。

 視界には、未来と過去が溶け込んだまま。


 その日、ダンと、カンと、同級生2人は、プールに来ていた。男2人、女2人。


 サンダル履きのカン。綺麗なあしゆび、少し見惚れる。


 その足が、プールサイドを駆け出した。4人のうちの1人のもとへ。

 背の高い、サッカー部キャプテン。男からも女からも人気の。


 カンはサッカー部キャプテンの腹筋に指先で触れて、笑っている。

 少し頬が赤い。

 恋している、顔だ。

 ダンは勝手にそう悟って、傷ついた。


「ヤキモチ?」


 4人のうち、最後の1人、ショートボブの少女がダンの側へ寄って、意地悪く囁く。視線に、気づかれていた。


「そんなんちゃうし」


 ダンは、照れ隠しに、


「俺ら別に、そんなんちゃうし」


「そうなん? そんなら」


 ショートボブの少女は、ダンに、体をくっつける。


「ダンくん、わたしと、付き合ってや」


 意地悪く囁く。


「別に、ええよ」


 思考を停止して、ダンは言い放つ。

 視線はいまだ、カンと、もう一人の男へ。


 背の高い、サッカー部キャプテン。男からも女からも人気の。


 ダンは知っている。

 あの男は、後に、カンを殴るのだ。






 跳ぶ。未来へ。






 ダンとカンが籍を入れて、3年になる。

 暴れ狂う元カレをなんとか警察沙汰で抑え込み、追って来れない場所へ、二人で引っ越した。


 結婚式は、落ち着いた頃に。二人で決めた。

 落ち着いた頃なんて、来ないのはわかっていた、はずなのに。


 ダンはいま、車椅子を押している。カンが乗った車椅子を押している。

 公園に来ている。


「ええ天気や、なあ、カン」


 カンは答えない。無動無言。いつものこと。

 2年前、買い物帰り、脇見運転の軽自動車に跳ね飛ばされて、ブロック塀に頭を打ち付けてから、ずっと。いつものこと。


 外傷性くも膜下出血、脳挫傷。

 字面だけで痛々しくなる傷病名をつけられて、何ヶ月も入院した挙げ句、カンは身体も脳みそも感情すらも元通りに戻らなかった。


「寒なってきたな、戻ろうか、カン」


 独り言のように小さく呟いて、ダンは車椅子をターンさせる。

 カンは答えない。笑わない。ふざけない。怒らない。泣かない。笑わない。笑わない。笑わない。


 目線をあわせて問いかけると、うなずく。すべての問いに、うなずく。

 なにも、わかっていない。


 帰宅する。

 疲れた、とすら言えないカンの脇腹を抱きかかえて、ベッドに寝かせる。ズボンをずらし、おむつを取り替える。大便の臭いがした。慣れたものだった。


 ひと仕事終えて、ダンは一服。

 たばこに火をつけ、けむりを口笛みたく吹きながら、夕食のメニューを考える。

 カンが好きだった、銘柄のたばこ。介護生活のはじまりをきっかけに、吸い始めた。


 何が美味いのか、ダンは未だにわからずにいた。






 跳ぶ。現在へ。






 なんて素敵な話だろう。

 どんな過去にも二人の思い出が詰まり、どんな未来にも二人の絶望が溢れている。


 こんな世界の真ん中で、ふたりぼっちのダンとカン。

 数秒先、ダンは決断する。思いを告げるか、告げないか。どちらの絶望を選ぶか、を。


 明るい未来は待っていないと知りながら、それでも選ばなければいけない。


 いっそ、何も見えなければよかったのに。

 自分の目を憎む。


「遠い夜空の向こうまで、連れてってよ。ねえ、ダン」


 神社の境内、思い出の樹の下、煙草のけむりを口笛みたく吹きながら、カンは言った。

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