妻の料理
このところ、妻の様子がおかしい。
料理が美味すぎる。
元が下手だというわけではない。
ただ、手間をかけて美味いものを作るというよりは、残り物を効率よく使い切ることに執着するタイプだったはずだ。短時間で、手際よく。洗い物も少なく。
包丁の握り方もわからない俺からしてみると、それで充分にありがたかったし、子どものいない我が家では文句の声があがることもなかった。
そんな妻の腕前が、ここ最近めきめきと上がっている。
料理教室に通っただとか、レシピ本を買い漁っただとか、そういった様子は特に見られない。
思えば、あの日がきっかけになったのかもしれない。
先月の末、休日に二人でドライブに出かけた日のことだ。その帰りがけに空腹を感じ、ファストフード店に立ち寄った。幼い頃から通い慣れた看板。決まりきったお気に入りのバーガー。ポテト。ジュース。
普段と変わらない光景と手順だった。
が、ジャンキーな味を無感動にぱくつく俺の目の前で、妻が止まっていた。ひとくちだけ、スタンダードなハンバーガーを齧って、顔をしかめていた。首を左右交互にかしげ、ぶつぶつと呟いていた。
肉厚が足りないのかしら、肉汁感が不足しているわ、しかもこれクズ肉が混じっている、お肉もお野菜も質が悪い、喧嘩すらしないほどに風味が消えて、それにバンズも、パサパサしているだけで、具材と調和していない、ハンバーガーとして未完成だわ……。
急に専門家めいた評論を呟きはじめた妻を、俺は呆けた表情で見つめた。
その視線に気づいたのか、一呼吸おいて、妻は我に返った。取り繕うように、美味しいね、と作り笑いして、ハンバーガーを食べ始めた。
ほとんど咀嚼せずに飲み下しているように見えた。
あの日、妻は何かの才能に目覚めたのだろうか。
例えば、料理の黄金比率を舌で嗅ぎ分ける才能だとか。
そう疑いたくなるほどに、毎日の食卓が充実していった。
思わず「美味い!」と叫んでしまったのは、見た目には何の変哲もないミートソース・スパゲッティだった。
ひとくち食べたとたん、野菜の旨みが口内でとろけた。濃厚なデミソースとひき肉が芳醇な香りで喉元をかけめぐった。無駄なくパスタと絡まり、絶妙なアルデンテの歯ごたえを残響させた。
我を忘れて貪り食ったあと、俺は椅子の上で放心していた。
その顔を、妻がのぞきこんで、
美味しかったでしょ。
と悪戯な笑みを浮かべた。
以来、毎日毎日、泣くほど美味いものを食わせてくる。
ふんわり卵のオムライス
スープにこだわった豚骨ラーメン
濃厚とろとろマカロニグラタン
迫力ある肉厚のカツ丼
ネタもシャリも完璧な握り寿司
究極のスパイス比率を編み出したカレーライス
日を増すごとに、調理器具が増えた。
構うものか。
これほどの料理、どんなに金を積もうと、どんな一流のレストランだろうと、そうそう食べることはできまい。
しかも、これほどの仕上がりを見せながら、妻は料理に時間をかけない。仕事帰りに疲れた表情でちゃっちゃっちゃと作ってみせる。
野菜炒めや納豆ご飯の感覚で、はいできたよーと絶品料理をさりげなく食卓に並べる。
チーズとアボカドのゴッサムシティサラダ
ねぎと焼豚のラビリンス風ホイル包み
冥界ツナのじゃがバター殺し
いわしのバブルクンド風ラジオペンチ
ズッキーニのエキゾチック・スパイ・キッズ
アスパラガスとなすの幼稚園バス
世界・異世界・各国・津々浦々の珍味を堪能できる家は、我が家くらいのものだろう。
他人に誇れる自慢のひとつになっている。
さて、明日は俺の誕生日だ。
妻は、いったい何を作ってくれるのだろうか。
今から楽しみでたまらない。
まれりー湾岸風どれりあんぐっさ、だろうか。
あんて・らいあ・せいまりある丼、だろうか。
ごるふぃんらってシチュー風したらもにか、も捨て置けない。
えんえん草のたるかめっかな炒め、で意表をついてくるかもしれない。
今から、楽しみで、たまらない。
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