目の季節と耳の季節

 寒い冬。

 両手を擦り合わせながら大学の仰々しい外壁に沿って歩き、保育園の前に差し掛かった。正門の奥に、クリスマスツリーが飾られている。夜の闇をポップな明かりが照らしている。


 そのツリーから、蝉の声が聞こえた。


 両耳をひきちぎるような寒さに、けたたましいアブラゼミの鳴き声が乗って、冷温覚的にも聴覚的にも不快だった。なぜ12月に蝉がいるのだろう。


 私は湧き上がってくる好奇を押さえられず、周囲の目を気にしながら正門を乗り越えた。今のご時世、通報されたら一発アウトだぞ。などと自分に言い聞かせながら、そそくさとクリスマスツリーに忍び寄る。


 本物のモミの木ではない。安物の人工物だった。葉をどかす時に感じる、じょりじょりとした指ざわり。ボール状の電球が不規則に取り付けられ、五色の可愛らしい明かりが揺れるように点滅していた。子どもが引っ張ったのか、ひとつだけ頭を垂れるようにぶらさがって、無骨な電球をむき出しにしていた。


 蝉はいなかった。しかし気のせいだと自分を納得させることもできなかった。ツリーに近づくほどに蝉の声は強まり、遠ざかるほどに弱まったからだ。


 いるはず、なのだ。


 私は玄関から人が出てくる気配がないのを横目で確認しつつ、念入りにツリーの内部を捜索しはじめた。飾り付けの裏側を見つめ、てっぺんの星付近を跳び上がって窺った。

 そうこうしているうちに雪が降ってきた。まん丸のぼたん雪だった。寒いはずだ。今晩は特に冷える。


 雪に打たれてか、蝉の声も止んだ。かわりに、保育園の外からカエルの合唱が夜を震わせた。一定のリズムで、高く、低く、つぶれた音階が繰り返される。


 私は往路と同じくらい慎重に正門を乗り越えると、保育園近辺に田んぼがないか、捜索した。幾つか、見つかった。が、そのどれも干上がっており、ひび割れた土に雪が侵食しはじめている。カエルの姿はどこにもない。


 雪が勢いを増してきた。枯れた木の枝にまとわりつき、白い花を咲かせていくようだった。私はコートの襟を立てて、迫りくる寒さへわずかな抵抗を企てた。


 そのとき、気づいた。雪と混じって冬の風に、祭太鼓の音が聞こえてくる。出囃子の音が聞こえてくる。


 音に誘われるように路地を曲がり曲がり行くと、小さな公園が夏祭りの音で賑わっていた。盆踊り。子どもが走り回りながらはしゃぐ声。大きな世辞で客引きする出店の親爺。それらの音が重なり合って、冬の夜、誰もいない公園を溌剌はつらつとさせていた。


 雪はさらに勢いを増して、吹雪と呼べる状態になった。視界が白く染まっていく。この地域でこれほど降るのは、年に一度、あるかないか。


 歓声があがる。

 花火が打ち上がる音。散る音。


 視界は、真っ白で、何も見えない。

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