植物になったサトウくん。
待ち合わせ時間の5分前、サトウくんは植物になってしまった。
その日、わたしは彼に告白するつもりだったのに。勇気、出したのに。ひどい。
「ナガオさん、ヤバい、大変、サトウくんが植物になっちゃった! 光合成してる!」
そんなふうに慌ててわたしに教えてくれたのは生物部のヤマドリさんだった。
サトウくんに伝える言葉を頭の中で何度もリハーサルしていたわたしは突然のファンタジー発言に反応できず、ヤマドリさん何言ってんだろ勉強しすぎてヘンになっちゃったのかな確か学年何位かに入ってたよねこの間の実力テストその脳みそちょっとわたくしにもおすそ分けくださらない、なんてぽぉーっとしてた。
そしたら、腕をぐいっと引っ張って連れて行かれた。
サトウくんは中庭にいた。生物部の部室の真ん前だった。
両腕をグリコみたいなポーズに広げて手のひらは上向き。ついでに目線も斜め上、お空の1点を熱心に見つめている。
「え、何これ。サトウくん、何してんの?」
「だから、植物になっちゃったのよ!」
ヤマドリさんは赤ぶちのメガネを、きらんっと輝かせる。
「え、何それ。なんで植物なの?」
「だってほら。根っこが張ってるわ。ほらほら」
ほらほら、と彼女が指差す先を見ると、なるほどたしかに。スニーカーの裏から白いモジャモジャが生え出て地面に潜り込んでいる。
そのモジャモジャだけを引っ張りだそうと指で摘んでみたけれど、しっかりと地中で絡まっていてビクともしない。ヤバい、本気で根っこだ、これ。
胸のあたりをばんばん叩いたり、背中からどんってタックルかましたり、いっそ身体ごと引っこ抜いて連れて行こうとしたけど、サトウくんは全く動く気配がない。
てか皮膚も制服もガサガサしてて、かったい。手のひらジンジンする。
「それにさ、それにさ。ほら、見て見て」
ヤマドリさんは興奮した表情でブレザーのポケットからマッチを取り出した。
何それ。
生物部って、いつもマッチ持ち歩いてんの?
なんて疑問をわたしが浮かべている間に、ヤマドリさんはマッチを擦って火をつけ、それをサトウくんにそっと近づけた。
途端、まんまるな小っこい火の玉が、もわっと10円玉くらいに巨大化する。
「ほら、光合成」
ヤマドリさんは自慢げだ。
「え?」
わたしは意味不明だ。
「酸素出てるの。だから近づくと火がおっきくなるんだよ。中学でやらなかった?」
やったかも。
けど試験用に詰め込んだ知識は解答用紙に書き込んだらすぐにデリートしてしまうマイメモリー。正確に思い出すことはできない。
「あとね、あとね、見てて」
ヤマドリさんは、更に続ける。手早く部室から椅子を運んできてサトウくんの隣に並べると、その上に乗っかった。小柄なヤマドリさんの背がサトウくんを頭半個ぶんくらい追い越す。
サトウくんの身長はいくつだっけ。
175? 180?
分かんないけど背の順は後ろのほうだった気がする。
なんて気をそらしてるのを見抜いてか、ヤマドリさんがわたしにおいでおいでと手招きする。
マジか。
ヤマドリさんを突き落としてしまわないよう、慎重に狭い椅子の上に乗っかる。
それを見守ってから彼女は、サトウくんの手のひらにウーロン茶みたいな液体をたらした。
その液体は皮膚の上を滑って手のひらの真ん中に集まると、黒みたいな紫みたいな焦げ茶みたいな色に染まっていく。
「え、何これ。キモっ」
「でんぷん」
「でんぷん?」
「うん、でんぷん。光合成したときにできるエネルギーのかたまり。ヨウ素液たらしたら、色変わんの」
ヨウ素液。なつかしい響きだけどやっぱりちゃんと覚えていない。
けど知らないばかりじゃ悔しいから、あーそうかそうかそうだったねーと知ったかぶりでごまかしておく。
てか、生物部って、いつもヨウ素液持ち歩いてんの?
まあそんなわけで、サトウくんは植物になってしまった。
わたしとの待ち合わせ時間の5分前に。
サトウくんのお世話担当係を決めるのはちょっとした騒動になった。
性質的には植物だけど見た目は10代高校生男子のままだったから、ヤマドリさん以外の女子はみんな身体に触れるのを恥じらったし、男子はサトウくんの上に登ってふざけたりアノ部分の成り行きを観察したりで忙しかった。
でもお世話の内容は実は思ったより簡単で、ホースからひっぱってきた冷たい水で学生服のズボンをビシャビシャにすることと、やたらと早く伸びる髪の毛をセンスのままに切り揃えることくらいだった。
なので一応クラス全員で当番制を作ってはみたものの、結局ほとんど毎日、わたしとヤマドリさんだけでお世話をすることになった。
水をあげるとサトウくんはちょっぴり笑う。けど、目はお空を眺めたまま。
髪型がお気に召さないとサトウくんはちょっぴり泣く。けど、手のひらはお空を仰いだまま。
「なんで植物になっちゃったの?」なんて聞いてみたこともあったけど、当然のように返事はしてくれなかった。
何日か経った頃、どこから聞きつけたのかマスコミが取材に来たこともあった。
けど、いくらカメラを回したところで、女の子ふたりが突っ立ってる男子高校生にホースで水かけたり髪の毛を雑に切り刻んだり、といったイジメみたいな映像しか撮れなくて、コンプライアンスがどうのこうの言われて結局お蔵入りになってしまった。
そんなこんなで植物と化したサトウくんのお世話にもすっかり慣れていったある日のこと。
事件は起きた。
クレーマーおばさん、到来。
そのおばさんはショッキングピンクのパーカーに灰色のロゴ入りスウェットパンツに馬鹿でかいサングラスという到底まともな会話なんてできそうもないTPOガン無視の格好で乗り込んできて、ヒステリックな金切り声をはり上げながらサルみたいにわめいた。
「どういうことなんですか、この学校では女性蔑視がまかり通ってるんですか、年頃の女の子に同い年の男の子の世話をさせてるって聞きましたけどどういうことなんですか、あんなことやこんなこともさせてるって聞きましたけどどういうことなんですか、うちの可愛い子の純潔が損なわれたら、貞操を奪われたりしたら、何か間違いでもあったらどうするんですか!」
当番は男女平等に振り分けてるし、あんなことやこんなことなんてしてないし、サトウくんは自分の意志で1ミリも動くことができないから間違いなんて起こりようがないし、多分きっと絶対間違いなくあんたんとこの子は可愛くない。
と、職員室のドアに耳をくっつけて盗み聞きしながらわたしは断定した。けど、責められっぱなしの先生たちからはタジタジした弱々しい声しか聞こえない。
なんて理不尽で妄想爆発してて空気読めないおばさんなんだ。
きっとナカムラさんかコイデさんかアソウさんあたりの親に違いない。あ、フカダさんのとこもあやしい。ウスタさんだってありえる。
なんて決めつけしてたけど、ぜんぜん違った。
クレーマーおばさんは、ヤマドリさんのお母さんだった。
「だって」
わたしに問い詰められて、ヤマドリさんは赤ぶち眼鏡へ届かんばかりに唇をとんがらせる。
「だって植物になったらナガオさんも興味なくなると思ったし、そしたらサトウくん失恋でフリーになるからもうあたしのものだと思ったのにさ。植物の彼氏とかカッコいいじゃん。でもぜんぜん、ナガオさん興味シンシンでお世話しだすし。悔しいから、あたしのものにならないんなら、誰のものじゃなくなってもいいやって」
まさかの嫉妬。想定外。
なんか申し訳ない気持ちとむかつく気持ちがグチャグチャでよく分かんなくなった。
なので、ビンタ一発でゆるしてあげた。
その後、保護者会を通じてクレームは本格的に学校への対応依頼として通達された。
ヒヨった教師達の結論は「公序良俗の観点からこれ以上学校敷地内での生育を継続するのは好ましくなく従って植物化した生徒は今後御両親の保護及び監視の下で……」とかなんとか難しい言葉でカムフラージュされていたけど、要はサトウくんを地面から引っこ抜いてしまうということだった。
卑怯。
責任放棄。
無神経。
事なかれ主義。
童貞。
許せない、大人ども。
当然、わたしは猛反発した。
あれは植物なんだと説明してまわった。抜いてしまったら根っこから養分が吸えなくなって光合成ができなくなって死んでしまう。
サトウくんの髪の毛は葉っぱだし、サトウくんの涙は樹液だし、サトウくんの制服は樹皮なんだと実物を見せつけた。
毎朝早起きして校門近くで署名活動した。寝不足な上にノーメイクだから顔面ひどいことになってたけどそんなの構ってられなかった。
サトウくんは、いつか帰ってくる。
植物になったせいで中断しっぱなしの約束の時間は、必ず来る。
5分後の待ち合わせは、きっと叶う。
その望みが捨てられなかった。
そして署名活動5日目の、朝。
ろくに実りのない叫びにのどをカラカラにして、今日もダメだったよサトウくん、と定例報告のために中庭へ立ち寄ったとき。
いつもの定位置に、サトウくんの姿がなかった。
代わりに数人の先生が、おっさん臭く汗を拭いながら向かい合って「ようやく抜けましたねえ」とお互いを褒めあっている。
そしてそのすぐとなりで、サトウくんがぐったりと横たわっていた。
スニーカーの裏のモジャモジャした根っこがずたずたに千切られている。
植物だから血なんて出てないけど、不揃いなモジャモジャの真っ白な断面がとってもとっても痛々しい。
ついに、引っこ抜いたんだ。
根を張る地面を失ったサトウくんは、水も吸えず光合成もできなくなったせいか凄く苦しそうな表情をしていた。
わたしは身体中のかなしみと怒りと苦痛と絶望とショックを込めて、渾身の悲鳴をあげた。
先生たちに猛ダッシュで接近して、空欄だらけの署名用紙をひとりひとりの顔面に命中させていく。
奇声を発しながらの襲撃に心底おどろいたのか、それともサトウくんを引っこ抜く行為にそれなりのやましさがあったのか、卑怯な大人どもは大した抵抗も見せず一目散に逃げていった。
先生たちの居なくなった中庭にかがみ込むと、わたしはサトウくんの頭を自分の膝の上にかかえてみた。
人生初、膝まくら。
の、感触を味わっている暇なんてやっぱりなくて。
サトウくんは、わたしの膝の上で、どんどんどんどん枯れていった。
皮膚からはみずみずしさが失われ、お爺さんみたいなカサカサポロポロした細い腕になっていく。
髪の毛がぱらぱらと抜け落ちて、歯は奥の方から順番に唇を転げ落ちてくる。
植物ってこんなに早く枯れるものなの?
それとも元が人間だから?
ある日突然植物になったニセ植物だから?
もっと、せめて生物だけでも、勉強しておけばよかった。わたしには知識が無さすぎた。ヤマドリさんの助けが欲しかった。
けど、あの子はもう、頼れない。
わたしが、何とかしないと。
乙女らしく気合いを入れたわたしは、サトウくんの長身を勢いよく肩に担いだ。
教科書の入ってない通学カバンよりも、ずっと軽かった。
枯れて、中身もからからになってきたみたい。
そのまま、生物部の部室へと走った。
部室のど真ん中にはリクガメの巨大な水槽が陣取っていた。
わたしは水槽のヌシをしっしっと追い払うと、そこにホースからひっぱってきた綺麗な水道水を溜めた。
水深15センチくらいのプールができたところに、サトウくんの根っこ部分をカイワレ大根みたく浸してみる。
スニーカーのつま先がほんの少しだけ、ふやけた。腕も首もまったく潤うことはなく、1秒ごとに干からびていくのがわかった。
何の意味もなかった。
わたしは無駄なあがきをやめて、サトウくんを水槽から引き抜いた。
次の作戦がまったく思いつかず、いったん膝まくらの姿勢に戻る。
どうしよう。本当どうしよう。このままじゃサトウくんが枯れ果てて死んじゃう。白髪まみれのお爺さんみたいになって死んじゃう。カラカラに乾いて死んじゃう。やだ。やだ。そんなの絶対やだ。死んじゃやだ。死んじゃやだ。死んじゃやだ。死んじゃやだ。死んじゃやだよ、サトウくん。
と、サトウくんを見下ろした、その時。
目が、あった。
ずっとお空を見つめていたサトウくんの目が、今は、わたしを見つめていた。
サトウくんの口が開いたり閉じたりしている。何か言おうとしている。
けどもう何ヶ月も声を出してないせいか、植物だった彼の唇からは、かすれたひゅーひゅーという音しか聞こえてこない。
わたしはサトウくんの頭をそっと床におろすと、水槽に引っ掛けたままにしていたホースをひっぱってきた。彼の口元に、冷たい水道水を噴射する。
寝転んだままのサトウくんはノドを何回かごくごく動かして、そのあと大きくムセこんだ。
「だ、だだ、大丈夫、サトウくん!?」
慌ててどもりまくるわたしの質問は無視されて、でもサトウくんは、わたしが心の底から待ち望んだひとことを口にする。
「お、遅くな……って、ごめん、ね」
サトウくんの声だった。
風に揺れる葉っぱみたいにカサカサしているけど、間違いなくサトウくんの声だった。
ほんとだよ。たくさんたくさんたくさんたくさん、ずうっと、待ってたよ。
「今まで、ありがと、ね。お水、とか、散髪、とか」
ほんとだよ。お陰で進路が美容関係に決まりそうだよ。ヘアスタイルはもうとっくにネタ切れだよ。
「聞かせてよ、君の、話」サトウくんは、振り絞るように言う。「……もう、あんま、時間ないかも、だから」
時間。
その意味がわかった途端、涙がこぼれた。
サトウくんは笑っている。
なんで。
なんで笑うのよ。
ちょっとだけ、むかついて。
あと、涙が止まらないのもあって。
あの時なんて返事するつもりだったのか、あんなに頭の中でリハーサルしたのに、すぐに思い出せない。
「あと5分だと思ってたのに、随分待たせてくれたわね」
違う、これじゃない。
もう一度、泣きじゃくりながら、必死で思い出す。
「大好きです、サトウくん」
これだ。
そして。
さようなら、サトウくん。
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