第2話

 二日徹夜の激務をやっとの事で終わらせ、草臥れた身体を引きずるように動かし、ボロボロの体で帰宅出来た早朝。

 1LDKの我が城への鍵を回し扉を開く。


 嗅ぎ慣れた自分の部屋に漂っているのは癒しのラベンダーの香り。

 忙しい仕事漬けの日々に疲れきっていた私は、仕事以外にも何か夢中になれるものを欲して、短絡的ではあるが癒しがある趣味を持とうと考えた。


 決意してすぐに多岐に渡っているアロマ系と称する物たちに手当たり次第手を出してみた。

 アロマキャンドル、アロマディフューザー、アロマセラピー等々。

 一度凝り始めると一直線な性分なので精油すら手作りしてみたりもした。

 とってもめんどくさかった。


 今はアロマオイルで作れるハンドクリームやボディクリーム作りに凝っている。

 しっとり、さっぱり、サラサラとしたりコッテリとしたり。

 色んな質感を試して気に入った物をリピートする。

 そうやって凝りに凝って作った物たちは、自分で使用するのは勿論、妹や母に送り付けていた。


 その中でも一番癒し効果が高く感じたラベンダーの香りは私のお気に入りだ。

 ハンドクリームもボディクリームも、私のものは全てラベンダーの精油を使用している。

 どれだけ癒しを欲しているのか自分の事なのに分からないが、とにかく癒されたい欲求が常にある。


 今日も疲れきった身体で足を引きずるように進めながら帰る道の間にも、次のアロマの使い道を考えていた。

 色々試してみたけど、そろそろトリートメントにも混ぜて使おうかと考えていた。

 元々、あまりしっとりしたのが好きではないので、精油の配分はどれくらいがベストか考えているところで……


 スンっと空気中の匂いを嗅いだ。


 ここは確かラベンダーに異様に執着している私の部屋、な筈で。

 だから、この香りがするって事は、間違いなく私の部屋、の筈で。


 けれども、視覚から入る情報が理解不能過ぎて脳が拒否信号を送ってくる。

 とうとう幻覚まで見るようになった? 幽霊とか妖怪とかオカルトな類は一切興味がなかっただろう、夢なら目を覚ませと一度扉を無言で閉めた。


「……今のはナニ?」


 冷静になれと深呼吸をひとつふたつして、部屋番号を確認。

 周囲の景色も一応確認。

 そもそも違うマンションに居るとかいう落ちではないだろうね?


「301……の、角部屋。間違いなく私の部屋だよ、ね?」

 ぶつぶつと独り言を口にしながら思わず首を捻る。


(オーケー、私はまだイカレてない。イカレてない。)


 心の中でおまじないのように繰り返す。

 段々と冷静になってきたような、ないような。曖昧な気持ちではあるが。


「よし。」

 もう一度深呼吸をすると、扉を開く。


 そこには、

 先ほど見た景色が無常にも広がっていた。



 真っ白な丸くフワフワした白い何か。

 それが玄関から室内側に向かってびっしりと存在している。

 タンポポの綿毛のような見た目ではあるが、綿毛よりも大きい。

 それが部屋いっぱいに所狭しとフワフワと漂っていた。


「な、何これ……気持ちわる……。」


 思わず漏れた声に反応したかのようにフワフワ浮かんでいた綿毛もどきがピタリと一時停止した。

 それは見ていた映像を一時停止したかのように、空中で浮いたまま止まっている。


「え!?」


 重力に従って落ちる訳でもなく、フワフワと浮いてる訳でもなく、まるでその場に留め置かれたように止まっている。


 ズザザザザザザ!


 突然、ぞわぞわと何かが床を這いずりまわっているような音がしたと思ったら、空中に大量にいた綿毛もどきたちが一点に吸い込まれるように集まっていく。


 声すら出せずただ凝視するしか出来ないまま見つめていると、あれだけ大量に浮かんでいた綿毛もどきたちが消えていた。


 ポンッ!


 ワインのコルクを開けた時のような音がしたと思ったら、私の目の前には先程の白い綿毛の大きいバージョンになった白い綿毛もどき。


 大きいといっても、私の拳ひとつ分くらいの大きさなので、全然怖くない。



『いやいや、すみませんねぇ』


 何処かから声がした。


「えっ、誰!?」


 綿毛もどきの背後から話しかけられた気がして、そちらを見る。


 しかし、私の部屋というだけで誰もいない。


『あー、こっちこっち、貴女の目の前にいて浮いてるのが話しかけてますんで。』


「はい?」


 目の前で浮いてるといえば、この綿毛モドキしかいないんだけど……。


『そーです、そのワタゲモドキ? って何なのか分からないですけど、浮いてるのは自分しかいないんで、それが貴女に話しかけてます。』


「な!? 口に出してないのに何で考えてた事がわかるの!?」

 心を読まれる事に怖くなって思わず思いついた事そのままを口にしてしまう。


『あー、うーん、精神に作用する魔法……っていう、説明難しいんですけど、端的に言うと貴女の脳に直接話しかけてる感じですか。なので貴女の思考もそのままこちらに駄々洩れという感じでして。』


「……」

 何それ超怖いんですけど!

 魔法とか何ソレ。

 もしかして激務で私の脳がぶっ壊れて今可笑しな幻聴を聴かされてるのだろうか。


『そう考えてしまう気持ちも分からないんでもないんですけどね。何故私がここに居るのかを説明したいとこですが、それも長くなるので端的に言いますと、貴女が選ばれてどこかの世界に転生しますので宜しくお願いします。っていう感じでしてね。』


「はぁ!?」

 本気で自分の脳が心配になってきた。


 よし少し冷静になろう。


 目の前で浮かぶ毛玉を避けて私は無言で靴を脱ぎ室内に入る。

 綿毛もどきなのか毛玉なのか謎だが、そいつは無言で淡々と仕事着を脱ぎ部屋着に着替える私の周囲をくるくると周りながら話しかけてくる。

 こいつの言うように、話が長い。

 冷蔵庫の前に移動して中から冷たい水のペットボトルを取り出してコップに注ぐ。

 ごくごくと水を飲み干して、やっとひとごこちついた。


 ……しかし、この綿毛もどきは消えていない。


 頬を抓る。

 痛い……。

 やっぱりこいつの存在は現実かもしれない。


『―――っていう訳でして、最強種の存在がずっと不在な世界はそのバランスが崩壊しつつあって、現状だいぶおかしな事になってましてね? 食物連鎖って知ってると思うんですけど、ピラミッド型の。わかります? 古代エジプトのですよ、曲がりなりにも地球人なら分かりますよね?』


 その物言いにますますイラッとするも無言で頷く。


『学が無い方に説明するのは大変なので、それなりの知力があるのは助かりますです。話は戻りますが、そのピラミッド型の綺麗な三角形をしていた筈の世界の現在は頂点が不在。今で五百年程不在ですかねぇ……。いやぁ短いようで長いわけで。

 その五百年の間に中間層が劇的に増えてしまいましてね、いま世界は歪な台形のようとでもいいますか、そんな風になってる訳です。』


 ふーん。台形でもいいんじゃないの。

 またいつか三角形になるでしょうよ。中間層から突出した生物が出れば。


『その予測はハズレです。そんなに簡単にいってれば私が此処に、貴女の前に出現すること等なかったでしょう。物事がそう単純に回れば苦労なんてしないってもんですよ。いかに突出した存在が出てたとしても、所詮は中間層は中間層ですから。世界の均衡という前提が崩れるんですね。最強種は最強種の中からしか生まれない訳です。』


 またもや思考を読まれて綿毛モドキがぺらぺらと語る。

 この綿毛モドキは私のイライラスイッチを押すのが本当に上手である。

 そのフワフワした綿毛を毟りとってやろうか。


 私の頭の中は物騒になっているというのに、読めてる筈の思考はスルーしている。

 何も訊いてないかのようにいまだにぺらぺらと語り続けていた。


『そこで選ばれたのが、歴代最強の最強種に匹敵する魂の力を持つ貴女様という訳でして! いやー、これは大変喜ばしい事ですよ。誰も貴女に逆らう事も出来ない世界に生まれ直せるわけですからね! 人生の超勝ち組おめでとうございます!』


 はい?


 何いってるの、この綿毛モドキ。



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