episode5 旅の途中で〜 自分の来し方を顧みて〜
私は、学術的に何か言える立場では全く無いので、飽くまでも「私自身の事について書く」というスタンスは、こちらの章でも変わりません。発達障害の方々は、人によって特性が違いますし、抱えている困難も様々です。大前提として、ご本人に聞いてみなければ、実際の所は、わからないものだと思うのです。
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私について書くと、これまでの章で書いて来なかった特性として「共感力」があります。自分について、共感力がある方かな?とは思います。私の場合は、幼少期から人間だけではなく、物、虫、動物、建物などが感情を持っているように感じることがあります。勝手に会話が成立するような気持ちさえします。知り合いに、お肉お魚を一切食べられない人がいますが、彼は「かわいそう」「気持ち悪い」と言います。
全ての物に感じるわけではなく、特に思い入れの強いもの。例えば、新旧の建物。お世話になった学校。良く使った図書館。新しく借りた部屋、遊具。車(車をの買い替え時は泣きました)等など。
新しい文房具を買うと、捨ててしまう古い文房具が怒ってるような気がしてしまい、使う前に、新旧くっつけて「よろしくね」と言ってから、新しいのを使い始めるという自分だけの儀式がありました。消しゴムのお別れ会は何度もやりました。今も、例えばスニーカーを新調した場合は、一応、古いものとくっつけてから履くことにはしています。
皆さんも感じているかもしれないので、誰とも共有したことがなかった為、自分との違いが良くわからない事ではあります。
これらの特性とそれぞれが感じている生き辛さが、人によって、これまた千差万別で、それらが定型発達の方には、解りにくいのだと思います。自分は自分で、他の人と話さないため、何が違っているのか、わからないままだったりします。
発達障害の特性を持ちながら、診断が出ていない方にとっては、自分ですら半信半疑なまま、誰からも理解されずに、批判だけされる現状なのかな、と思います。
発達障害と一口に言っても、特性は色々です。「あれができるから、この人はYES」「あれができないから、この人はNO」と、一つの側面だけを外側から見て判断し差別するやり方は、とても悲しいです。
やはり、人によって違うのだから、その人に聞かなければ、わからないと思います。私だけではなく、様々な方の事例をピックアップして、どういうことが言えるのか?そして、そのデータをこれからの未来にどのように活かして行くのか、を考えた方が良いのでは?と思ったりします。既に、されている方もおられるかもしれません。
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私の場合、辛い事があると、ストレス請負担当の自分の性格が、とりあえず受け止めてから、脳内でどうにか無理なく正当化しようと、頭が高速回転をし始めます。なぜか口が物凄く渇くのが不思議な所です。一人でぐるぐる考えているのにも限界があるので、音楽を聴いたり、本を読んだりして、どうにかして、無理なく前向きになろうとします。
本当は、「無理なく前向きになろうとする」事自体が、既にだいぶ無理はしているのですが、明日、「刀で切られに赴く」ためには、一晩でこのように足掻いてみるしか手立てはありませんでした。それが続いて、一時的ではありますが、不眠・抑うつ状態となったため、極限状態になっても尚、これをするのはオススメできません。ただ、心がある程度元気な状態なら、やってみても良いとは思います。くどいようですが、無理は禁物です。心の奥底で「あ、これ以上無理だ」となっているなら、早期に医療と繋がることをオススメします。
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こんな私が先日水族館に行ってきました。水族館で考えた事をつらつらと書いてみます。大した話ではなくて恐縮なのですが、しばしお付き合いください。Tweetしたものとほぼ同じように載せてみます。
”フードコートが物凄い混みようで「行列の最後尾はここかな?」と思い、ベビーカーを押したパパに聞いてみると、ぶっきら棒に「そうだ」と答えてくれました。彼は幼い娘に話すときは、とても優しい笑顔で話すのです。ああ、これでいいんだと、とても嬉しく思いました。”
”様々な水槽が置かれた通路を順路通りに進んで行きました。群衆の中で子供たちと、はぐれないよう進みました。ふと、見物人も疎らな地味な魚の水槽が。私はとても心が休まるのを感じました。彼は寂しいでしょうか?いいえ。「あっちは大変だな」と聞こえたような気がしました。”
”私は大好きなクラゲのコーナーに来ました。何でクラゲが好きなのか考えてみました。ふよふよと漂う透明な生き物。単純に見える形。ああ、きっと「何も考えていないように見えるところ」が好きなのです。”
”水槽には様々な種類のたくさんの魚たち。彼らは喧嘩をしない種類だから、ここに入れられているのだろうと。でも、彼らが本当に喧嘩をしていないかなんて、人間にはわからないのです。本当に仲良しなのかな?そんなことを考えていました。”
”恒例行事。長女の「新しいぬいぐるみが欲しくて拗ねる」事象。彼女は長く引き摺るのです。まさに子供の頃の私と同じ(笑)自分の我を通そうとすると、他人との間に摩擦が生じます。私はこの摩擦と葛藤する自分を感じて、ちょっと考えて欲しいのです。ドケチだからではありません(言い訳?)”
”魚もいろいろ。水槽に近づくと、そそくさと逃げてしまうもの。「見て見て〜」と言わんばかりに、目前で静止し、笑っているように見えるもの。ただただ自由に優雅に泳ぐもの。岩陰の下で、ただただじっとしているもの。砂の中に隠れているもの。
どれも可愛くて、どれも愛しいです”
”これだけたくさんの人が、同じ場所にやってくる。コロナ禍。様々な事を考えました。以前の何も考えていなかった世界と。以後の常識が変容した世界。でも、水族館にやっぱり人は集まるのです。”
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著名な方だから、とか、昔の人だから、若いから、老いているから、という感覚が、私の中で、頭ではわかっているものの、心ではすっかり抜け落ちている所も特性なのかもしれません。心のままに、Twitterで好き勝手言ってしまい、頭で考えて、後から震えが来ることがしばしばあります。
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脳内の話をして、誰か1人にでも褒められる事があるとは、これまで思って来ませんでした。
小学1年生になって「この問題がわかるひと?」と先生が呼び掛けた時、毎回全力で張り切って手を上げておりました。そのうちに、だんだんと、クラス中に辟易されているのを感じて来ました。空気を読むのは、私にとって本当に難しい事でした。
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私は書店が好きです。やっぱり本は、紙媒体で読みたい気がします。多くの場合、子供たち2人と行くので、ゆっくりは見られませんが。購入しなかったとしても、あの雰囲気が好きなのです。多くの人がいるよりも、さらに多くのお喋り達が、口を噤んで押し黙っている感じがして。
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倉庫でアパレル商品の梱包をしていた頃に、Mr.Childrenさんの「彩り」という曲をよく聞いていました。「僕のした単純作業がこの世界を回り回って、まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく」「そんな些細な生き甲斐が日常に彩りを加える」こんな歌詞が私の気持ちを楽にしてくれました。
医療と繋がる前の私は、辛い仕事もたくさんありましたが、幸福を感じにくいのは、ダメな自分だから仕方がないと思っていました。でも、パートの女性達と仲良くなって、息子さんの自慢話を聞いたりして。お茶休憩が少なくて、夏場の倉庫内は汗だくでしたけど、今思えば良い思い出です。
これは苦労話ではありません。その倉庫内で、今この時も働いて汗を流して居る方々がいらっしゃいます。世の中の人皆、そんな彩りに支えられているんです。
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様々なお話を読んだり、写真を見たり、音楽を聞いたり、子供たちと遊んだりしながら、ぐるぐる考えて。凹んでも、そこそこの凹みなら、かなり悩んで、考えが変わり元気になります。子供の頃は、良く考えがコロコロ変わると、怒られていました。
しかしながら、無理が積もり積もると、体調に出ます。
私の場合、特性からか、後先考えずに、猪突猛進で突っ走ってしまうので、失敗やら後悔やら絶え間なくします。計画性が無いと言いますか。でも、リカバリーの方法も一生懸命考えます。それで、どうにかこうにか、いい感じに持って行けるようにはしています。
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子供の頃、「ニュアンス」という言葉を使ったら、「頭良いと思ってるんだろ!分かりやすい言葉を使え!」と、父に叱責されたので。話す時は言葉を使い分ける癖が付きました。子供と話す時、お年寄りと話す時、大学の先生と話す時、スーパーの女性店員さんと話す時。言葉は自然と変わります。相手がどんな言葉ならわかりやすいかは、相手と話してみるとわかります。同じ高齢男性でも、農業を一生懸命してきた人と、大学の先生をしていた人、会社社長をしていた人では、伝わる言葉が違います。相手の仲間にしてもらうには、まず、言葉遣いは大事だと思っています。人と仲良くなるには、やっぱりその人の事を知らないといけないのかなぁ、と思いますし。
仲間になろうと、頑張って話しているのに、聞く耳を持たないどころか、攻撃してくる人は、心の中のシャッターが音を立てて、勢いよく下がります。
フィーリングが合う合わないはやっぱり大事です。農業一筋の高齢男性と、めちゃくちゃ話が盛り上がった時もありますし、先入観は捨てるようにすると、人と仲良くなれるし、新たな発見も得られる気がします。農業に限らず、研究職にせよ、何にせよ、その道で苦労してきた方のお話には、深い発見があります。1人1人が、ご自分なりの人生哲学を持っています。
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「これが幸せの形です。」と言われると、すごく違和感があります。自分なりの幸せを見つけた方が、今ある幸せに気が付けるのでは?と思ったりします。
大学生の時、誰もいない空き教室で、一人でご飯食べた後などに、音楽を聴いて過ごしました。就活中の電車の中でもよく聴いていました。当時の、どうしようもない寂しい気持ちは、今でもはっきりと思い出します。しかしながら、一人の時間が過ごせるうちに、過ごしておいた方が良いような気もします。大学の時に誰もいない空き教室で、ぼーっと机にうつ伏せになって悩んでいた頃は、今考えると、私にとっては、とても贅沢な時間でした。
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過集中は、楽しい時など、する時はとことんするのですが、集中出来ない時は、一切話を聞いていなかったりします。
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素敵な曲は、受け取る側の環境や、境遇、心の動き等など。年月が過ぎたら、過ぎたその時で、感じ方が違います。若い時に聞いたのと、今聞いたのでは、以前は自分の為の歌詞だったのに、今は相手の為の歌詞に聴こえたりします。私にとっては、とても、味わい深いです。
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一応、お伝えしますが、私はバリバリの無宗教です。ですが、宗教を否定する気は微塵もありません。これは宗教的啓蒙のようなことでは一切なく。Twitter自体が「つぶやき」の形を取っておりますので、この書籍は私の極々個人的な「つぶやきの集合体」と言えます。Twitterを始める前は、文章にした事が無かったので、かなり漠然としていたのですが、文章にしたものを見て再考してを繰り返す事で「私、こんなこと考えてたんだな」と、より自分の考えがクリアになる体験をしてきました。慣れなくて苦戦した部分もありましたが、新しい事は始めてみるものだな、と心底思います。
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ハローワークや求人雑誌を見ると様々な求人があります。ひどく個人的な意見にはなりますが、敢えて申し上げますと。「入れ換えが激しい会社は何かある」と、これまで色々あって思いました。すんなり採用が決まる会社が、良い会社ではないかもしれません。
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感染者数が取り出たされる度に一喜一憂はしつつも、ずっと、この世の中にサヨナラをした方の数が頭の中を離れませんでした。真っ直ぐで、素直で、バカ正直だった私は、色々な事があり、「世の中は疑うことばかりだ」と気付かされました。それで、良かったのか、悪かったのか、私にはわかりません。
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心の中から暗い気持ちが、やっぱり、まだ引き摺り出される感じはあります。時々。怒り、哀しみ、絶望、無力感、屈辱、喪失感、痛み。どうしても一人になりたい時も、やっぱりあります。そういう時は、なかなか綺麗な物に、素敵な言葉に、心が動きません。でも、それも私です。
自分を信じて、今を生きる。それしかないような、気がします。ぐるぐるしてみた、今の私の結論です。やっぱり、好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いだし、人間、そう簡単には変わらないのだと思います。でも、嫌いなものにも、慣れたりだとか。少しずつ、時間の経過が和らげてくれることはあると思います。だから、もし良かったら、もう少し先まで生きてみませんか?
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主人は天気が悪いと、泥のように寝ています。ものすごく、天気や気圧に左右されます。精神疾患を持っている方は、本当に、生きている事自体がすごい事だと思います。睡眠薬を飲んで効いて来ると、いきなり寝るのですが身体は寝ていても、頭は寝ていないのだそうです。いつも眠そうな顔をして、仕事に向かいます。これだけ、精神疾患が多い世の中ですので、全然、レアケースではないと、私は思います。
私は、自分の機嫌を、いち早くとって、家族のために、元気にならなくてはいけません。と言いますか、そうありたいのです。
世の中は、きっと良くなります。私はそう信じています。私は、たまたま鬱状態を脱する事ができましたが、今尚、苦しんでいる方のお声を読むと、心が痛みます。
主人と子育てについて、よく話し合います。2人とも基本姿勢としては、「まずは子供の話を聞く」は大前提だと。子供より長く生きている者として、見えてくるものは、おそらく多いです。ですが、親が考える「正解」を持ったままま、子供のすることを決めつける事はあってはならないと。これは共通認識になっています。
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嫌われるのは、私だって未だに怖いです。人間だから、それはそうです。でも、私の場合は、嫌われないように生きていく事は、嫌われながら生きるよりも、辛い事でした。私は自分にとって楽な方を選びました。そのための困難も、もちろんありましたが。
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以前私は、バスとか電車、いわゆる公共交通機関がとにかく嫌いで。緊張して、大汗をかきながら乗っていました。「これ以上近づいたら、相手の迷惑だ」とどうしても思ってしまって。ある時、ふと「あ、自分がこれ以上近づかれたくないんだな」と気付きました。相手の迷惑だから、と思っている事が、自分サイドの問題である事もあるのかな、と思います。それで、自分から少しずつ近づくようにしてみたら、徐々に人混みに慣れました。田舎のスズメは警戒心が強いので、飛び立ち距離が長く、都会だと短いのと似ているかも?しれません。今この歳になっても、公共交通機関で緊張はします。だいぶ前、渋谷のスクランブル交差点でビクビクし過ぎて、人に度々ぶつかりました。音楽が好きなのにライブに行くことがなかなかできないのは残念な所です。ただ、参加させていただいても、周りが気になってしまって集中できなくなってしまうので、家でのんびりと聞かせていただくのが私にとってはベストかな?と思っています。でも、Twitterでライブの楽しかったTweetを見るのは大好きなので、ちょっと距離を取りながら、音楽を楽しんでいます。
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落ち込む自分と励ます自分が、私の中にいます。夜空を見ていると、モヤモヤがだんだんクリアになります。浮き沈みがジェットコースターで、本当に困るのですが。
Twitterもう少し続けようと思います。夜空の星のようにたくさんの方の考えが輝いています。読んでいると気持ちが安らぐのを感じます。その辺を歩いていても、話せるのはせいぜい1人、2人ですが、一度にたくさんの方のお話を読めるのだから、すごいです。視野が広がる思いがします。
就活生だった頃。田舎から都心へと鈍行の電車に揺られながら、ふと目にした中吊り広告に励まされたりしていました。Twitterも似た感じがします。それは1秒後には更新されてしまう言葉かもしれない。それは何十年も温めてきた言葉かもしれない。嘘も真も、今この時を生きる無数の言の葉たちを眺めていると、私も頑張ろうと思えてくるのです。。
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信頼関係では、まずは自分を一番に信じたいです。数多の嘘の中に、たくさんの真実があるはずです。嘘に傷つけられて、諦めてしまったら、真実は見えて来ません。
未だに悩んだり傷ついたりもするけれど。こんなに傷付いて来たのに、まだ今になっても、傷つけられている自分に、時々、驚き呆れます。でもやっぱり、私はこれからも、傷付きながら進むしかないのだと気づきました。
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漠然としているので、大きな事は言えませんが。「わかっているけど、黙ってる人」が多いのでははいかと思います。何か言うと叩かれる世の中なので。ちゃんと、自分の考えを、どの立場の人でも言いやすいようにしないと、勿体ないのでは?と、思ったりします。
歩んできた人生で考え方は変わります。私は全然、庶民中の庶民なのですが、「天才」はいないんじゃなくて、見つけにくい世の中なんじゃないかと思います。そのように考えると、すごく勿体ない気がします。漠然とそう思いました。天才と呼ばれる方々が、自己実現できないまま、いなくなってしまったり、結婚願望をお持ちなのに、そこで遺伝せずに生涯を送った場合、やはり社会にとって勿体ない事のように思います。もちろん、天才云々に限らず、全ての人の人生を犠牲にするかもしれない構造の中に、今の社会があるなら、すごく残念なことだと思います。
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