episode4 医療とのつながり

 10年前に不眠症で心療内科を受診しました。当時の会社の社長の言葉がきっかけでした。社長は「あなたの履歴書を見た時、どんなに無責任な人かと正直思った。でも、あなたはとても責任感が強い人だ。今まで仕事が続かないのは、何かしら原因があるはずだ。その原因がわからないと、転職を繰り返すよ。」とおっしゃいました。そして、辞意を申し出た私を、引き止めてくれました。その言葉で私は初めて医療に頼ってみる事にしたのです。とりあえず、駅前の心療内科を受診しました。白とオレンジ色を基調とした、とても綺麗な3階建ての建物で、2階が受付と待合室になっていました。恐る恐る入ってみると、とても静かで、待合室の長椅子には、少しだけ俯いた数名の方が、座っていました。スーツを着たサラリーマン風の男性。ロングスカートの大学生くらいの女性。年配の男性。そのくらいだったような気が致します。


 2週間眠れなかった私の話を医師は熱心に、注意深く聴いてくれました。

 後日出た診断は「抑うつ症」だったのですが、結果を聞いたあとで、先生に「発達障害の検査を受けてみないか?」と勧められました。私は「ん?障害?」と、よく意味がわかりませんでした。他の誰にも相談出来ずに一人で受診したため、耳慣れない言葉だったことと、不眠で抑うつ状態の私は、だいぶ頭の中がぼんやりしていたので、そう言われて訳が分からずに、だいぶ戸惑いました。


 そういうわけで、当時の記憶はかなり断片的ではあります。後日にどんな検査をしたかうろ覚えなのですが、結果は今でも大事に持っています。検査で何がわかったのか、半信半疑でしたが、A4の用紙1枚に、私のこれまでの疑問が全て書いてありました。言語理解は極端に高いのですが、その他の3項目は低く、特に作動記憶と処理速度が低い結果となりました。その結果でどういうことが言えるのかまで書いてありました。私としては、ただただ衝撃でした。

 例えるなら、今まで長い事、取り扱い説明書も持たずに、「リコーダーを掃除機として使っていた」というような、感じでしょうか?その用紙に、「自分のできる量の仕事をする」とか、「メモをたくさん取る」とか書かれていたわけです。子供の時は確かにやっていました。大人になって忘れてしまっていただけで。


 私の娘に関して言えば、今は一緒に娘の取り扱い説明書を作っている状態です。支援級で彼女は、診断結果だけではない、より正確な自分に適した取り扱い説明書を手にすることでしょう。人の難しさと人の素晴らしさも知るでしょう。それを持って、楽しく堂々と人生を歩んで欲しい。そのように願っています。


 特性を知って自分を見てみると、見方がだいぶ変わりました。何でくたくたに疲れてしまうのか?人の思っていることの想像がだいたいつくので、「この人はこう言っているけれど、本当は思っていないな」、「たぶんこれをしないと、この人だと、こう思われてしまうから、この時間までに終わらせないと」などと、周りの色々な人が思っている、それぞれの思惑を、考え合わせて、ベストな振る舞いをしなければ、と無理をしてでも頑張ってしまうのです。

 

「それができるはずだ」と、自分の努力を過信していました。確かに学生時代、努力で成績は上がりました。でも、それは「鉛筆で書く」というだけ、やっていることは単純作業だったからです。

 

 勉強が出来ることは悪いことではありません。そもそも、好きな事なら努力して良い結果を残すことは、素晴らしい事だと思います。でも、良い学校を出ても、それは人生の中で、アイテムの1つに過ぎないのかもしれません。就職は若干有利かもしれませんが、仕事ではそのアイテムが役に立つ保証はありません。しかしながら、その大学でどう過ごしたかは、人生にとってはすごく大切なアイテムになり得ます。


 私のようにマグロのようにぐるぐる動かないといけないのも特性ですし、誰かのようにじっと動きたくないのも特性。皆様十人十色の特性に悩んでおられる事と思います。どこにいても、自分を悩んでいさえすれば、それは生きていることだと、私は思います。


 特性のままに生きてみたら、ぐるぐる悩みながらあちらこちらに行って、だいぶ騒がしい人生になってしまいました。ままならない自分を、今日も精一杯過ごしております。仕事中に、火だるま的に焦ってしまう時の私の頭の中は、火だるまの大きさは違いますし、回転スピードも違うのですが、近所のスーパーに行った時と、ほぼ同じ感じです。暮らしは違えど、自分はやっぱり変われません。

 必要以上に焦っている時の私は、「おー、今自分かなりきてるなぁ」と客観視するようにしています。そうすると、少しだけ落ち着けます。飽くまでも、私の場合はですが、「落ち着こう、落ち着こう」としては、逆効果で、更に焦って大々的にやらかすのがオチなのです。


 あなたの頑張りを見ていてくれる人は、どこかに必ずいると思います。口には出さなくても。人間の良さは、仕事ができるかできないか、結婚してるかしてないか、お出掛けできるかできないか、人の役に立てるか立てないか、そんな事じゃわかりません。人間の良さは、目には見えないのだと私は思っています。だから、評価はされないかもしれないけれど、「自分の良さ」を自分で誇れたらと思います。「自分の良さ」を自分さえも忘れてしまったら、「自分の良さ」が可愛そうですし。


 さてここで、かなりの難題、「飲み会問題」について考えてみます。私は大学を出てから金融機関で働き始めたのですが、飲み会の何が楽しいのか、さっぱり理解できませんでした。ですので、大学時代もサークルに一切興味がなく入りませんでした。皆と同じ時に楽しいスイッチが入らなかったのです。でも、転職を繰り返して、行先々で飲み会は避けては通れないイベントでした。

 避けられないなら、私でも楽しくなる方法はないかな?と思いました。そこで、とりあえず呼ばれたら出てみる事にしました。最初は、かなり苦痛だったのですが、繰り返す内に、私でも楽しめるポイントを見つけたのです。


 私の場合は、人の本音を聞くのが大好きなのです。お酒が入ると人は魅力的になります。(注意!こればかりは人に寄ります)

 それこそ、普段見えない物が見えてくる思いで、次第に楽しくなりました。これは飽くまでも、私場合なので。ただ、自分に合った楽しめるポイントが隠れているかもしれません。

 自分でも不思議なのですが、テンションが上がるポイントが人と違うのです。共感力はある方だとは思うのですが、自分の中に無い感情に、共感することができないみたいです。共感どころか、理解できません。蛇が大嫌いな人に、蛇が好きな人がその良さを力説しても、「何を言っているの?」としか思えないのと似ています。


 皆と同じタイミングで同じ事が思えない事は、社会に出てみたら大問題でした。でも、くれぐれも無理は禁物です。フルスロットルで頑張っても、時々ふと「あれ?私今無理していないかな?」と自問自答してくださいね。もしも、必要なら医療へヘルプは早めに出しましょう。飲み会が楽しめるまでには、私もだいぶ苦労しました。飲み会の帰り道に夜の公園で1人反省会はたまにしました。コンビニでスイーツをいくつか買って、ヤケ食いした事もあります。飲み会の帰り道に限らず、夜の公園でスイーツのヤケ食いは何度かしましたが、不思議と太らずに、痩せて行きました。


 私としては、人付き合いは安全第一です。申し訳ないのですが、Twitterでも心の安全を優先させていただいた事が何度かあります。剥き出しの自分で戦っていると、受けるダメージもかなりのものでした。


 さらに、人付き合いに関連しまして、人は人でも悪い人は初対面では、たいてい良い人の顔をしています。免疫が無いと、気付かないうちに感染してしまいます。悪い人はだいたい「こちらの為になる」と言いながら、自分の利益しか考えていません。先方への返事は、一度持ち帰り、誰かに相談してから、するようにした方が、私は賢明かと思います。


 仕事の苦労は生活の苦労に直結しています。私も困窮した時は、電気を停められました。朝早くに手動で止めに来るのです。居るのがバレないよう、冬で寒いので、布団の中で、息を殺してました。ですので、抑うつ状態ではありましたが、退職をしても、別の会社ですぐまた働かなくてはいけませんでした。退職してからも3ヶ月間は通院しながら、服薬していました。退職した事で、私はみるみる元気になって行きました。私の場合は、運良く、症状がそこまで進行していなかったようです。


 医療とつながる前にはなりますが、電気が止められた頃は、本当に苦しくて、家賃もアパートの隣が大家さんの家だったので、お婆ちゃんに2ヶ月待っていただきました。だいぶ申し訳なかったです。家賃は38,000円の所を車が無いので、駐車場を使わないため、大家さんのご厚意で、35,000円にしていただいていました。

 

 お金に困って見直したのは食費。次は医療費でした。私、ゴミ出しで階段から落ちてしまい、脚の靭帯を損傷してしまった事がありました。本当は何ヶ月か通院しなくてはいけませんでしたが、その時の1日の時給トータル6,800円程が無いと、私は生活できませんでした。病院もタダではないし、時間も取られてしまうため、数回行って行くの止めざるを得ませんでした。めちゃくちゃ脚が痛かったのですが、松葉杖も借りられず、家をかなり早めに出て、脚を引き摺りながら、ようやくアルバイトに行きました。


 そのように、医療とつながる前の私は、頑張って生きてはみるのですが、周りの評価は「四大出てるのに、使えねー女」という感じでして。両親も呆れていましたし、周りの同級生は、きちんと仕事をして生きていたりする為、端から疎遠ですのに、さらに誰にも会いたくなくなります。


 このように書くと、四面楚歌&八方塞がりで救いようの無い感じがしてしまうのですが、今は、医療にヘルプを出せば、カウセリングも受けられますし、発達障害もだいぶ認知されて来ているので、ここまで孤独に戦わないといけない感じでも無いと思うのです。

社会に出るのが怖くなる事は無いと思います。どうか、ご安心くださいね。


 自分の上手く行かなさ加減を、どうしても、「自己責任」と思われてしまうのですが。確かにそれはそうなのですが、どう頑張っても這い上がれない現状で、逃げ場は心を病むしかないのです。前章でも書きましたが、もともと人嫌いの人が、自分から人に頼るのは、かなりハードルが高いです。


 そのまま、周りからどんどん孤立してしまい、医療に繋がれず、精神を病むしかないのです。うつ病を患うと、こんな頭の中が騒がしい私でも、常にぼーっとしてしまい、頭の中に靄がかかっている状態で、細かい事が一切考えられなくなります。


 細かい事が考えられないと、仕事には何とか行けるのですが、元々、苦労して働いていますのに、いつもの仕事のハードルがぶち上がります。さらに、「使えない」呼ばわりされ、頑張りたいのに頑張れない自分に絶望し、加速度的に病んで行きます。


 傷病手当は、確かにあったのですが、ここで、ADHDの特性が邪魔をしてきました。もう、揉め事が起こると、散々嫌な思いに耐えて来たので、一区切り付けて退職したくなってしまうのです。両天秤にかけた時、「新たな気分で新天地で」となります。


 私のように医療に繋がっていれば良いのですが、うつ病を患っている事に気がつかないまま、転職してしまうと、より甚大なストレスがかかってくる事態に陥ります。医療にSOSを出すのは、ぜひともお早めに。


 ADHDの特性からなのか、頭の中の本で言うと、最後の方のページに追いやられている記憶なので、私の場合は、常時、過去で苦しむことは、あまりありません。しかしながら、特性として、連想ゲームが常態化しているので、1つワードが入ると、芋づる式に辛い記憶が呼び起こされることになります。


「やる気が無いなら帰れ」なんて、聞きすぎて、もはや常套句。「疫病神」やら、「常識が無い」やら、「Akiさんはこれ以上無いタイミングで外してくるね」やら、様々な皮肉や暴言による口撃を受けて来ました。傷付き慣れて来たようにも、逆に弱くなってきたようにも、どちらにも感じます。


 優秀で優しい友達が溺れてしまった、社会の大海原を泳ぎ切ってやろうと必死でした。でも、1人で頑張り過ぎて、結果的に鬱になり、健康を害してしまいました。


 社長の言葉が無かったら、私は未だに医療と繋がることはなかったような気がします。私の場合、人嫌いは「人」によって改善して来ました。


 人の素晴らしさを、甘く見てはいけないな、と私はこれからの人生でも思い知らされて行くことでしょう。お産後の入院中や出産後に、どのママと出産エピソードを交換しても、聞く人聞く人、それぞれドラマチックでした。人生は1ページ目から、個性に溢れています。人は皆自分だけのドラマチックな人生を歩んでいくんだなぁ、と思います。





























































































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