episode3 朝が来るのが怖すぎる夜に

 子供の頃の私は、自分の思いを口に出しても、笑われたり、嘘つきだと言われたり、マイナスの反応しか帰って来ないので、人と仲良くなりたかったら、相手のニーズに答えればいいのだと思うようになりました。いわゆる、「擬態」です。しかしながら、それには限界があります。そのままだと自分を見失うのです。社会に出たら、特に。


今まで、お恥ずかしいですが、職を転々としてきてしまいました。人生で初めてした仕事は18歳の時。日本で一番有名なファストフード店でした。ジュースの原液はかぶるし、カウンターでケースを慌てて跨いでスカートを破くし、モップ掛け中に履き慣れないヒール靴で濡れた床で滑って派手に転ぶし。あれから20年。様々な仕事をさせていただきました。学生時代のアルバイトも含めると、1日だけ等の単発の仕事もございますが、30個以上やったのではないかと思います。ボロボロですが、無我夢中でした。


 卒業してからは、ちょうど10個です。事務系の仕事が多いのですが、訪問販売など様々な業種がありました。最後は結婚してから、認知症介護のグループホームで派遣で働きました。たくさんの人たちと出会いました。人が嫌いになった理由も「人」でしたが、人が好きになった理由も「人」でした。

 

 認知症介護のグループホームでは「人間」を学びました。入所者様にも往復ビンタをお見舞いされました。しかしながら、幼稚園で叩かれたのと、今度は全然受け止めが違いました。私は朝の7時に入所者様の起床のお手伝いをし、16時まで働いていたので、夜勤の方とも、日勤の方とも仕事をしていました。朝10時に退勤する夜勤担当の女性から、「認知症は神様からの最後のプレゼント」という言葉を聞きました。意識があると死の恐怖や過去の出来事で苦しむからなのだと。友達の事を思うとき、この言葉は私を幾分楽にしてくれます。

 

 ところで、自分のこの特性は、認知症の方のお世話に役立ちました。認知症の方は、秒で意識が動くので、当たり前のように、突然怒り出したりされるですが、「何が嫌なのか」「どんな声掛けをしたら落ち着いてくれるか」を、さっと投げ返す事が出来ました。頭がしっかりしているときと、していない時でも様子が違います。


 色々あって、気づいたのは、自分にとって大切なのは、幼稚園で気づいた「自分ができるようになるまで自分を待ってあげる」という姿勢なのだということです。他の人が何を言おうが、馬鹿にされようが、関係なく。

 

 だから、ちょっと立ち止まって幼い頃の自分を思い出してみてください。嫌な思い出がある方は、くれぐれも無理をなさらないでくださいね。現状を少し良くするヒントを、幼少期の自分が、ずっと握り締めて、今のあなたを待っているかもしれません。


 私の若い時のモットーは「避けられないなら、全力でぶつかれ!」でした。若い時はまだ良いのですが、これはとてつもなく、しんどいです。

 今、歳をとってからのモットーは、大学で習った中庸です。私の中での中庸とは「そこそこ頑張る」というようなイメージです。めちゃくちゃに頑張らないと現状が維持できないなら、自分に取って、程よいくらいの頑張りにするには、どこを手抜きするか考えます。飽くまでも私のモットーなので、悪しからず。また行先で変わるかもしれません。


 他人に怒っていても、とうの本人は変わらないですし。響かないですし。恐らく、こちらに何をしたか、覚えてすらいない場合も多いでしょうし。加害者側というのは、そんなものではないかな?と思います。でしたら、そのパワーを自分のために使ってみてはいかがでしょうか?その方が楽しいような気がします。


 私に取って最大の「手抜き」は、心の負担を軽くする事でした。例えば「少しくらいなら、どう思われてもいいのだ」という考えです。「私は物覚えが悪い。だから、仕事を始めて、半年間は毎日怒られて当たり前。その期間は必要。勝手に怒らせておけば良い」のような感じです。この手抜きは、なかなか難しいのですが。

 

 のび太くん、色々言われたりしますが、最大のすごいところは、あれだけ様々な事があっても、一切変わらない事だと思うのです。のび太くんが変わらないから、ドラえもんは面白いのだと思ったりします。良いところも悪いところも変わらない。私ななどからしてみたら、仙人の域です。ドラえもんにすぐに助けを求められるのも、偉いな、と思います。頼りになって味方になってくれる人に助けてもらえるから、のび太くんは、変わらないのかもしれませんね。


 心の負担を軽くする手抜きは、鈍感力と言いますか、のび太くんではないので、鈍くなる練習をするみたいな感じです。自分の特性は動かせないから、考え方1つで軽くなるならばやってみる価値はあるのではないかと考えます。それでも、いっぱいいっぱいになってしまいましたら、転職や、受診するなど、どうか別の方法を考えてみてください。

 

 居場所作り大変ですよね。家庭でも、学校でも、職場でも。心の中はどうでも、外見ではファイティングポーズを取り続けないと、居場所を守れませんし。 

 

 私的「手抜き」のもう1つは、仕事がたまっていたら、上司に減らして欲しいと相談する事です。迷惑をかけられない、嫌な顔をされる、さらに評価が下がる等、余計な気持ちは全て無視します。そこで無理をして頑張ってしまうと、さらに仕事ははけませんし。自分の負担を減らす事は、負けじゃないです。生きていくのに、勝ち負けなんてないです。


 この時、「迷惑をかけられない」「嫌な顔をされる」「さらに評価が下がる」も、確かに自分の思いなのですが。もっと深い所で、「もう、無理だ」となっていないでしょうか?無理になるのは、私のせいではありません。でも、その自らの声に蓋をして、さらに頑張ってしまうのは私自身です。


 「自分の心とは本音ベースで話をする。」これは私が気をつけたい事です。自分の心の本音を聞けるのは、自分しかいないからです。まるでプロデューサーの様に、自分ために仕事をセーブする。自分だけの敏腕プロデューサーでありたいな、なんて思ったりします。


 相手は楊枝で突いた位のつもりなのに、あなたは刀で切られたように感じるかもしれません。毎日、刀で切られる事がわかっていて、わざわざ出向きたい人はいません。ふと本当の地獄に行った方が楽だと感じてしまうかもしれません。そうしたら、休んで、心の中の大切な人を、どうか思い出してください。


 働いていたころの私は、相手に楊枝でつついていると思われているのが、わかっているから、刀で切られていても、「痛くも痒くもございません」という顔をして、わざとニコニコしていました。かなり無理をしていました。家に帰ると、顔面の筋肉が疲れ果てて、表情が作れないほど、くたくたに疲れていました。

 独りで疲れ果て、転職して、履歴書に1行増えるたびに、私の疲れは増して行きました。入った瞬間から「我慢が足りず使えない人間」のレッテルを貼られていたからです。

 転職してビハインドで始まったものを、まず0にするのが大変でした。自分の人生が好転すると信じていたのですが、状況は悪くなるばかりでした。

 でも、私の経験と自分への理解はどんどん積み重なり、深まって行きました。


 帰宅して、顔面が固まって無表情の私は、明日の朝が怖すぎて、退勤後の夜はテレビも見られませんでした。ひたすら音楽を聴いて、起きていました。でも、週末はテレビでバラエティー番組を見ました。そうすると、自然とちょっとだけ笑顔が戻るのです。本当の笑顔を忘れなかったから、きっと私は大丈夫だったのです。本当の笑顔を忘れそうになったら、一刻も早く、策を講じなければなりません。


 「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、運良く、苦労せずに何の心配もなく生きていけるなら、そちらの方がずっといいに決まっていると私は思います。買ってまですることはないと思うのですが、押し売りされて断れない人は、一緒に払ってくれる人をたくさん見つけて、負担を軽くして行った方が良いと思います。苦労なんてしたくなくても、これでもかと口に押し込まれる方もいます。苦労なんて買っている場合じゃありません。朝が来るのが怖くないだけで、毎日は輝き出します。


 あと、Twitterなどで、素敵な言葉が飛び交う中で。「あれ?私、良い話全然入って来ない…」と感じても、焦ることは無いと思います。私もそのような時期が長く続きました。瀕死の状態の時に、ご馳走を用意されても、食べる気にはなれません。最初は身体に染み渡るお粥くらいから始めてみてはいかがでしょうか?元気になったら、お腹一杯ご馳走を頂いてしまいましょう。



 あるきっかけで医療と繋がってから、だいぶ気が楽になったのですが、そちらのお話は後ですることと致します。















































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