episode2 心の友〜心が壊れる時〜

 私には統合失調症の友人がいます。小中高と同じ学校でしたが、同じ大学を受けて、彼女は合格し、私は不合格だったため、別々の大学に進学しました。


 彼女は非常に優秀な子でしたが、ひどく内向的な性格でした。高校の授業中、先生に当てられても、なかなか言葉が出て来ないまま時間だけが過ぎて行き、クラス中に皆のイライラが充満しているのを感じる度に、私は内心、悔しい思いをしていました。ランチタイムは、教室にいるとお互い息が詰まるので、漫画同好会の会室で漫画を読みながら、お弁当を食べていました。私も教室でお弁当を食べると、ひどく汗をかいて、とても落ち着かないのです。


 彼女は2人の時は、よく笑う女の子でした。高校卒業後は、大学が別々になったこともあり、年に一度、私の大学の学園祭で会うくらいの付き合いになりました。彼女は友達も出来たようで、楽しそうにキャンパスライフを話していました。でも、下宿を取らず、バスと電車を乗り継いで、家から片道4時間もかけて通学していると聞いては、驚いたものです。


 そんな彼女のお母様から「娘の様子がおかしいので、話を聞いてやってくれないか」と連絡があったのは、大学を卒業して私が働き始め、半年程経った時で、その頃の私は、仕事が上手く行かずに、毎日悩んでいた頃でした。


 彼女の家に着くと、窓と言う窓はカーテンに目張りがされ、昼間だと言うのに中は真っ暗でした。彼女は、別人のようになっていました。髪は伸び放題。ほふく前進で移動していました。私を見ると、泣きながら、ただひたすらに謝るのです。彼女とは詳しい話は出来ませんでしたが、お母様のお話だと、就職活動がうまく行かなかったとの事でした。周りは就職していくのに、決まらなくて焦っていたと。


 確かに、たまにするメールのやり取りで、就職活動がうまく行っていない話は聞いていました。私も同じように、仕事で苦労している事をメールで伝えていました。お互いに励まし合ってはいたのですが、人知れず、彼女の心は限界を超えてしまっていました。窓に目張りがされているのは、少し目を離すと、彼女が自分で窓を開けて、落下しようとしてしまうからとの事でした。


 この時の彼女を最初に見たとき、正直「怖い」と思いました。ただ、私を見て泣きながら「ごめんね」とだけ繰り返す彼女を目の当たりにし、「こうなってまで、相手の事を考える人なのだ」と愕然としました。「こんなに優しい人が、何で。悪いこと何にもしてないのに。」と。その時、彼女の人間としての本質を見た思いがして、私も涙が溢れて来ました。彼女の気持ちを慮ってみると、「一人にしてごめんね」、「こんな私になってごめんね」と合わせて、「こんな姿見られたくなかった」という思いも痛いほど感じました。


 彼女には「わかってるから。もう十分だから、自分が大事だから。もう頑張らなくていいから」というように伝えました。もっともっと早くに彼女自身が自己中心的になっていたら。そもそも、私が仕事で一杯一杯になっていなければ。もっと早くに会いに来ていれば。大学に落ちていなければ…。後悔はするものの、私も自分のために我武者羅に頑張っていたので、気持ちの遣り場が無い状態でした。


 その日の数日後にお母様から、彼女が総合病院の精神科に入院したと聞きました。恐らく彼女は発達障害でした。優秀で、絵が得意で、面白い彼女は、変わってしまいました。私は、ジャイアンではないですが、「心の友」を失いました。でも、それでも人生は続くのです。


 今はとても優しくて良い人が、生きにくい世の中なんだと思います。もがき苦しんで、自分が誰なのかわからなくなってしまうなんて、悲し過ぎます。

 でも、今の世の中は、自分をこれまた苦労して変えなければ、自分を守りきれないのです。変わりたくても変われない等、悩み過ぎる前に、医療にSOSを出した方が良いと思います。


 心をガラスのコップに例えてみます。ひび割れたくらいなら、元通りにできます。割ってしまっても、かなり大変ですが、繋ぎ合わせて、何とかコップの原形はキープできます。しかしながら、粉々にしてしまうと、もうコップの形に戻すことはできないのです。心が粉々になる前に、受診をした方が良いのではないかと、私は思います。


 ただ、発達障害の人は、人に嫌な思いをこれでもかとさせられているので、人に頼ることが苦手です。人が嫌いです。もし、手を差し伸べてくれる人がいたら、一目散に逃げ出すかもしれません。

 受診、受診と、簡単には言えますが、ハードルがかなり高いとは思うのです。周りで気づいた方がいたら、ご本人へのアプローチの仕方は、かなり慎重にされた方がいいかもしれません。


 さて、今は幼いうちから医療と繋がり、特別な教育を受ける事ができます。公立小学校の支援級の見学に娘と行ってみて思うのは、やっぱり子供達が、すごく魅力的だということです。キャラが立ってて、面白いのです。そして、発達障害の私自身も居心地が良い。「ああ、私は、このままでもいいんだなぁ」と漠然と思えつつ、「ここはこうしてみたら、もっとよくなるかも」と気付きをくれるような感じです。


 今の子供達が社会に出た時に、色んな人間がいる現状は変わらないので、多くの困難に直面するでしょう。しかしながら、自分自身の専門家。医療や人に頼る基本姿勢。「どうしたら現状を改善できるだろうか」という視点。周りの家族の理解。これらが育っているから、何とか乗り越えて行けるんじゃないかな?と、漠然と思ったりするのです。


 娘の主治医のお話だと、女の子は精神発達が早く、小学校3、4年生くらいになるとグループを作り出すそうです。娘は暗黙の了解がわかりにくい為、困難を感じ始めるでしょう、との事でした。本来ならリアルタイムで自然にできる行動を、支援級で後追いにはなりますが、繰り返し教わることになります。ゆくゆくは、自分で振る舞えるようになるのが目標だそうです。


 私の学生時代にも、「昨日まで仲の良かった友達が、急に冷たくなる」というような事が、何度かありました。今になって思うと、「そうか、あの子も周りとの兼ね合いで仕方なかったのかもな」と思います。子供たちが成長するとグループを作り出すのは、自然な事なので、仕方のない事です。


 小学生の頃、飼育係でニワトリの世話をしていました。ニワトリは弱ってきたニワトリを皆で嘴でつつくのです。さらに弱って死んでしまうまで。だから、弱ってきた子は隣の小さなケージで隔離していました。金魚もそうでした。翌朝に見たら、共喰いされちゃいましたけど。私は、「生き物は残酷なんだ」と飼育係で学びました。


 主人の統合失調症の一番の原因は、主人の両親にあるそうです。話を聞いていると、発達障害の二次障害なのでは?と思う節もあります。主人は30年前の事を、昨日あった事のように苦々しく思い出します。やはり、心に受けた傷は、その時、その時に対処しないと、何十年たっても、苦しむことになるみたいです。そんなわけで、我が家では、今年も雛人形が出せませんでした。主人の両親の購入物なので、見ていると、主人がフラッシュバックを起こしてしまい、かなり気落ちしてしまいます。


 今回の執筆に当たって、主人に初めてTwitterの事を相談したところ、彼は、1つアドバイスをくれました。「シヌ」「ジサツ」という言葉は使わない方が良いというものです。


 彼曰く、この世にサヨナラをしたい人にとって、常時は、これら2つのワードから、どうにかこうにか、300メートルくらい離れているところにいます。ただ、これらのワードを目にすると、たちまち、一気にそれらが目の前まで近づいてくる事があると言います。だから、言葉の取り扱いには慎重になるべきだと教えてくれました。


 骨折しても数ヶ月で治りますが、心を傷つけると一生治らなかったりします。しかも、外からの見た目では傷の深さも、どれくらい痛がっているのかも、わからない傷ですので、さらに厄介です。心は風邪をひくし、怪我もします。ちょっと具合が悪いと思ったら、心療内科等、普通に行った方が良いと、私は思います。

 

 だいぶ敷居は低くなってきた気がしますが、私の親世代の方は特に、「心療内科」「精神科」に対して「頭のおかしい一部の人が行くところ」というイメージをお持ちの方が多いかもしれません。心を持っている人間なら、歯医者や眼科と同じように、誰でも行く可能性がある病院なのです。そもそも、認知症になれば、多くの人々がお世話になる病院です。現在の差別や偏見は、もしかしたら後にご自分に返ってくるかもしれません。




































































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