episode1 幼少期〜毒親をどうする?〜
毒親という言葉を耳にして久しいです。私の両親は毒親という部類に入るのかもしれません。「かもしれない」と言ったのは、なかなか客観視できないからです。
幼い頃から抑圧された状態が長期にわたると、それが当たり前になります。客観視しようとした時点で、激しい自己嫌悪に襲われます。「親の思い通りになれない自分」に未だに私は、折にふれて、苦しめられています。
私の最初の記憶は、恐らく2、3歳だったのではないかと思いますが、左手を縛り付けられた事から始まります。この世に生を受けた私は、左利きでした。それは親の意向にそぐいませんでした。そのため、左手を縛られ右利きに矯正されました。もしかすると、私くらいまでの世代なら右利きへ矯正された方は、意外と多いのかもしれません。ボールを取るのが難しかったのを何となく覚えています。
話すか話さないかの頃、ほんの小さい頃の私は、今でも鮮明に覚えている自分だけの「方法」がありました。親の目をとにかくじっと見ます。そうすると、怒っているのか、いないのかが、ある程度、正確にわかるのです。
庭から縁台に靴のまま上がると、決まって叱責されるのですが、私はわざと上がってみて、ハイハイの状態で親の目を見つめながら、前進してみたりしました。目を見ていると、これ以上進むと叱られるのがわかりました。私はスリルを覚えながら、恐れつつも、それを楽しんでいました。
目のエピーソードで言えば、私は今でこそ水族館が大好きなのですが、幼い頃は水族館へ行くと、よく泣いていました。大きな魚の目が怖かったのです。あの、何も考えていなさそうで、圧倒的な迫力で、どこを見ているのかわからない目。今は、可愛くて仕方ないのですが。
私が今の自分の娘たちくらいの時、親が2人とも中卒であり、あまり新聞以外の活字を読まない家でした。おそらく親戚から貰った絵本が、3冊だけありました。「泣いた赤おに」「かぐや姫」「しろいうさぎとくろいうさぎ」の3冊です。絵本を読まない家だったので、余計に自分の中に入り込みやすかったのかもしれません。この3冊を繰り返し読んでいましたので、小学校の図書室は、天国のように感じました。
4歳になった私は、田舎でもスパルタ教育の幼稚園に入園しました。幼稚園の2年間で、出来ない自分をこれでもかと教えられました。音楽では「背が高いから」という理由で、アコーディオンを担当させられ、左右の手が別々の動きをしなければならず、かなり大変でした。体育の授業では鉄棒に脚をかけてぶら下がって、揺れながら反動で前のマットに飛び移るのが全然できなくて、泣きながら練習しました。ひな祭りの折り紙制作では、皆より時間が掛かってしまい、もう一人の男の子と一緒に休み時間返上で制作しました。また、女の子にバスで往復ビンタをお見舞いされたのは、今でも鮮明に覚えています。
こんな調子でしたので、幼稚園は楽しかった記憶がありません。その頃に、拙いながら「一連の動作が出来ない時は、失敗したら、最初からやる」と自分ルールを作りました。そうすると、時間はかかるのですが、覚えるのです。
親に叱られると、かーっと熱くなってしまう自身の性格も自覚していました。それで、かーっとなる自分の中で、2、3分ぐるぐると脳内でループをして考えて、親がどうして欲しいかも考え合わせて、先程と真逆の事を言います。そうすると、今度は親に「話がコロコロ変わる子だ」とさらに怒られたりしてました。この世は、敵だらけに感じました。
私は幼少期、何かを思いますと、両親に「馬鹿だなあ、そんなわけないだろ」ですとか、泣いていると「自分が可愛そうだと思うんじゃないよ」等と言われ育ったため、やはり未だに根っこの部分では、自分の事がどうしても好きになれません。自分の首を自分で締めてしまう性格なので、自己肯定感がもともと極端に低いのです。今でも悩んで悩んで決断を下しても、必ず全否定してくる自分がいます。
親の厳格さと厳しい幼稚園生活は、私の中に辛い事に耐える性格をしっかりと別に植えつけたようです。この性格は、様々な理不尽に耐えることを強要される、その後の人生で大いに頑張ってくれました。
ところで、本題に戻りますと、毒親との関係についてです。悩まれている方が多いのではと、Twitterを始めてからは特に思いました。私は親から逃げて、自分で好きなように、生きて行けばいいと思います。虐待されると気持ちが離れられないのは、わかります。私も未だにそうです。でも、自分の心の危険地帯からは、とにかく逃げなければなりません。
この「逃げる」というのは、物理的にどこか別の所で暮らすのも、それが出来れば1番良いのですが、様々な事情で出来ない場合も多いです。とりあえず、「心を離す練習」をするのはどうでしょうか?「右」と言われたら、良いか悪いか別として、とりあえず、反対の「左」と言ってみる。最初の抵抗は「どっちを選んでも大して差は無いこと」にした方が、双方の対立も激しくならず、自己嫌悪も軽めで済むかもしれません。長い年月を掛けながら、自分にとって無理の無い範囲で、徐々に心を離して行くのです。どうでしょうか?私はそんな感じで離れて行きました。未だに母は主人に私の事を「言い出したら聞かない子」だと言います。最高の褒め言葉です。
子供は、親の人生を生きているわけでも、親の虚栄心を満たすために生きているわけでも、親の機嫌を取るために生きている訳でもありません。自分のために、自分の人生を生きた方が良いのでは?と思います。言う通りにして失敗しても、たいてい自分で尻拭いをさせられるのですから。
しかしながら、くどいようですが、無理は禁物です。今は出来なくても、後でできるかもしれないし、親の方が変わり、自然と良い関係になる事もあるかもしれません。私と同じ障害を持つ方々は、優しくて素直な方が多いと思いますので、念のため。試みる場合には、心にできるだけ負担が少ない方法で行った方が良いと思います。
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