第12話 本気で好きだったあなたへ

 ワンピースの裾が、風に吹かれてじゃれついていた。


 髪をポニーテールになるように結び、前髪の端だけを前に持ってくる。普段はそういったおしゃれな形に整えないので、いつまで経っても慣れない作業だった。おまけに、滅多に着ることがない、お気に入りの黒いワンピースを着ていた。よっぽどのイベントでないと、これを着ない。


 全国を仕事柄移動することが多いあたしは、先月大きなキャリーケースを買った。まさかそれを一番初めに使うのが、故郷に帰る場面になるとは思っていなかったけれど。


 あれから、十年近くの時間が流れていた。


 大学の男友達と付き合ってみたり、社会人になりたての頃に仕事で大失敗したり、色々なことがあった。これほどの期間があると、誰かと絶縁し、誰かと生涯の大親友になるなんて経験もした。


 ボラ部の三人、加奈と神田くん、そしてあたしという関係性は、きっと変わっていない。高校卒業後、あの二人は都会に出てしまった。二人が通う大学は同じでないものの、あたしは疎外感のようなものを抱いていた。あたしは進学ではなく、地元の中小企業に就職した。


 卒業してから三人で会うことは、一度もなかった。


 今は縁あって、写真を撮る仕事をしている。基本は風景写真を撮ることが多いものの、いつからか写真よりも、それにあわせて書く文章に注目されるようになってしまった。書くことは苦手なので正直なところ、写真を撮ることに専念したいのだが、仕事を選んでいる余裕はなかった。


 出先から戻ってきたあたしを待っていたのは、『同窓会のお知らせ』と書かれた一通のはがきだった。しかし、それにまるで興味をもてなかった。嫌いだとかそういうわけではなく、ただその集まりのために故郷へ帰るということに、心が動かなかった。


 欠席に丸を付けて投函しようと思ったが、ボールペンを取ろうと身体を動かしたところで、携帯電話が音を立てて震えた。


「あー、はいはい。今出ますよ」


 誰かいるわけでもないのに、そう思いながらもボソッと独り言を呟きながら、あたしは画面を開いてすぐにボタンを押した。押した後でよく見ると、液晶画面には『林原加奈』と表示されていた。


「えっ…もしもし、加奈?」


「もしもし、うわぁ紫織ちゃんの声だ。元気してる?」


「元気よ、元気。それなりにね」


「ははは。変わってないねえ」


 電話越しに聞こえる彼女の数年ぶりの声は、記憶に残っていた声とは少し違っていた。なんだか少し、大人っぽい。もっと具体的に言うならば、ほんのわずかながら、低くなっているような気がした。


「んで、どうしたの急に。電話なんてしてきて」


「紫織ちゃんのとこ、同窓会の招待状来てる?」


「来てるけど、その話か」


「『その話か』じゃないよ、もう。紫織ちゃんも来るよね、っていう確認の電話だよ」


 実は同窓会の連絡が来たのは、これが初めてではなかった。数年前にも一度連絡が来ていたけれど、断ったという過去があった。それを彼女が知らないはずもなく、きっとこうして電話をするに至ったのだろう。


「加奈は行くんだ、同窓会」


「うん、このあいだのも行ったよ。……紫織ちゃんが来ると思って、楽しみにしてたのに。来なかったんだもん」


「同窓会ねぇ」


「来て。お願いだから、来てちょうだい。久しぶりに会って話そうよ、お酒入れて」


 口調から察するに、加奈は酔っているに違いない。お酒の席で彼女と話したことはないけれど、この舌足らずな雰囲気はそう思うのに十分なものだった。


「でもなぁ」


「神田くんも来るらしいから。終わったら三人で呑み行こう、きっと面白いよ」


 最終的に、あたしはお願いに負けてしまった。とは言っても、酔っている彼女に伝えることはせず、次の日の朝に『同窓会、ちゃんと出席で返事したから』という短文のメールを送った。


 その日の晩、仕事から帰ってきたあたしは、高校のときの卒業アルバムでも見返してみるかと思って探したものの、すでにアルバムは破棄したあとだということに気がついた。


 そんな流れで、あたしは同窓会に来ていた。高校生のときに住んでいた家は当然ながらないため、ホテルでのチェックインを済ませている。荷物になるものは置いて、ここへ来た。


 クラスメイト数人と軽く談笑しながら、二時間はあっという間に過ぎていった。想像していたよりもずっと楽しく、面白みのある会だった。あのとき加奈が言っていたことは、案外的を得ていたのではないか、なんて考えたりもした。


 皆変わってないけれど、変わったところもある。そんな同窓会だった。


 会場での同窓会が終わり、ほとんどの人がそのまま二次会に参加する流れになっていた。そのまま参加しようかと迷っていると、肩をポンポンと軽く叩かれた。誰だろうと思い隣を見ると、花柄のドレスを着た加奈だった。


「やっほ。紫織ちゃん、やっと捕まった」


「なんだ、加奈か」


「なんだとはなによ。二次会、三人でしない? 神田くんも誘ってるから」


「そういえば、そんな話したね。……そうと決まれば、抜け出しますか」


 物事をスムーズに進めるためには、多少の嘘も許される。


 あたしたちは酔いが回っていることを元クラス委員長に伝えて、集団から離れた。このまま近くの飲み屋なんて行ったら、きっとバレるだろうという話になり、電車に乗って二駅先の繁華街に出ることにした。


 ご飯は全員同窓会で食べて、お腹は膨れているという意見は一致して、三人ともお酒を何杯か呑むだけになった。あたしはお酒を普段から呑んでいたので、それほど酔っぱらうことはなかったが、隣でヘラヘラと笑いながら吞んでいる加奈は、どうやらかなり酔いが回っているようだった。


「今日はね、ほんと三人で話せてよかった。ずっと話したかったの」


「そっか。電話でも言ってたもんね」


「加奈ちゃん、ちょっと酔いすぎじゃない。大丈夫か?」


「ダイジョブ、大丈夫! かなり平気だよ」


「全然、これっぽっちも、そんなふうに見えないんだけど。……ちょっとトイレ行ってくる」


「行ってらっしゃい」


 おそらく神田くんも酔っている。酔い覚ましのために、トイレついでにたばこでも一本吸ってくるのではないか。そして、あたしも二人と同じように酒が回り始めたのか、思考が上手く働かなくなっていた。そろそろお冷でも飲むべきかなんて考えながら、きっと酔いのおかげで忘れてくれるだろうと信じて、あたしはこう呟いた。


「あたし、加奈のことは本気で好きだったよ」


「……そっか」


 加奈への、身を焦がすような恋心は、今のあたしにはない。あのとき諦めたからこそ、この関係が成り立っている。


 あたしは、当時の思い出を振り返るように、ボラ部での出来事をゆっくりと話していった。それに対して、加奈は時々『そんなこともあったね』と返していた。どのくらいそれを繰り返したのか、数えてはいなかった。そうしているとなにかをすするような音が聞こえたので、ふと横を見てみると、加奈は目の端から綺麗に、涙を流していた。


「どうしたんだよ、加奈」


 すぐにかばんからハンカチを出して涙を拭くと、目を閉じて彼女はこう続けた。


「ずっとね、思ってたことがあって」


「……なんの話」


「紫織ちゃんが、ね。男の子だったら、よかったのになぁ……って」


 とうとう我慢しきれなくなってしまったのか、加奈は涙をこぼれるように流していた。きっと、お酒を入れていたから、余計に涙腺が緩んでいたのだろう。隣のテーブルに座っていた人たちに心配されるほどの、見事な泣き顔だった。


「馬鹿。泣きたいのは、あたしのほうなんだからな」


 言葉にするよりも、行動するほうが伝わる。気持ちがたかぶってしまったあたしは、たまらず彼女のことを抱きしめていた。この十年間の空白を埋めてしまいたいと思えるくらいに、愛おしくて、素直で、大切な人が自分のことを想って泣いてくれた。この事実が、なによりも嬉しかった。


「ねぇ、紫織ちゃん」


「んー?」


「化粧、服についちゃうよ」


「今更そんなこと気にするかな、まったく」


 あの頃のように、微妙な距離感を保つことはいとも簡単だろう。見えない壁を張ってしまうのは、誰にだってできる。しかし、今のあたしには林原加奈という人が、とてもありがたい存在だった。彼女とだけは、なにが起きようとも離れたくない、そんなふうに思える。


 好きとか嫌いとか、そういう次元の話ではなく、お互いに励ましあって、適度に支えあえるような関係になりたい。


「加奈」


「…なに?」


「あたしは、今でも加奈のこと、そういう意味で好きだよ」


「えっ」


「……って言ったら、どうする」


 抱きしめることをやめると、加奈はそっと顔をあたしの胸から離した。なんだか目を合わせるのが気まずく、加奈の右肩のあたりを見るように目線をずらした。数秒経っても返答がないのでどうしたのだろうと彼女を見てみると、彼女はあたしの右腕あたりを見つめていた。


「ね、その場合って、両想いだったってことになるのかな」


 視線を感じて前を向くと、目が合った。その瞬間、自分の心臓の音が聞こえるんじゃないかと思うくらいに周囲の音が消えて、加奈とあたしだけの空間ができてしまったような、不思議な体験をした。


 神田くんが戻ってきたあと、あたしたちは会計を済ませて、近くの公園に行った。この瞬間を忘れたくない、そう願いながら、三人で写真を撮った。ベンチに置いて撮ったので、決していいとは言えない写真だったけれど、何度も撮り直すようなことはしなかった。


 撮り終えた後に見た彼女の笑顔に、ときめいてしまったというのが、その理由だった。


 彼女の恋が終わってほしいという気持ちで埋め尽くされていたあたしは、もういない。


 なぜなら加奈はあたしにとっての、一生の友人なのだから。

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曖昧トライアングル ~同性を好きになってしまったときの対処法~ 六条菜々子 @minamocya

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