第11話 友達だった人

 夢を見た。とても、悲しくて寂しい、そんな夢を。


「だって、神田くんあのとき、わたしのこと好きじゃないって!」


「加奈はもう、俺のこと好きじゃなくなったのか?」


 夢の中の彼は、なんだかわがままを言っているだけのようにみえた。彼女が誰のものにもならないと決めつけて、その理想を背負わせていた。


 彼は、加奈に対して友情以上の感情を抱いていたことを、あっさりと告白した。


 あたしは、そんな光景を目の前で見せつけられているのに、まったくその場から動けずに立ち尽くしていた。手を伸ばしても当然届くわけがなく、二人が感情をぶつけ合う瞬間を、焼き付けることしかできなかった。


 おそらくそれは、あたしが持ち続けてこじらせてしまった、彼女への気持ちの表れなのだろう。結局のところ、友情という薄っぺらい箱庭のなかでしか、あたしは生きていけない。ここで苦しいと思うことなど、あってはならない。逃げてしまった者に、とやかく言う資格は、ない。


「わたし、好きだったよ」


「それならどうして……」


 もっと素直になるべきだった。そんな後悔、したところでどうしようもないのに、つい考えてしまう。ああしていれば、こうしていれば、理想を語るだけであればそれでいいが、正しいのはどれかを判断するだけでは、他人と関わることはできない。


「神田くん……遅かったんだよ。もう遅い」


 なぜこんな夢を見てしまったのだろうと思ったけれど、おそらくその理由は、あたし自身が彼女のことばかり考えてしまっていたから、というのが一番しっくりくる答えだった。


 たとえ、あたしたち三人が道をたがえたとしても、それは特別なことではなくて。


 違う人間なのだから、違っていて当然で。


 ましてやまだお互いに高校生、進む方向が別なのは、ごく自然なことじゃないか。


 なんとか自分の納得できる理由を探して、なんとか彼女への想いを終わらせようという、そんな決断を下した。今振り切らないと、きっと近い未来で後悔する。それはほかの誰でもない、自分自身が感じてきたことだった。


 加奈とは、一生の友達でいる。誰よりも好きだからこそ、恋を諦める。その気持ちだけは、否定されたくなかった。


 目覚めると、あたしは涙を流していた。


 気持ちを呑み込むのには、数日かかった。てっきり一か月ほどかかるだろうと思っていたので、おそらくこれでも早いほうだろう。


 現実においては、夢のように神田くんが加奈に対して、気持ちを吐露する場面はなく、ごくごく平和な日常が過ぎていった。彼女はボラ部に何事もなかったかのように来ていたし、彼もまた優等生じみた行動を変わらずとっていた。


 加奈への想いを封印することで三人一緒に居られるなら、これでいい。三人で居られることが、あたしにとって一番の幸せなんだ、そう思い込むようにした。


 そんな日々に、気味の悪い心地よさを感じていた。


 ボラ部としての活動は、あたしたちが三年生に進んだことで後輩に部長の立場を譲り、加奈と神田くんは大学受験に備えた勉強をするようになった。


 梅雨入りが発表された時期に、加奈から彼氏ができたと言われた。予想はしていたので、たいして驚きはなかった。驚きはなかったが、なにかが欠けてしまったかのような喪失感が、心の中をむしばんでいった。


「まあ、よかったんじゃない? 受験絡みで、多少は不安になっちゃう時期だろうし」


「うん、ありがとうね。紫織ちゃんにそう言ってもらえると、なんだか嬉しいよ」


「なんだそりゃ」


「ほんとだよ?」


 話す前より少しだけ表情が明るくなった加奈の姿が、近いのに遠く感じてしまったことが、あたしは辛かった。このことに関して、彼女なりに悩んでいたのではないか、とも思えた。


 大学へは行かずに就職するあたしにはわからない悩みが、きっとある。彼女と同じ世界を進むことは、これから先叶うのだろうか。その答えは、おそらくできない、だと確信していた。一度でも抱いてしまった感情を、なかったことにはできない。


 頭の中が埋め尽くされてしまうように熱い想いを、自覚してしまった。だからもう、あたしは加奈のことを『親友』とは決して呼べない。それが彼女にとっての、裏切り行為であると理解していたから。


「まあ、またなにか相談したいことがあったら言ってよ。それくらいなら、あたしにもできる」


 一度破綻してしまった友情は、壊れたまま変わることがない。そんなことを自分に言い聞かせて、あたしは彼女の手をゆっくりと握り返した。


 じめじめとした空気が続いていたある日、あたしは神田くんに呼び出された。模試が終わったあとで、学校の屋上に来てほしい、という内容だった。


 いつだったか、自分も彼のことを誘ったときがあったな、なんて思い返しつつ、約束の時間に間に合うように、少し小走りぎみで教室を出た。陽が落ち始めていて薄暗く、校舎内は蛍光灯がついていた。こんな時間に屋上へ行こうとする人がいるわけもなく、あたしが進む方向とは真逆に、皆は階段を下っていた。


 屋上に続くドアを開けると、夕陽を眺めている彼の姿がすぐに見えた。その背中はなんだか寂しそうで、孤独だった。そういえば、神田くんが誰かと一緒にいるところをあまり見ないな、と思っていると、あたしの存在に気がついたのか、こちらを振り返って少しはにかんでいた。


「ちょっと遅刻だぞ、富士宮紫織ふじのみやしおり


「ごめんね。解答用紙の整理、先生に頼まれちゃって」


「……それならしょうがない、としか言えないな」


 部活動がなくなってから彼と話す機会があまりなく、こうして二人きりでいることなんてのは、かなり久しぶりだった。


 誘いが来たときは、二人で会って話す話題なんてあるのか、と思ったりもした。けれど、実際に会ってみると、どうやら彼は彼なりにあたしと話したかったようで、気がつくとあっという間に夕陽は落ちていた。


 その様子を見ていると、少しだけ緊張していたのもほぐれて、あたしも口数が多くなっていった。あの日の音楽室での一件が、まるで嘘だったかのようで、なんだか不思議だった。


「正直、今日の誘いが富士宮に断られるんじゃないかって、ひやひやしてたんだ」


「どうして?」


「どうしてって、言われてもなぁ。最近会ってなかったし、つまらなさそうと思われそうだから、かな」


「……会うまでは、少しだけそう思ってたかも」


「ズバリというね。刺さったよ」


 それでも誘いを断らなかったのは、きちんと会って話しておきたかったから、なのだろう。あたしはそのままの流れで、加奈から聞いた話を伝えた。それはもちろん、彼女に恋人ができた、という内容の話だった。


 彼はなにも返すことなく、ただ黙って話を聞いていた。もしかするとあたしの話をきちんと聞いていないのでは、とも考えたけれど、時々うなずいている様子を見るからに、聞き流しているわけではなさそうだった。


「そっか」


 返ってきた言葉は、それだけ。加奈はここにいないのだから、言いたいことがあれば口にしてしまえばいいのに。


「ショックだった?」


「いや、んなことはないよ。加奈ちゃんのこと見てたから、たぶんそうなんだろうなって思ってたし」


「そうなんだ」


 あたしと神田くん、どちらでもなく、加奈は別の人の彼女になった。その選択は彼女自身のものであり、外野からとやかく指摘することではない。今までではなく、これからの話を優先するべきだった。


 加奈が幸せになってくれればそれでいい、なんて綺麗事を言うつもりはないけれど、それでいいとだんだん思えるようになっていた。きっと、神田くんのおかげなのだろう。


「神田くんと話せて、よかったよ。加奈のこと、きちんと話しておきたいってのもあったけど、最近そもそも会ってなかったでしょ」


「そうだね」


「だからさぁ、ありがとう。誘ってくれて」


 彼の前でなら、あたしは本音を言える。加奈と一緒にいるときのような、過剰な緊張をしないで話せる。放課後のこの数十分で、それはぼんやりとしたものから、確かなものへと変化していた。


 どうして、という理屈では説明できない想いが、彼とのあいだに存在していた。ある意味、穏やかな波に打たれているような感覚で、とても落ち着いている。いつから、そんなふうに想っていたのか、はっきりと思い出すことはできなかった。


「……あと、さ。もう一つだけ、富士宮に話したいことがあるんだけど」


「改まって、なんの話?」


「俺、富士宮のこと好き、かもしれない」


 少し待とう、なんて言った。彼は今、確かにあたしの名前を言い放った。富士宮と。


 そして、続けて『好きかもしれない』と聞こえてしまった。おそらく、それはなにかの間違いで、本人の意図しない言葉が出てきてしまったのだと、無理やり考えた。そんなこと、あり得ない。なぜなら、彼は加奈のことを好いていたはずだから。


「なに、ドッキリかなにか? そういうのたちが悪いから、やめてよね」


「冗談じゃない。本気で、その……好きなんだ」


「あなた、加奈のこと好きだったんじゃないの?」


「気になっていたのは確かだけど、恋愛的に好きかと言われると、それは違うよ」


 神田くんは、加奈に恋愛感情を向けていると、あたしは思い込んでいた。確かにあの日の第二音楽室で、彼は『仲のいい女子のうちの一人』としか言っていなかった。その言葉に含みをもたせてしまったのは、ほかの誰でもないあたし自身だった。


 あたしは結局のところ、自分に都合のいい解釈を求めていただけ。彼女のことを好きなんだと、認めさせたかっただけ。


「……ふぅ、そうなんだ」


 告白された返事とは思えないような言葉を口にして、あたしは彼から目をそらした。そうしないと、気が抜けて泣いてしまいそうだったから。見せたくない自分を、見せてしまいそうだった。


「あたし、神田くんのことを仲のいい友達、としか思ってないよ。それに、恋愛対象は女の人だし」


「去年聞いたよ、まさか加奈ちゃんを好きだとは思ってなかったけど」


「でもってさ、友達以上になれない、男の人とは。恋愛的に好きになれるのは、やっぱり女の人なんだ」


 神田くんは、あたしにとって美香と同じポジションにいる人だった。だからこそ、友達以上になることなんてのは絶対に避けたいし、これからも遠慮なくなんでも話すことができる、そういう間柄でいたかった。


 加奈とのごたごたはあったにせよ、今日のこの時間でそう思えた。このことを彼に言えば、もしかすると誘うべきじゃなかったと言うかもしれない。けれど、遅かれ早かれそう考えるようになったに違いない。


「わかった。俺たちはこれからも同級生で、ボラ部の一員。そういうことだな」


「そういうこと」


 それからも、時々三人で集まって話す機会を設けた。加奈が誘ったり、神田くんが誘ったり、あたしから誘うこともあった。


 加奈から交際についてのあれこれを聞くことは新鮮で、彼氏さんから愛されてるんだなぁと実感するエピソードもたくさんあった。新しい恋へと踏み出した加奈は、きっと自分にとっての幸せを見つけたのだと感じた。


 彼女が彼女なりに前に進めていると知れたことが、なにより嬉しかった。お互いに信頼関係を築けていないと話せないようなことを、あたしは聞けている。そういう、自信に似た感情をもっていたから、なのかもしれない。


 神田くんと二人で会うこともあった。屋上での一件以来、あたしが彼に対して壁を張ることもなくなり、本当の意味でなんでも話せる関係になっていた。あのときの気持ちは、今でも変わっていない。


 時々、加奈の話になることもあった。けれど、それは過去を後悔するようなものではなく、むしろ感謝の気持ちを言い合っていた。これから三人が別々の道を歩んだとしても、きっとボラ部で過ごした日々は忘れない。


 あたしの初恋は、あのとき終わった。かつて見た景色を懐かしむように、彼女との想い出は宝物だった。あの瞬間、あたしたちは友達だったのだから。

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