第二章 微妙な距離感

第3話 こじらせた感情

 加奈は相変わらずだった。あたしは二人が仲良くしていることは、ボラ部にとっていいことだと思っていた。こうしていれば、ずっと三人で居られるのだと信じていたから。


「それはちょっと夢見すぎじゃないかな?」


 鋭い指摘を刺してきたのは、ボラ部幽霊部員兼図書委員の中津美香なかつみかだった。彼女の言葉に、あたしはぎゅっと胸を締め付けられた。美香は、加奈とあたしの関係が曖昧だと言っていた。


「だってさ、加奈は神田くんのことなんとも思ってないって……」


「ほんとにそうだと思ってるの」と美香は強い口調で言い放った。


 あたしは、加奈が好きだということは自覚しているけれど、それをどう表現していいか分からなかった。だから、今までの関係が続いていたのだ。


「あなたたちの関係は、とても曖昧だと思うわ。加奈ちゃんがあなたに好意を持っていることを、周りはみんな知っているのよ。まあ、そこに恋愛感情はないだろうけどね」


「だって、あたしと加奈はただ友達だから」とあたしは戸惑いながら答えた。


「友達以上恋人未満、って感じかしらね」と彼女はにやりと笑った。


 その言葉に、あたしの頬は熱くなった。それを自覚してしまうことが怖くて、今まで関係を保ってきた。加奈はあたしにとって、大切な友達で中学からの腐れ縁。それ以上の関係になるだなんて、想像すらしたことがなかった。


「今、ちょっとだけ想像したでしょ」


 美香は冗談交じりにそう言ってあたしをからかったが、そのまま真剣な表情でこう続けた。


「加奈ちゃんが恋人を作ったり、あなたが誰かに好意を持ったりしたら、関係はどうなるの?」


 あたしはそれを考えると、不安になった。加奈との関係が壊れることが怖かった。でも、このままずっと『親友』でいることも、何か違う気がしていた。その違和感に、ずっと蓋をしたままだった。いつからかあたしは、加奈が誰のことも好きにならないと信じ込んでしまっていた。自分の心が弱いことを分かっていたからこそ、素直になれなかった。


 けれど、美香の言葉で、あたしは自分が見ていなかった世界を無理矢理目を開かされた気がした。


「実際、加奈ちゃんは神田くんのこと、好きなんじゃないかな」


「でも、それって、あたしは……」とあたしは言葉を詰まらせた。


「紫織ちゃんには、もっと自信を持ってほしいわね。あなたが彼女にとって大切な存在だと、わかっていると思うわ。加奈ちゃんがもし万が一彼氏を作ったとしても、あなたとの関係を壊すことはないはずだわ。それとも、そんなことで呆気なく崩れるような関係だと思ってるの?」


 あたしは少し安心した。自分が加奈との関係を大切にしていることは、自覚していたけれど、それを改めて言われると、嬉しくなった。


「でも、そうなった場合、あなたはどうするつもり?」


「えっ?」


「紫織自身が、どうしたいのかを考える必要があるわ。自分の気持ちに素直になって、自分が幸せになる選択をすることが大事よ」


 美香の言葉に、あたしは自分自身を振り返ることになった。本当はなにをしたいのか、なにが幸せなのか。それを考えると、怖くてたまらなかった。それでも、このままずっと避け続けるわけにはいかない。だからこそ、あたしは自分に問いかけるようにこう続けた。


「あたしは、加奈のことが好きなのかもしれない。それを認める勇気が欲しい。でも、それって……」とあたしは言葉を詰まらせた。


 すると、美香は微笑んであたしを見つめた。


「自分の気持ちに素直になる勇気があれば、それでいいのよ。…そういえば、神田くんと加奈ちゃんの話でうわさになってるの、知ってる?」


「いや、全然知らない」


「神田くんが加奈ちゃんに告白するかもしれないらしいよ。まあ、ほんとか嘘かは分からないけどね」


「そ、そっかぁ」とあたしは静かに驚いた。


 そんな噂を聞いてしまうと、いやでも心臓が高鳴り始めた。加奈が神田くんに好意を持っていることは、自分でも分かっていた。しかし、いざそのことを口にされると、なんだか複雑な気持ちになった。


「でも、それって、もしほんとだったらどうなるの?」とあたしは心配そうに尋ねてみると、美香は少し呆れ気味でこう返した。


「それは、加奈ちゃんと神田くん次第だわ。紫織ちゃんがどうこう言うことじゃないもの」


 それはあまりに正論で、ぐうの音も出なかった。あたしはやはり、ただのわがまま勝手な人間でしかなく、加奈に対しても神田くんに対しても富士宮紫織であろうとするあまり、空回りしているだけだった。


 けれど、自分の気持ちに素直になることは、加奈に対する裏切り行為なのではないか。なぜなら、あたしは、加奈が神田くんに好意を持っていることを知りながら、自分が加奈のことを好きだという気持ちを抱いている。彼女のことを想っているのなら、彼女の恋を応援するべきじゃないのか。


 そんな当たり前のことに気づかされたあたしは、改めて自分が加奈に対して、どういう気持ちを持っているのかを考えることにした。もし自分が彼女を応援する形を見つけることができれば、真の意味での友達になれるのかもしれないと思った。


 あたしは今、加奈にとっての親友で居ることができているのかな。


 うわさが流れた数日後、あたしは加奈に相談があると言われて、部室に呼び出されていた。声をかけてきた加奈の真剣な表情が脳裏によぎりながら、あたしは給湯ポットを使い、お茶をれた。


「それで、相談ってなに?」


「神田くんのこと、好きになっちゃったかもしれないんだけど、どうしたらいいのかなって思って」


 加奈は、少し戸惑った様子で言った。あたしは、その言葉に思わず息を飲んだ。加奈があまりに直接的に好きだと言うのは、あまりにも意外だった。そして、自分がどうしていいか分からなくなってしまった。けれど、あたしは悩みぬいて決めていた。


「それは、加奈の気持ち次第だね。でも、もし神田くんのことがほんとに好きだったら、それを素直に言っちゃうのが大事かもしれないね。意外とさ、他人からちゃんと言われないと気がつかないことって、たくさんあるから」


「でも……」と加奈は小さく口をつぶんだ。


「どうしたって、加奈の気持ちを代わりに伝えることはできないから。だから、加奈自身がどうしたいかを考えることが一番大事なんじゃないかな」


 あたしは、加奈に向けて、微笑んだ。彼女が幸せになれるよう、どんな展開になろうともあたしは全力で応援するつもりだった。


 結局のところ、神田くんが加奈に告白するといううわさはうわさでしかなかった。彼は彼女のことをあくまでも友達としか思っていないようで、加奈はそこから先へ進めなかったらしい。


「あたしが二人の仲を取り持つのも、アリかな?」とあたしは夕陽が差し込む公園のブランコに乗り、ボソッと呟いた。

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