それはまるで夢のような④
そうして、ケイジの目に映し出された光景は
天井の低い、棺桶のような古びたアパートメントの一室、だった。
ふかふかのベッドも、贅沢な食事も何もない、
すえたカビの臭いのする、アパートの一室。
――なんでだ、どうして!
ケイジは心で叫ぶ。
頭の中はパニックだった。
傷が深すぎるたのか?
体力が限界なのか?
『マッチ』が効かなかったのか?
一体何で、どうして!
せっかくサヤに幸せな夢を見せてやれると思ったのに。
せめて最後くらいは、病気も家事もゴミ漁りも忘れて、安らかに眠らせてやりたかったのに。
どうしてっ!
ケイジは拳を床に打ち付け、項垂れる。
しかし、
「お兄ちゃん、おかえり」
――え?
弾かれたように顔を上げると、そこには元気よく笑ったサヤがいた。
「早く早くお兄ちゃん。ちゃんと手洗いうがいして。ご飯もうできてるから」
――ご飯? 手洗いうがい?
促されて座った食卓には、カビを取り除いたパンと、ほとんど具のないスープ。
腐りかけた野菜を炒めた貧しい食事。
先ほどの夢に見た料理などとは比ぶべくもない。
しかし、それでケイジは、ようやく気がついた。
――マッチの炎を見たものは、本当に幸せな夢を見る。
「今日はね、炒める前にお水に野菜浸しておいたの。きっとシャキシャキだよ。それから、お酢で色も整えて、焼くのは弱火ですこーしずつ、それから、」
あれやこれやと料理の工夫を楽しそうに話すサヤ。
いつも、そうだった。
自分だって毎日のゴミ漁りで疲れ果てているだろうに、サヤはいつだって、こうして料理にひと手間を掛けて少しでも美味しく食べれるように考えてくれていた。
ケイジはカチカチになったパンをスープに浸して口に含む。
ほのかな塩味と温かさが口の中に広がる。
決して贅沢でも豪勢でもない。
絶品かと言えばそんなこともない。
夢のようだなどと言ったら誰もが笑ってしまう、
そんなささやかでちっぽけな食卓。
それでも、これが俺の……
――思い出す。
それは、ボロボロになった毛布のような懐かしい記憶。
ゴミ漁りをはじめた頃のこと。
冬は凍てつくような寒さで手がかじかみ、夏は猛烈な悪臭で鼻がおかしくなりそうになる。
尖った金属やガラスが手や足に刺さることなど日常茶飯事で、重たい荷物を荷車で運ぶ最中に他の連中に横倒しにされ品物をぶんどられることだってあった。
あまりのつらさに何度やめようと思ったことか。
それでも、いつでも隣にいるサヤは宝探しをしているかのように楽しげで、悪臭のするゴミを選り分け「みてみてお兄ちゃんっ!」と笑顔を向けるのだ。
土木現場での作業を終えて家に帰れば、一足先に帰ったサヤが食事の準備をして待っていて、それを食べ終えるともう、時刻は深夜二時を回っている。
十八時間を超す労働で身体はくたくたで、少しでも身体を休ませようと冷たい床に横たわり、二人で同じ毛布にくるまって暖を取った。
無眠者の夜は長く、天井のシミの数など数え飽きてしまって、
毎日とりとめもない話や、ありもしないおとぎ話をして夜を過ごした。
その話の中でケイジはお姫様を守る騎士になり、毛布は邪悪をはね除けるマントになり、天井のシミは満天の星空になった。
毎日のゴミ漁りは宝探しの冒険に変わり、
いつか大金を掴んでサヤに本当に幸せな夢を見せてやる、ケイジは最後にはいつもそんな風に言うのだけれど、
サヤは嬉しそうに微笑みながら、
けれど、少しだけ困ったような顔をしてこう言うのだ。
「ううんお兄ちゃん。サヤはもう、十分幸せだよ」
だから、無理はしないでね、と。
今、目の前にはサヤがいて、
サヤの作った料理があって、サヤと過ごしたアパートがある。
自分も、それで十分だったのだとケイジは思う。
お城のような豪邸も、
食べきれないごちそうも、
ふかふかのベッドも暖かな暖炉も何一つなかったとしても、
それでも。
スープを飲んだっきり動かなくなってしまった自分を、サヤが怪訝な表情で覗きこんで来る。
「お兄ちゃん、どうして泣いてるの? ご飯、おいしくなかった?」
そう不安げに問いかけるサヤに、ケイジはただ首を横に振り続けた。
きっと、サヤも同じ夢を見ているのだろうな、とケイジは思う。
最初から、夢を見る必要などなかったのだ。
この狂った世界で、狂った毎日を過ごしながら、それでも俺たちは、
毎日が、
夢 の
よう な
日、、
々、、、
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あくる日、スラムの一角で貧しい兄妹の死体が発見された。
この街で死体が見つかることなど珍しいことではなく、人々は大した関心を止めることもなかった。
ただ、ふたりの死に顔は、
このスラムの死体には似つかわしくないほど安らかな表情をしていたという。
了
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