それはまるで夢のような②
「知りたいか?」
まるで思考を読み取ったかのように尋ねる黒服に、ケイジは何の返答も返すことができなかった。それを肯定の証と取ったのか、
「簡単なことだ。俺も、スラムの出なのさ」
まさか、と思うケイジに、
黒服は「でなきゃ、こうしてお前の頭に銃を突きつけられてねぇよ」と自嘲気味に笑った。
確かに、無眠者は一瞬『マッチ』の炎を覗き込んだ程度では深い眠りに入ることなどできない。
黒服がこうして起き上がっていることが何よりの証拠だった。
「全く、馬鹿なマネしやがって。お前の行動ひとつでどれだけの無眠者が無用な差別を受けると思っている?」
そんなの、知ったことではなかった。
もうすぐサヤは死ぬ。
物心着いた頃から眠ることなどできず、不眠不休で働かされ続けた挙げ句に一度の夢を見ることもなく、この世を去る。
そのサヤに、せめて最後くらいは安らかな夢を見せてやりたいというのが、どうしていけないのか。
「いけないことはないさ。だが、俺たちには夢を見る権利なんざ、最初っからひとつもありはしないんだよ」
そう言って後頭部に押しつけられた拳銃に力が籠もり、ケイジは死を覚悟した。
呼吸が速まり、汗が前進から噴き出す。きつく目を閉じて、何度も心の中でサヤの名を呼んだ。
脇腹の痛みすら遠のくような数瞬が過ぎ、
しかし、
いつまで経っても衝撃はなかった。
「な、んで……?」
脇腹の傷を押さえながら、ようやく絞り出せた声はそれだけだった。
拳銃はいまだに後頭部に突きつけられているままであり、ほんの少しでも動けば頭が吹っ飛ぶかもしれないというのは容易に想像ができた。
しかし、拳銃に込められていた力がわずかに緩んでいるのは気のせいだろうか。
ケイジが訝しんでいると、後頭部に突きつけられていた金属の感触がゆっくりと引き戻されていき、唐突に背中が乱暴に押された。
ケイジはよろめきながら振り返り、拳銃を下ろした黒服の視線を真っ直ぐに受け止めた。
分からなかった。
まさか、情けをかけるつもりなのかと疑いながら、視線で「何故?」と問いかける。
黒服は、
「勘違いするな。別にお前のためじゃない。同じスラムの出だからって情けをかけるつもりもない。お前がやらかしたのは、無眠者にとって最悪の禁忌だ。撃ち殺すのにも何の躊躇いもないさ。ただ、これは純粋に、計算の問題って奴だよ」
「計算?」
そう呟くケイジ。
黒服は
「まさかお前、無眠者の俺が、バカ正直に睡眠都市で生きてきたとは思っていないよな?」
と尋ね返した。
それでケイジは合点がいく。
要するに、黒服が考えたのは、このまま地面に転がって有眠者のフリを続け、失敗の責任を取って首になるのと、コソ泥の頭をぶち抜いた代わりに自分の素性がバレて、何もかもを失うのとどっちが得か。
そういう計算だった。
「お前が『マッチ』を使った時点で俺には選択の余地なんざなかったのかもな。有眠者である俺には、ガキの擦ったマッチを覗き込んでリタイア、という筋書きしかあり得ないってことか……。わざわざ拳銃突きつけといてカッコつかないが、ま、退職金代わりにいい夢見させてもらえるなら、安いもんかもしれないな」
ーーいい夢見せて? 無眠者が?
ケイジは混乱する。
ケイジをよそに、黒服はその場にどかりと座り込み。
胸元のポケットから煙草を一本取り出した。
ケイジにウインクをして寄越し、こう言って笑う。
「なあ、ちょっと火ぃ貸してくれないか?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
眠りに落ちる寸前、黒服は風に紛れるような小声で何かを呟いた。
それが『すまない』だったのか『頑張れよ』だったか……。
あるいは盗みを犯したことを非難する言葉だったのかもしれないが、ケイジは、それを尋ね返すようなことはしなかった。
ただケイジは、生まれて初めて眠ったであろう男の姿をほんの少しだけその目に焼き付け、その場を後にした。
それからどこをどういう風に通ってそこまで辿りついたのか、ケイジはあまりよく覚えてはいない。
足下はふらつき、呼吸は酷く苦しかった。
脇腹に滲む血のシミは既に両手でも隠しきれないほどに広がっている。
それでも、意識だけははっきりと覚醒を続け、目の前に広がる光景をしっかりと捉えていた。
サヤが待つ、棺桶のように天井の低い、古びたアパートメントの一室。
天井はようやくケイジの身長ほどしかなく、ドアをくぐるには身を屈めなければならない。
コンクリートの壁は腐食し、所々はげ落ちている。
中をどれだけ清潔に保っても隣近所からの悪臭は防ぎようがなく、常にすえたカビのような臭いが漂っている。
ケイジは錆び付いた鉄の扉を押し開け、その場に倒れ込む。
狭苦しい入り口はあっという間に脇腹からこぼれだした血に染まった。
「さ、サヤ……、今帰ったぞ」
灯りもない部屋の闇に向かって、できるだけ元気そうな声を装って響かせる。
しかし、それに答える声はなかった。
不安、などという生やさしいものではない焦燥が腹底からこみ上げてくる。
おかしかった。
どれほど病状がひどい時でも、
横になってなきゃダメだ、
と何度言おうとも、サヤはケイジが帰ってくると必ずその側に寄ってきて、
おかえりお兄ちゃん、と笑顔を見せるのだ。
それなのに、今は……。
そのままケイジは這うように進み、流しの前で倒れているサヤを発見した。
「サヤ! サヤ! 大丈夫か!?」
無眠者はもちろん眠ることなどできないし、意識を失うということもまずあり得ない。
どれほどの病苦に苛まれていても意識だけは死ぬまで覚醒を続ける。
だから、そもそも、倒れるという行為そのものが、ほぼ死と同義と言っていいほどの異常な状態だった。
「サヤ! サヤ!」
何度も呼ぶケイジの声。
「お兄、……、ちゃん」
返ってきたのは、弱々しい声だった。
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