向こうの山の麓まで③

 両親の喜びようは相当のものだった。

 その理由もラビには何となくわかっている。

 セントラル校の首席で睡眠都市医科大学への推薦を受けることができれば、の対象になる可能性があったからだ。


 一般的に、無眠者は、有眠者と比べて知的能力に劣るとされている。それは、睡眠が、知識の定着や思考の洗練のために重要なものだからである。


 しかし、睡眠都市には、無眠者とは別に、もう一つ眠らぬ人種が存在した。

 高等遊眠こうとうゆうみん

 無眠者とは違い、人工的な手術によって眠らずに活動できる身体を手に入れた者たちは、知的能力を強化し、白昼夢への接続能力を保ったまま無眠化することに成功しており、その多くは睡眠都市内で支配的な地位を確立していた。


 ただ、無眠化手術は、睡眠都市に住む住民に課せられた『睡眠の義務』に真っ向から反対するものでもあるため、都市の中枢が明確な登録制によって規制を行なっていた。


 18歳を越えていること。

 その知的能力が社会の発展に寄与すると認められること。

 莫大な費用を支払う経済力があること。


 通常は、大学生に経済力など期待できるはずもないが、ラビの父は有数の大病院の経営者である。知的能力の高さが自治政府に認められさえすれば、総合病院の経営権を売却するほどの資金が必要となるものの、タトルに無眠化手術を受けさせることは可能なはずだった。


 そうすれば、タトルはもはや隠れて過ごす必要はなくなる。


 3年生になった最初のテスト。

 そこが運命の別れ道だった。

 そこで首席をとれば、医科大学への推薦も確約される。しかし、ラビには兄に自分の順位を譲ってやるつもりなどさらさらなかった。


 両親のあの喜びよう。

 

 前回までラビ&タトルと書かれてあったケーキのプレートには、今回は、「タトル&ラビ」と書かれていた。


 理屈ではわかっている。

 息子の人生がかかっているのだから、喜ばない方がどうかしている。

 もともとは長男なのだから、名前が先になるのだって不自然なことではない。


 それでも、ラビには、腹の底から、ドス黒い感情が喉元まで這い上ってくるのを止めることはできなかった。

 祝いの最中にラビは黙って席を立った。

 どうしたのと問う兄に、やっとのことで「トイレ」と答える。


 それきり、ラビはもう食卓には戻らなかった。

 自分の部屋のドアを叩きつけるように閉め、白昼夢を呼び出す。

 学習用のアプリケーションを立ち上げて、数学、生物学、物理学、語学、歴史、あらゆる教科の知識を最大限に効率を上げて学習していく。


 学習用アプリケーションにはモチベーションを高めるためのギミックが含まれており、今回立ち上げたアプリでは、一匹のウサギのアバターが走り続けていた。

 

 一つ問題を解くたびにスピードが上がり、新たな装備や食料を得てマラソンを続ける。

 無味乾燥な勉強に最大限の能力を投入するためのギミック。

 

 解き方を間違えると、ウサギが眠ってしまい、その間にノロマな亀がウサギを追い抜いていく様子がコミカルに描かれていた。


 ハマるゲームにとって欠かせない要素は、失敗を深刻なものにしないことなのだという。

 そうすることで、失敗を恐れずに大胆な試行錯誤ができ、前に進むことができる。


 その時解いていたのは数学の問題で、複雑な偏微分方程式の特殊解がリストアップされ、一つ一つ問題に適用して確かめるたびに鍵穴に鍵をさすアニメーションが浮かぶ。

 一定の時間が経っても思考が前に進まない時には強制的にヒントが表示され、それでも前に進まない時にはゲームオーバーになる。


 ゲームオーバーになるたびにウサギは眠り、亀はのそのそとその横を追い抜いていく。


 何度もミスをするたびに、次こそはと決意を新たにして再挑戦を続ける。

 常に難易度は自分が解けるギリギリに調整され、思考停止している時間は全くない。


 気がつけば6時間が過ぎていた。

 途中、座り過ぎ防止のアラームに従って身体を動かし、部屋に運んでもらったサンドイッチで軽食をとったものの、それ以外の全ての時間を費やして勉強に没頭した。


 成果は順調であり、これ以上にないものだった。

 しかし、これまでにも、ラビは決して遊んでいたわけではない。

 

 一つ上の学年に飛び級をしてトップを維持するために、相当の時間を費やして走り続けていたのだ。

 

 体調管理アプリはすぐに寝るようにと警告を発していたが、ラビは、それでもまだ眠る気にはならなかった。

 

 学習アプリのコミカルな亀のアニメーションが頭から離れない。


 まだだ、もう少し、とラビは思う。

 ウサギが眠っている間に、亀はゆっくりとその横を追い抜いていくのだから。


               @


 気がつけば、机に突っ伏して眠っていた。

 窓の外はすっかり明るくなっており、それでもう朝なのだということにラビは気づく。


 頭が重く、身体も重かった。


 白昼夢が示す睡眠のパフォーマンスは最低レベルで、疲労物質の状態もひどいものだった。

 図式化された人体に何箇所も警告を示す赤のデータラベルが表示される。

 達成感はなく、圧倒的な焦燥感だけが胸焼けのようにまとわりついて離れない。


 ふと、肩口にかけられた薄手の毛布に気がつく。

 父か母だろうかとラビは思う。

 重たい身体を引きずって部屋から出ると、兄の部屋の様子が見えた。

 

 いつ見ても変わらない。分厚い教科書とノートを手に、効率も何もあったものではない勉強を続けている兄の姿。

 

 眠らない亀のイメージが脳裏に蘇る。あのアニメーションを作ったクリエイターに悪意などあったはずもない。あくまでコミカルに失敗を伝えるためのツールだったはずである。


 しかし、今やそれは、ラビにとって最悪の呪いとなっていた。

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