向こうの山の麓まで②
ハイスクールに入った頃には、もはやラビはタトルと口をきくこともなくなっていた。
睡眠都市で最難関のセントラル校に入学しても、相変わらずラビは成績上位を独占し続け、タトルは底辺をさまよう。
そんな構図は続いていたが、入学から半年が過ぎた頃から、少しだけ様子が変わってきていた。底辺をさまよいながら、タトルの成績は徐々に向上の様子を見せはじめていたのだ。
定期テストが行われるたびに、タトルの成績はほんの数パーセントずつ向上を続け、そのたびに両親はちょっとしたお祝いをしてタトルの労をねぎらった。
もちろん、それは、常にトップの成績を取り続けているラビのお祝いに付け足しのように入り込んだだけなのだけれど、お祝いのケーキのプレートに、自分の名と並ぶようにしてタトルの文字が入るのをみてラビは穏やかではいられなかった。
どうして、父さんも母さんも、あんなやつのことばっかり。
そんなことを考えながら、ラビは悶々と学校に向かっていた。
睡眠都市の街並みは、白い。
道路も建物も、ことによれば街路樹さえ。
有眠者のほとんどは白昼夢を起動してパーソナライズされた視覚情報を受け取っている。
そのため、街自体には余計な広告や装飾を施さずに光沢のある白で統一するのが近年のトレンドになっていた。
真っ白に塗りつぶされた景色の中で、ラビは白昼夢を立ち上げ学校の予習を終わらせるのが日課だった。
しかし、
騒然となった通りの喧騒で、何かがあったことに気づく。
「誰か!」
必死で助けを呼ぶ声。
通りに面した準備中のジュエリーショップらしき店から、みすぼらしい風貌の男が駆け出した。
その手には盗んだと思しき宝飾品が握られていた。
強盗。恐らくは無眠者の。
一瞬遅れて警報が鳴り響き、あたりの交通網が全て一時停止された。
警戒システムが作動したのか、
「誰か! 怪我人です! 医療関係の方はいませんか?」
医療関係、と聞いて思わず身体が反応した。
もちろん、本物の医療関係者がいれば学生など出る幕ではない。
しかし、幼少期から父の姿を見て、将来父の後を継ぐことを夢見て勉強に励んできたラビは、応急処置の白昼夢シミュレーションを体験したことくらいは何度もあった。
人だかりを押しのけて怪我人に駆け寄ると、真っ赤な血に塗れた被害者の姿が目に入る。
脇腹が大きく切りつけられ、口からも血が溢れていた。
臓器をやられているというのは知識からわかったが、今現在、自分はあれほど大きい傷を止血できるようなものを何も持っていないということに気がつく。
どうするべきかラビが迷っている時、
「どいて! 私が」
金色の髪の毛を留める大きな鼈甲のヘアピンが目に入った。
素早く割り込んできた女性が、自分の服のお腹の部分を切り裂き、あっという間に処置を始めた。
どう見ても自分とそう年が違わない学生にしか見えなかったが、その手際はあまりによく、本職の救命士かと見紛うような的確さだった。
「ここ、ちょっと押さえてて」
促されるままにラビは止血箇所の圧迫を交代する。
その間に彼女は、バッグの中を漁って指先ほどの長さの注射器を取り出し、慎重に選んだガラスの小瓶に針を刺して薬剤を吸引すると、患部のすぐ側の血管に手早く注射した。
なんなんだ? この子。
止血剤か血管収縮薬か、なんにせよ、日常的にそんなものを持ち歩く人間はそうはいない。
ラビも、患部を押さえながらも近くの人に頼んで救急への連絡や応急キットの運搬などの指示を出していたが、目の前の女性のあまりの手際の良さにあっけにとられるばかりだった。
救急搬送用の車両が立ち去り、灰色の
良かった、助かった、と喜び合う中で、相手の女性が、ふと、不思議なことを言う。
「ありがとね。助かっちゃった。ラビくん」
あれ、自分は名前を名乗っただろうか、とラビが戸惑っていると、
「わからない? 私、プリシアよ」
プリシア?
そう聞いてラビの頭に思い出されたのは、幼い日の病院の託児室のことだった。
ラビの父が経営する病院に勤めていた医師の娘であるプリシア・ブリセイスは、兄と同い年でラビの一つ年上だった。
託児室……とはいってもそこらの保育園よりも広大な空間を持つその施設で、三人は、エレメンタリースクールに入るまでの毎日をそこで過ごした。
「え、ほんとに? いや全然わからなかった」
どこか見覚えのある鼈甲のヘアピンは、確かに昔、プリシアが身につけていたものだった。
綺麗になったね、という言葉が頭に思い浮かびはするのだけれど、どうにもそれを口にする気にはなれなかった。
いっそのこと何かのアプリを起動して身体を半自動制御にしてしまおうかと思うほど、言葉が出てこない。
幼馴染みと話すときくらいは自分の言葉で話さなくてはと思う反面、目の前の女性があのプリシアだという理解に心が追いついていかずに、何を話していいかわからなくなる。
「なあに? 生意気だったラビくんがまるでタトルみたいに戸惑っちゃって」
「え、生意気、だったかな俺」
「まあね、いっつも私とタトルよりも先に行っちゃって、ゆっくり私たちが追いつくと『遅ーい! ノロマな亀は置いていくよ』って。そんな風だったわよ」
そう言ってプリシアは懐かしそうに笑う。他人から指摘されると恥ずかしそうに頭を掻くしかなかった。
「やめてよ、そんな昔の話」
「あら、別に悪い意味じゃないのに。だってあれ、タトルに甘えていただけでしょう?」
それを聞いて苦々しい気持ちが湧き上がってくる。
プリシアの中では、自分と兄の関係は険悪になる以前のままで固定されているようだった。
確かに、昔はとにかく兄を慕っていて、なんでも兄からすごいと言われたい一心でいつも背伸びをしていた。
しかし、複雑な思いを胸中に圧し殺し、ラビは「全く、プリシアには敵わないな」とだけ答えてその話を打ち切り、強引に話を変えた。
「ていうか、あの手際の良さはなんなんだよ。どこで習ったらあんな風に応急処置できるんだ? 俺だって、知識も経験もたっぷり蓄えてたと思ってたんだけど、」
それに対してプリシアは、ふふ、と笑うと「実践あるのみよ」と答えた。
不思議な返答に、ラビが首を捻っていると、
「私、もう働いてるのよ。去年、准看護の資格を取って、夜間病棟でね。今日はその夜勤明け」
それを聞いてラビは思い出す。
医師だったプリシアの父は、プリシアがエレメンタリースクールの3年生に上がる前に、無眠者のテロリストに殺されたのだ。
それから生活が苦しくなったプリシアの家族は母親の実家に引っ越し、プリシアもまた転校をしてしまった。
「弟も妹もまだミドルスクールだし、お母さんの収入だけじゃ私が呑気にハイスクールに通ってる訳にもいかなくて」
准看護学校に通って手早く資格を得たのちに、早々に夜間病棟の職を得たのだという。
「夜勤だと手当もつくし、日中睡眠の補助金もあるしね。ちょっとお肌には悪いけど」
と、プリシアはあっけらかんと笑う。
この歳で働いていると聞かされて、いくら生活が苦しいとはいえ、奨学金を活用する道だってあったのではとラビは思い、
「なんだか、もったいない、って顔をしてるわね?」
「あ、いや」
指摘されてラビは急に恥ずかしくなってくる。
父は
「私はいいの。勉強なんて、したいときにすればいいんだから。ラビくんみたいに物凄く頭がいいってわけでもないし」
頭がいい、という言葉にドキッとする。
「聞いたよ。ラビくん、飛び級でセントラル校に入学して、ずっと首席なんだって? お姉さんは鼻が高いぞ」
そう言って、プリシアは昔のように頭を撫でようとしてきた。
子ども扱いするなよ、とラビは言う。ほんの少し身を仰け反らせるが、それ以上は黙ってされるがままになった。決して悪い気はしなかった。
今ではラビの方が頭ひとつ分は身長が高い。
手を伸ばしたプリシアの髪の毛からは、いい匂いがした。
@
ハイスクール2年生最後のテストで、兄の順位は3位だった。
もはや、ラビとの合計点の差もわずか十数点であり、いつ逆転してもおかしくはなかった。
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