第5話 ダンジョンに行けば変わるのかな?

 宇宙は液タブに目をやった。

 今週号の話に色を乗せていた。


 まさかこんなことになるとは思わなかった。

 本来なら突っぱねても良いはずなのだが、灘は押しが強い人なので、何度でも電話が掛かってくるはずだ。


 もしかしたら良いようにされているのかもしれなかった。

 しかし今更言っても仕方ないので、自分の推しの弱さを呪った。


「とりあえずこんな感じでいいかな?」


 ある程度ベタ塗りをしてみた。

 ここから陰影を軽く付けるのだが、とりあえず読める程度には仕上がった。


 元々白黒絵で描いていた。

 そこに淡い色を乗せるだけの作業なので、アシスタントが一人でもいれば楽に済むはずだった。


「アシスタントか。まあいないよね」


 宇宙は別に困っていなかった。

 最終話まで描き上げているので、もはや手を加えることはなかった。


「とは言え自信を持つことかー。何か良い方法はないのかな?」


 宇宙はそれなりに悩んでいた。

 それは誰にも解決できるようなものではなかった。


 宇宙はネガティブ寄りの性格だった。

 この性格を治すには相当苦労するはずだ。


 もちろん日々の日常生活で困ったことはなかった。

 けれど自分のやることに自信を持てなくなることが多少あったのだ。


 そんな中、ふと気になることを思い出した。

 クラスメイトが授業中に話していたことだ。

 それは下校中考えていたことを繰り返すことになった。


「そう言えばダンジョンに行けば性格が変わるんだっけ?」


 あくまでも噂の話だった。

 しかしダンジョンには危険がいっぱいで、あまり立ち入りたくはなかった。


 とは言え頭から離れないのは、心の何処かで行ってみたいと思っているからかもしれない。

 最近は動画投稿サイトでも去年よりはほんのちょっとだけ分母も増えてきているジャンルになっている。

 とは言え、約一パーセント程ではある。


 しかしダンジョンに入るには許可がいる。

 おまけに特殊な薬を飲む必要があるのだが、その薬で大変なことになる人もいた。


 もちろんダンジョンにはどんな罠があるか分からない。

 モンスターがウヨウヨして、殺されるかもしれない。

 そう思うと確かに行きたいとは思わないかもしれないし、たとえ運良く生き残れたとしても割に合わないと思った。


 けれど宇宙はそれでもやってみたいと思った。

 ポジティブ人間になりたいわけでも、目立ちたいわけでもなかった。

 もっと自分に自信を持てるようになるには、ダンジョンのもたらす効果が医学的にも有効だと聞いたことがあった。


「ちょっと聞いてみようかな」


 ふとネットで色々調べてみた。

 すると国自体が世界規模で探索者を募集していて、配信も自由にOKだった。


 それだけダンジョンには価値があるという事で、色々と規定を見ていくと、高校生は許可が必要ではなかった。

 何処かで規制が緩くなったのか如何かも分からないが、中学生以下は保護者の許可も必要だった。


「って、そもそも分母が少ないから厳しい規定を付けると誰もやりたがらないよね」


 宇宙は勝手に納得した。

 しかし流石に危ないと思い、一度母親に電話してみた。


 プルルルルルルルルルル!


 スマホのバイブレーションが電話を伝えた。

 するとすぐさまガチャ! と鳴り、スピーカー越しに声が聞こえてきた。


 明るくて元気を貰える声だった。

 宇宙は何度も聞いたことがあった。


「もしもし宇宙。如何したのこんな時間に?」


 凄く滑らかでフラットな口調だった。

 誰に対しても飄々とした態度で接することができるのが、ポジティブ思考人間、早乙女晴刃さおとめはれはだった。


「お母さんごめんね」

「謝らなくて良いよ。それより如何したの? こっちが夕方だから、そっちは深夜でしょ?」


 晴刃は今、フランスに居た。

 世界中を飛び回る超人気ファンションデザイナーの晴刃にとって、活動拠点は国を問わなかった。


 とは言え基本はヨーロッパに在住していた。

 日本に帰ってくるのは一年に一度か二度で、小さい頃から宇宙はそんな生活を送っていた。


 昔は寂しかったけど、今は慣れてしまった。

 だから悲しみは通り越し、面倒にすら感じていた。


「ねえお母さん。僕ね、やってみたいことがあるんだけど?」

「やってみたいこと! 珍しいわね。宇宙が自分からやろうと思っての、漫画を描く時と高校進学の時だけでしょ?」

「うっ!」


 痛いところを突かれた。

 余計なことを言うと、心の何処かを平気で抉ってくることを知っていた。


 しかしいちいち傷付くこともなかった。

 宇宙は平然とした態度で、晴刃に伝えた。


「お母さん、僕ねダンジョン探索がしたいんだけど……良いかな?」

「もちろん良いわよ。自分で決めているんだから、許可なんて必要ないでしょ? とにかくぶつかってみる。それが一番だよ!」


 晴刃はそんなことを言った。

 するとあまりにも予想通りの反応に、宇宙は言葉を失った。


「そ、そっかな?」

「そうだよ。でも気を付けてね。ダンジョンはこっちにもあるけど、危険がいっぱいだからね」

「う、うん。それじゃあ明日市役所に行ってみるよ」

「市役所? そう言えば市役所で登録だったわね」


 晴刃は思い出したかに見えた。

 しかし宇宙は話したいことも言い終えてしまったので、忙しいであろう母親のことを気遣った。


「それじゃあお母さんも体に気を付けてね。また電話するから」

「いつでも掛けてきてくれてもいいわよ!」


 ブチッ!


 通話を切った宇宙はスマートフォンを机の上に置いた。

 呼吸を整えて安堵すると、宇宙は一言口にした。


「頑張ろ」


 そう言うと液タブに目をやった。

 もう少し手を加えてみることにしたのだ。

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